チバユウスケに愛をこめて
チバくんの訃報から何日が経ったのだろう。
いまでもふと、もうチバくんがこの世界をチバくんの言葉で描写してくれないのかと思うと、鼻の奥が痛くなり涙が落ちてきそうになる。
音楽の専門家でもなんでもない、ただの小娘ですが、チバくんの美しい詩と共に思いを綴ろうと思います。
私がチバくんの音楽を聴き始めたのは8歳頃だと思う。父の車の中でいつも流れているのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTかROSSO、それかThe Birthdayであった。
父の車のカーナビと音楽プレーヤーは繋がっていなかったので、アーティスト名や曲名は当時知る由もなく、ミッシェルとかThe Birthdayとか関係なく、当時の私にとっては「チバくんの曲」だった。
23歳になった今となっては、父より私の方が彼の曲を聞いていると思う。
でもなんというか、無意識のうちに聞いていた。
AppleMusicによると私は2023年、The Birthdayの楽曲をどのアーティストよりも聞いていたみたいで。
でも正直、「え、そうなんだ」という感覚。
それほど私の感性の根の部分に、そっと息を潜めている。
チバユウスケの描く世界で生きたい
正直彼の死は残念とか悲しいとかそういうレベルじゃないです。
チバくんが形容しない世界で生きていくって、、という喪失感。
かき鳴らせギター、謳えベース、打ち鳴らせドラム、うがるボーカル。
音はハード、歌詞は文学。
最高すぎるんですよそんなの。
チバくんのあの叫ぶような歌声で紡がれるあまりに美しすぎる詩は、私の感性をぶん殴って脳を抉って愛でいっぱいに満たしてくれちゃってるんですよ。
まんまと父の英才教育にハマってしまったという訳です。ありがとうパパ。
チバくんの描く世界の中で生きれたなら、思春期の頃から今も変わらず、心底そう思います。
魔法が使えないKiki、冬の星に生まれたシャロン、意識飛ばしたまま帰るリリィ、目は閉じたままのルーシー。
どんな人生を送ったらそんなぶっ飛んだ発想ができるんだろう、なんでそんなに頭がおかしくて愛しい女の名前がたくさん登場するんだろう。
どうしてあんなに穏やかな声で切なくて美しい世界を歌えるのだろう。
この詩は私が見てきたどんな美しい星空とは比にならないほど、星が瞬いている情景が浮かぶ。
いや、星空を見て1000のタンバリンを打ち鳴らしたようなって、どういうこと?
全然わかんないんだけど、本当にどえらい感性ですよ。
あまりにロックスターすぎる星空の表現なんだけど言葉を選ばずに言うと、マジでとんでもなく綺麗なのが伝わる。
そうだよね、そんな美しい空の下で生きていけるなら、明日のこととか来年のこととか、日常に蔓延するしょうもないことはどうでも良くなるよね。
プレスファクトリーの歌い出しの歌詞、初めて聞いた時頭を抱えた。
どういう状況?どんな人生?その発想の源はなに?
どんな情景を見てチバくんはこの詩を書いたのだろう。
沼に沈んでいく車が真っ白だったという、なんだかとんでもなく寂しい歌詞。きっと無言で沈んでいく車を見つめているんだろう。
優しい声で歌い上げられるその詩は、なぜこんなにもセンチメンタルな響きをもっているのか。
理由は分からないけど、震えずにはいられない。
街の灯りが花なんですってよ、もうどうしたものか。
ここからは思想強め女の想像でしかないのだけれど、都内の国道の渋滞にハマった黒塗りの車の中、おい進めよと促すクラクションの中でキスをするという情景。
ロマンチックにも程があって、そりゃ街も花だわ。
色んなものが花に例えられるけど夜の街が花だよ、もはやそうであって欲しいという気持ちになる。
心を打たれた詩を全て挙げているとキリが無いのだけれど、本当に本当にチバくんの描く世界で生きたい。
荒々しいのに繊細で、ロマンチックで、意地らしくて。
チバユウスケのいない世界で
悔やんでも心の区切りが付かなくても、私のロックスターはもう歌わない。
だけど幸いにも、彼はたくさんの音楽を残してくれた。
彼の声を相変わらず毎日聞いている。
メディア媒体として残っているって、ものすごく凄いことだしありがたいこと。小劇場の舞台をよく見に行くのですが、その多くは世に「映像」として残されることはない。
そしてチバくんの描く世界は愛で溢れている。
どれだけ悲しくたって、チバくんは深い愛の言葉を私たちに残してくれている。
ありがとうチバくん。
音楽の素晴らしさ、この世界の美しさを小学2年生の私に教えてくれたのは、紛れもなくあなたです。
チバユウスケの音楽と生きていく。
寒い冬、あなたのいる場所があたたかいことを願って。