書くことで記憶を辿る。
noteを書き始めてからは
自分の持っている写真を使いたくて
色々と昔の写真を漁っている。
写真のデータを探し始めると、これがもう止まらなくて‼︎‼︎
探しながら色々見ていると
以前撮った時の記憶が蘇ってきたりする。
この時はこうだったな〜とか
あの時は大変だったな~とか、まぁ色々。
自分が訪れた場所の記事を書いたりすると
旅行した時の写真を見ては懐かしくて
楽しかった記憶もどんどん溢れてくる。
特に京都の記事なんかは、実際にそこに住んでいたということもあり
旅行というよりはお散歩がてらに行っていたような場所。
だから、その時歩いたお散歩コースや一緒に歩きながら
話した内容なんかも思い出したりする。
それがとても楽しいし、嬉しいのだ。
ずっと眠っていた写真たち。
記事を書くことで、この子たちがきらきらと輝き出す。
それまではひっそりとしまわれたままだった。
時々思い出した時に呼び出されるくらいだったね。
本当にごめん。
たしかにただ保管しているだけで、振り返って見るのは
本当にたまにしかなかったね。
でも今は違うよ。
今まで撮ってきた様々な写真たちをじっくり眺めている私がいる。
そして今私の中で、それはとても幸せな時間となっているんだ。
「こんなに楽しんでいたんだなぁ。なんて幸せ者なんだろう。」
今はこんな風に思っている。
別に自分が不幸だなんて思ってはいなかったけど
特に何も意識していなかったというのが本音で。
けれどこうして写真を見て自分がしてきたことを振り返った時
こんなに幸せに暮らしていたのだと
感謝する気持ちが生まれた。
遅くなってしまったけれど写真たちへちゃんと
伝えなきゃいけない。
生まれてきてくれて
本当にありがとう。
そしてさらに、お礼を言いたいことがある。
繋がっている全てのことに。
本当にありがとう、と。
過去を見過ぎて過去に囚われたり縛られたりするのは
良くないと思うけれど
過去を振り返ることでこうした感謝の気持ちが
生まれることもあるんだと思う。
写真たちと会話して、その記憶たちとも会話して
会話した内容を大切に記事にしていく。
書くことが、昔の自分と今の自分をちゃんと繋げてくれている。
今の自分には、このことに感謝しかない。
どんどん増えていく写真たちをそのうち整理しなければならないが
これについては、もう少し先になりそうだ。
日常の何気ない写真も大好きで、なかなか手放せない。
もしこれを失ってしまったらと思うととても怖いのだが
もし失ったとしてもそれでも私はまた、新しく色んなものを
いっぱい写真におさめていくのだろう。
全て失ったら終わりではなく
またそこから
始めていくだけだ。
それはかっこいいことでもなんでもなくて
ただそれをする事しかできないし
止めることができないんだろうと思う。
だから今は自分が反応した沢山のものを
迷わずに撮り続けたいと思う。
ただそれだけだ。
また今日も新たなものを書くために
写真たちに会いに行く。
そしてこの子たちと、あーでもないこーでもないと言い合って
ゆっくりとじっくりと
選んでいく。
そのたまらなく好きな時間に溺れながら
書くための準備を
こうしてしているのだ。
さてさて今日も
始めるぞ。
ではまた。