「食べられる夜」 #シロクマ文芸部
これは僕たち夫婦にとっての合言葉みたいなもので
「食べる夜」を選ぶと「晩ご飯を作らない人」で
「食べられる夜」を選ぶと「晩ご飯を作る人」と、なる。
初めて妻からこの質問をされた時はよく意味が分からず
楽そうな感じのする「食べる夜」を選んだ。
すると妻は「はいよ~」とにっこり笑って
鼻歌を歌いながら夜ご飯の準備を始めたのだった。
それからというもの、時々妻からこの質問をされるようになった。
しばらくは僕もその質問には決まって「食べる夜」を選んでいたのだが
妻があまりに楽しそうに晩ご飯を作るので「食べられる夜」の方も
実はちょっと気になってきていた。
でも実際には僕は料理なんてできないし、そんな僕が
「食べられる夜」を選んでいいものかと思う部分もあった。
しかしそんなことを考えていたある日、妻が突然
「わたし今日は『食べる夜』を選ぶわ」と言った。
今まで妻が自分から選ぶことなどなかったので少し驚いたが
これもいい機会だと思い、僕は初めて「食べられる夜」を
経験することにした。
しかしだ。僕は料理が全くできない。
そんな僕でもできる何か簡単なメニューはないだろうか。
冷蔵庫に食材は入ってはいるが、正直僕には手に負えないものばかり。
その中でも見慣れているものといったら、タマゴにウインナー…
よし!これだ!
なんとか今晩の献立が決まった。
妻のエプロンを借りてさっそく調理に取り掛かる。
おっと、手洗い手洗い。
頼む…たまごの殻、入らないでくれぇぇ…
わっ!油がはねた!またはねた!こいつめ!
その後も妻が見守る中、僕は激しい格闘を繰り広げた。
そしてようやくできたのがこれ。
その名も「夜に食べる朝定食」だ。
実に調理時間一時間半超えのスペシャル定食である。
(洗い物はカウントせず)
僕って何もできないんだな。まぁわかってたけど。
はぁ…ため息が出る。
反対に妻はいつだって鼻歌なんか歌って楽しそうに軽やかに
「食べられる夜」を全うしているのに。
「わぁ美味しそう!いただきます!」
モグモグと頬張る妻を見て僕はとても愛しいと思った。
僕のこんな料理でも喜んで食べてくれるなんて…
作ったものを美味しい美味しいと食べてくれる妻に
心から感謝の気持ちが湧いてくる。
そうか。「食べられる夜」って、こんな気持ちなのか。
僕は妻のご飯をこんな風にちゃんと味わっていただろうか…?
居たたまれない気持ちでいる僕の目の前で
妻がモグモグしながら「美味しいねぇ」とまた笑う。
そんな妻を見て僕も自然と心が落ち着いてくる。
僕は今日初めて、合言葉に隠されている本当の意味を知った気がした。
「『食べられる夜』ってどう?案外楽しいでしょ?」
僕は小さく頷く。
「あのさ。いつも…美味しいご飯、ありがと」
妻はふふっと笑いながら二人分のお茶を入れる。
今度の「食べる夜」「食べられる夜」はいつだろうか。
次に選ぶ「夜」はもちろん
僕の中ではもうすでに決まっている。
【おしまい】
***
今週のシロクマ文芸部でした🐨
ではまた。
最後まで読んでいただきありがとうございます🐨! いただいたサポートは創作の為に大切に使わせていただきます🍀