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誰かの役に立つために、特別な行動は必要ない。――中島岳志『思いがけず利他』
気が利く人とおせっかいの違いってなんだろう。
どっちも、相手のためを思ってやっているはずなのに、方や有難い存在で、方や迷惑な存在。
では気が利く人であればいいのかというと、そうでもなかったりする。
たとえば、友人と飲み会に行くとする。
大皿で食べ物が出てきたらすぐに取り分けてくれたり、コップが空いたら気にしてくれたりする人。すごく気が利くなと思う。
でも正直、自分でやるのに、と思う。各々が好きな分だけ取ればいいじゃんと。気にかけてもらうとこっちも気にしなきゃと思って、気疲れする。
こんな感じで受け手がひねくれていると、せっかくよかれと思ってやったことも、マイナス効果になってしまうのだ。
とはいえ、受け取り方なんて千差万別なんだから、いちいち気にしていたら何も動けなくなってしまう。
そう、自分がやったことが相手のためになるかは、相手の受け取り方次第。それは自分がコントロールできることではない。
たしか、『嫌われる勇気』にもそんなことが書いてあった気がする。「こんなことして嫌われたらどうしよう」と思っても、嫌うかどうかは相手次第だから考えても仕方がない。課題の分離、だったかな。
とはいえ、人の役に立てる人間ではありたい。利己的ではなく、利他的でありたい。
じゃあどうすればいいの?
そもそも利他的ってどういうこと?
というのを、あらゆる方向性から紐解いていったのが『思いがけず利他』。
落語にはじまり、仏教、民芸、料理、ヒンディー語、のど自慢、JPOPの歌詞…多彩な事例が面白い。
しかも、わかりやすい。
哲学的で難しい話題を、こんなに読みやすく書いてくれるなんて!と感動。
本当に頭がいい人は優しい言葉で説明してくれるって言うけれど、まさにこの本はそれを体現している。
さて。
本のタイトルにある通り、利他は「思いがけず」やってくるもの。
「あなたのために」とかそんな思いは必要なくて、何の気なしに言った言葉が相手の人生の転機になっていたりする。
その「何の気なし」は、日々の自分の積み重ねの結果、自然と生まれてくるもの。
そしてその何の気なしの行いが利他かどうかを決めるのは、今の自分ではなく、未来の誰か。
だから、毎日を誠実に精いっぱい生きることが、結果的に誰かのためになる。かもしれない。でもそんなこと、今の自分にはわからない。
わからないからこそ、特別なことはいらなくて、ただ、丁寧に生きる。それだけ。
実はこの本を読んだのは1年ぶり2回目なのだけれど、まだ私の中でも落とし込みきれていないなぁと思う。読みやすくて、なるほどーとも思うのだけれど、やっぱり難しいテーマではある。だからこのnoteも、ふわふわーっとしか書けていない。
もどかしいなぁ。ぜひ読んでもらいたいんだけど、うまくその魅力を伝えられん!
でも、前回よりは少し解像度は上がったような気もしている。これからも定期的に読み返したい一冊。