「私の贅沢な時間の使い方」
私は庭園が好きだ。
京都に住んでいる時は、色んな庭園に行くことができた。
庭園の仕組みとか誰が作庭したとか、そういうのが詳しいわけではなく
ただただあの空間が好きなのだ。
もちろん人気のある有名な場所だと
なかなかゆっくり楽しむことはできない。
でもそれは当たり前のことなので、そういう場所に行くときは
やはり平日に時間帯を考えて行っていた。
けれど、庭園を楽しむにはお金がかかる。
みなさんご存知の通り、拝観料は結構お金がかかるのだ。
それでも数ある庭園の中から色々と調べあげ
興味が湧いたところには結構行くことができていたと思う。
庭園を訪れるにあたって、自分の中で決めていた
ルールのようなものがある。
それは「一日一つの庭園にすること」である。
欲張って、一日にいくつもの庭園を見たい気持ちはあるのだが
そこはぐっと我慢して気持ちを抑える。
一日一つにすることが大事なのだ。
私は幸いにも京都市に住んでいた為
見たい庭園は行ける距離に沢山あった。
なのでその特権を生かし、その日に行けなくても
またすぐ次の日に行くということが可能だったのだ。
一日一つにする理由は、とにかく庭園を堪能するためだった。
余裕をもって時間を用意すれば、庭園の空間をたっぷり堪能できる。
というのも、例えば人が沢山いたとする。
みんな庭園を座って眺めながら、もちろんのんびりする。
しかし、そののんびりの「もっと上ののんびり」を
こちらが用意していたとしたら…?
普通はのんびりするといっても
次から次へと他の観光名所を見て回る人が多いので
結構忙しく帰っていく。
のんびりしようと思っても、せいぜい10分か。
長くて30分もいないだろう。
人の入れ替わりはあるものの、やはり途切れる時が必ずくるのだ。
するとさっきまでのざわざわした雰囲気はどこかへ行き
そこには誰もいない空間が生まれる。
もちろんぽつりぽつりと人が来て、途切れないこともあるが
大人数がずっと続くわけではないので
時間をかけ待っていれば本当にのんびりできるのだ。
特に人数が少なければ少なくなるほど、みんな小声になっていく。
さらにはほとんど話もしなくなり
結局は静まり返る、という不思議な現象も今まで沢山あった。
この空間を楽しむためにはたまたま運がいいか
又はこうして時がくるのをじっと待つかになる。
なので、時間の余裕というものがとても重要になってくる。
一般的には旅行は一つの所にそこまで時間を使っていられないと思う。
限られた時間を使い、効率よく色んな所を回る。
できる限り沢山の場所に行くには
時間の余裕はなかなか作れないものだ。
そういう意味では私も京都に住んだからこそ
やってみようと思えた贅沢な楽しみ方だった。
今までに何度か引越しを経験しことにより
いつまたこの土地を急に離れることになるのか?
という思いが常にあった。
だからこそ、今この瞬間を楽しもうという気持ちが
すごく強かったんだと思う。
そして今こうして自分の楽しみ方を振り返ってみても
あの時のあの時間の使い方は、私にはぴったりだったと思える。
もちろん人間、思い出せることには限界があるのだろうが
それでもその時感じたことを今少しでも思い出すと
とても幸せな気持ちになる。
みんな楽しみ方は人それぞれ。
私の贅沢な楽しみ方はこんな感じでした。
思い出して二度美味しい。
そんな感じ( ´ ▽ ` )
ではまた。