デザイナーのポートフォリオ(過去の営業編)
こんにちは。寒くなってきましたね!
九州のフリーランスデザイナーのMaru.(まる)です。
DTPを中心に現在はWEBとUIデザインに領域を広げ、お仕事しています😉
フルリモートで九州から世界中とお仕事をしたい。
そんな私の最近を綴ります。
前回の「#デザイナーの自己分析」
初対面の人に名刺を渡した後、どう自分をPRする?
得意なデザインは? など、自分の好きを分析する内容。
神様 ( @kamisama1220 )からのリツイートのお力により爆発的な伸びを見せたNoteでしたが(ありがとうございました🙇♀️)、今回はその補足エピソード。
前回のNoteの中で自己PR用のスライドを作り、それを沢山の方々に見てもらった結果、自分の「好き」をもっとハッキリ見せた方がいいという結論に。
↓ 結末は意味深に締めくくっておりました。
今回はデザイナーのポートフォリオに関して
この衝撃的な結論に至る前の、私の身の上話。
そう、自己PRは苦手だといいつつも実はわたくし。
20年前、すでに地元でフリーランスとして営業活動をしていた
20年前。まだインターネットもない頃の話。
時代は版下からMacへと移行する頃。
WEBを少し手がけたりなどすれば飛びきりハイカラ最先端な時代でした。そんな頃、九州でフリーランスデザイナーとして独立。
駆け出しフリーランスは、なかなか仕事がない。
そもそも地元に制作会社が少ないため、案件もかなり限られる。今のようにSNSもコミュニティもブログもない世界のため、事前に状況なんてわからない。自分の足で、対話で、コツコツ調べるしかなかったのです。
営業方法は
TEL→アポ取り→ブック持参 の3ステップ
新卒でファッションビルの広報や大手広告代理店の広告を制作していたデザイン事務所に勤務。
その為、ブックの作品群にはファッション雑貨、音楽関連の事例が多かった。地元では当時、とても面白い部類の仕事をしていたとは思う。
しかし、九州では仕事数自体が少ないので、自分で営業活動もしないと採算が合わず、慣れない営業活動を始めた。
インターネットがない時代。電話を片っ端からかけてアポを取り、ブックを持参をするスタイル。
デザイナーは性質的にシャイでコミュ障なタイプが多く、デザインの言語化も、今ほど上手くできる人は少なかった。もれなく当時の自分もそう。
デザインをどう説明すればいいのか。そこに大きな壁を感じていた。
デザイナーズ・テレアポ。
コミュ障デザイナー、初めてのテレアポ!
まずは広告代理店に電話をかける!!!💪🔥🔥🔥
1件目
「あ、あの、私、九州でデザイナーをしておりますMaru.(まる)と申します。広告制作のご担当者様、いらっしゃいますか?」
「あ、営業ですか? いいです(ガチャ)」
こんな事を繰り返し、アポをとっていく。
2件目
「売り込みですか? 作品、送っといて貰えますか」
「では住所を…(ガチャ)」
3件目
「うちに広告担当はいません」
「どなたでもいいので…(ガチャ)」
…やばい、早くも心が折れそう。
4件目
「広報担当ですね。お待ちください…プチ。ピーーーーギャリギャリ(FAXに切替え)」📞⚡️😞💦
そんなこんなで、どうにかこうにかアポを取る。
大きい代理店の場合なかなか担当に繋がらないため、突然押しかけたりしていた。
ラジオ局の広報担当者に、やっとご対面!😘
やっと複数のアポが取れた!
直接お会いして営業ができる。
ブックを持参していざ、先方へ。
「○○さーーん。デザイナーさんが来てますー」
はいはい。と担当者が現れる。
慣れない手つきで名刺を渡す私。
フリーランスデザイナーのMaru.(まる)です。
よろしくお願いします。… 着席。
ドキドキのポートフォリオ・ブックを見せてみる…!!👀✨🌱📖
今までの一連の経緯をお話し、ブックを見せた。
すると開口一言。
「… 東京の人ですか?」
え。あ、いや、ずっと九州です。
「あ、そうなんですか。ふーーーん」
「面白そうな作品ですね。…でも、地元っぽくないなぁ。」
「正直、こういうお仕事は全部東京で制作するんですよね。イベントとかは東京から来る印刷物の住所だけを地元のものに差し替えて刷り直ししてます」
そ、そうですか…。あ、でもこういった雰囲気のグラフィックとか、面白いと思うんですよね!最近、雑誌の○○や東京の○○の企業広告とか、今すごい注目されてるから、そういうの地元でもやってみたらと思っているんですけれど!
「いや…。ちょっと実験的すぎるというか。
理解できる人が少ないと思うんですよね。
こういうのが今、東京のほうでは流行ってるんですか?」
メイドのコスプレイヤーとか、雑誌にバンバン取り上げられてて…。広告批評とか雑誌ブレーンにもアニメ的なものが結構増えてきてるんです。紙などもわざとボソッとしたSTUDIO VOICE(スタジオボイス)みたいな…、デジタルだけどガザガザした印刷にするのもかっこいいと思います!!💪✨
「??なんですか、そういう雑誌があるんですね」
ガーーーーーン。し、知らない…。
「デザインや広告系の雑誌になるから、デザイナーしか見ませんよね、すみません、大変失礼しました💦」
ブックを見ていただいている間中、端々に出る「東京っぽい」「ちょっと強めの…」「斬新ですね」ワード。
そこまで強いものは持ってきていないと思っていたのですが…。
では逆にどういうものが地元っぽいの?😨
どんなものだと、心落ち着きますか?
「たとえばこれとか、最近デザイナーさんに作っていただいて…。」
うん…。物足りない。新しさがない。目立たない。(5・7・5)
イラストに関しては4-5年前の東京で流行った有名なイラストレーターをそっくりそのまま真似たような。でもうまく真似できていないような。
溢れ出る既視感。一言でいうと、中庸で、無難だ。
しかし、ここはラジオ局。音楽とファッション性でガンガン新しいことを発信すべき場所ではないのか? 地元の老舗や主婦層への広告ならともかく、デザイン的にちょっと、…落ち着きすぎていませんか???
そうこうする内に面談は終わった。
一旦、他も回ってみよう。
何件か回れば何かが見えてくるはず。
テレビ局、ファッションビル、広告代理店などにも営業
2件目のテレビ局。
再び広報担当者様とご対面し、名刺を交換する。
ブックを広げる。
どう?? どうですか????!(ドキドキ)
「東京から戻ってきた方ですか?」
なぁぁぁぁにぃぃぃ???? こ、ここでも???
いや、九州です…💦 え、なんだろう、なんで??
「結構、個性強いですね…」
「こちらとかも、東京でのお仕事ですか?」
いや、違います。
好きに作った作品も持っていっていたのですが、実務で制作した比較的おとなしい作品のほうが確実に反応がいい。
あの…、こちらの変形するDMとか、いかがでしょう?(ワクワク)
「うーーん。実は…。
ちょっと冒険的な内容かなー、と思っていて。
もし、東京のお仕事をしたことがあるのであれば、頼むのですが」
え? 待って待って。
東京で仕事してたら頼むって、何それ?
東京で働いてた、って言えば、仕事くれるの??😨
なんか馬鹿馬鹿しくなって、あまりそれ以上は強く押さなかった。
ここはテレビ局。地元では唯一、新しい情報を発信する場所では?
3件目は広告代理店。こちらでも同じく
「東京から戻ってこられた方ですか?」
待って!! ちょっと待って!!!!!!✋💦
なんだかなんだか
「理解できない=東京の仕事」になってません?
「個性強い=東京のデザイン」という図式????
ヤケクソになり、冗談で「東京で働いてました」と言ってみた。すると。
「あ、そうなんですかーーー。やっぱり、すごいですね!!!」
… いや、アナタのほうがすごい。
人を肩書きでしか見ていない。
無念… 自宅に戻り、大好物の三ツ矢サイダーを飲みながら、一人で反省会をしていた。(スカッとしたかった)
そりゃそうだ… 地元では仕方ないのかもしれない。
20年前の当時は、東京に上京すると言うと一斉に反対される世の中だった。
東京は危険。地元に残された両親はどうするの? 知り合いはいるの????
友人から大人からデザイン事務所経営者から、みんなが総出で引き留めてくる。
そんなだから情報の格差は生まれまくって、
地方のデザイン業界は置いてけぼりだ。
最新の情報と出会えない。
当時はアート、という言葉もなく「美術」と言っていた。
オタクという概念がやっと、村上隆さんによって現代美術にまで高められた頃。広告にアート要素が取り入れられたのもつい最近のことだった。
世間的には美術と現代美術の区別もまだピンと来ていなかったように思う。
インターネットがないから、情報は自ら求める人しか手に入らない。
本屋に行き、高いお金で雑誌や洋書を買う。そんな人はよっぽどのマニア。
流行の曲を「ドラムがかっこいい」などとピンポイントに楽器だけ褒めると「マニアックだねー」と別格に昇格。悪ければアウトローとして壁を作られた。理解できないものへの嫌悪が感じられた。
子どもの頃から漫画やTVは頭が悪くなるから1時間までと規制される。
音楽を好きな輩は不良。そんな時代だ。
美術と音楽好きは全く理解できない。怪しい宗教にハマってるみたいで怖い。両親もそう言って、私を全く理解できない人という棚に置き、いつか薬物をやり始めるのでは、とヒヤヒヤ遠巻きに見ていた(公務員系の家庭です)。もちろん、美大へ行くことも全力で阻止された。
信じられないかもしれないが、つい20年前の田舎ではそんな状況だったのだ。デザイナー? なにする人?それって美味しいの?…😳キョトンです。
現に、印刷物を作る職業ですという説明がピンとこず、よく「画家さんなんだ。すごいなぁ。有名になってね!」などと応援されていたりもした。
個性を殺そう。
中庸なデザインこそ生きる道。
地元でわかるデザインにしないといけない。
癖が強いと、担当者が敏感に反応する。理解しやすい既視感のある表現で見せないといけない。
余白に慣れていない担当者から、隙間ばかりで落ち着かないから全部埋めてほしい。と言われることもあった。
ある一文字だけを大きくしたり、不自然な文字組みにすると、なんでこんな変な組み方にするんですか?全て同じサイズで、普通に戻してください。と差し込みが入る。どこでメリハリをつけ、デザインの面白さを語ればいいのか。
ポートフォリオは、個性を出さないほうがいい。
(20年前の地元営業での結論)
そう頭を切り替えた。これが私の第1次・駆け出しデザイナー期の営業での苦い思い出となった。もちろん、たった数件の営業での判断ではない。その後の営業まわりでも同様に個性を嫌悪され、ブックを見せると担当者様はどう判断していいかわからず、しどろもどろになる。あまりに「東京、東京」と言われるので、この出来事がきっかけで東京上京を果たすことになった。
そんな私が、7年の上京暮らしを経て地元に戻り、育児ブランクを乗り越え
第2次駆け出しデザイナーとして営業活動を始めようとしている。
その話が冒頭の「#デザイナーの自己分析」です。20年後に出したポートフォリオへの結論が、この話と真逆で笑えます。こちらもぜひ。↓