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私を包む希死念慮【デフォルト】


初めて希死念慮っていう言葉を知った時、
あ〜これこれぇ〜!ってなったことを覚えている。

私は、24時間365日死にたい。
もっと正確に言うなら消えたい。

言葉にすると大変重たく、字面だけでも深刻で暗い感じが漂っていて、世間的にも死にたいなんていう言葉は良い言葉ではないし、病んでんじゃんって思われそうな表現だけど、そういうことじゃないんだなこれが。そんな暗くないというかなんと言うか。

🐈🐈


山田悠介氏のドアDという作品をご存知だろうか。
簡単に説明させて頂くと、生き残り脱出ゲームの話。最初は数人いた仲間たちが1つの部屋を脱出するごとに誰か1人を生贄にしてそれを繰り返して最後1人だけ生き残るという話。水が溢れてきて溺死する部屋とか電気が流れてきて死ぬ部屋とか色んな部屋があって、死ぬ1人を選ぶために毎部屋罵りあって擦り付けあうんだけど

「私だったら立候補者するわ」って思っていた。
みんなに感謝までされて、最後死ねるなんてアリだろ〜痛いのとかは嫌だけどな〜と山田悠介氏もびっくりな感想を抱いていた。これ中学生時代。山田悠介旋風、リアル鬼ごっこ、パズル、親指さがし。皆で回し読みをしていた。懐。

ドラマでよくある立て篭り事件やバスジャックも。いやいや、私がおったら人質になってあげるのにって見ながらいつも思ってしまうのだ。

だから初めて精神科に行った時、
死について考えたりするかな?って聞かれて困った。鬱症状の1つ「死にたいと思う」、これは私にとってデフォルトだ。気付いた時には備わっていた初期装備。でもそんなこと一から説明する気力も無くとりあえず頷いたことを覚えている。

だから、死にたいって思います鬱です病気です
っていうのではなくて
寝たり食べたり靴を履いたりするという行動と同じ土俵に死にたいと思うっていうのが私にはある。


仕方が無いから生きている。
何故か生まれてきてしまったから生きている。



よく聞く2つの論争

①もっと生きたい人もいてるのに論争
②産んでくれた親に失礼論争

①もっと生きたい人もいてるのに論争

そうですよね。なりたくもない病気に罹患したり、突然の事件や事故に巻き込まれたり。将来に希望もあって愛する家族もいて、まだまだ生きていたいのにそれが奪われるのって残酷。だから可能なら余裕で私の寿命をあげたいです。今すぐ無償で渡せます。だから死にたいなんて失礼!!じゃなくて、恨む対象はこれを実施できない世の中、遂行させる力のない神様じゃないですか?

②産んでくれた親に失礼論争

産んでほしいって私言いましたか。信じられないぐらい冷たい思想だって分かっているけどこう思わずにはいられない。口が裂けても言えないけれど心の中ではこれが消えてくれない。勝手に人生をスタートさせられて、一生懸命真面目に生きてきた。でもいつも悲しくて虚しくて空っぽで。楽しめないのも努力不足ですか?こんな辛い思いをさせる為に産んだんですか?こんな親不孝者が欲しかったんですか?親が嫌いとかではなくて好きだからこそ苦しい。

🐈🐈


でももしかしたら、本当に本当にもしかしたら、

これから大好きな仕事に出会えたり、
好きな人ができて結婚したり、子どもができたり、
今はまだ想像もできない何かが起きたりしたら
生きたいって思うのかもしれない。

そっちの世界はどうなんだろう。
死を怖がる世界も辛いのだろうか。

今の私は何なんだ。ちょっとだけ不良品なのか。

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