ねぼろく

『少女☆歌劇レヴュースタァライト』を中心にアニメの批評・考察系のnoteを書くオタクです。

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最近の記事

スタァライト -The MUSICAL- 別れの戦記感想

最高だった。脚本も素晴らしく、演技と歌唱も大迫力で、自信をもって「卒業後」の彼女らが演じていたと感じられるような、非常に満足できる観劇体験だった。本稿では、そんな『別れの戦記』初演の感想を、備忘録として綴る。 真面目な分析(的なもの)スタリラを履修せずに観たが、非常に面白かった。一人一人の異なる考え/高度や2人の間の関係性が、組み合わさって大きなうねりとなって物語が駆動していく、群像劇としての完成度が非常に高い作品であると感じた。 中でも特に、エイラとフィオナの関係性が非

    • ジェンダーの切り口から見た、イベント「荊棘の道は何処へ」感想 〜私たちが暁山瑞希を苦しめる「男子生徒A,B,C」にならないために〜

      1. はじめにゲーム『プロジェクトセカイ』内でのイベント「荊棘の道は何処へ」を機に、3年半ほどリズムゲームとしてのみ続けてきたプロセカのストーリーを読み始めました。「25時、ナイトコードで。」のキーストーリーをざっと読んだだけですが、メンバーそれぞれの「消えたい」という息苦しさを丁寧に、そして誠実に描いているという点で、非常に好印象を受けました。そして同時に、一人のオタクとして、そして現在進行形でジェンダー/セクシュアリティについて(専攻しているとはいわないまでも)大学であ

      • 「卒論合同」感想⑨ 〜IX 最後のセリフ〜

        期間が空いてしまいましたが、前回に引き続き、感想を綴ります。これまでの記事はこちらから。 9-1. 「愛城華恋にとっての舞台とは何か?」 かとー(@Bigtop18)氏 華恋がいかに「再生産されるか」を考える際に重要なところがまとめられていて良かった。本稿は、「最後のセリフ」における華恋の「死」(やそれに対するひかりの反応)が演技であると指摘するが、この指摘は全く妥当であると考えるし、それが「私"も"ひかりに負けたくない」というセリフに繋がるという視点は新たなものだった。

        • 舞台創造科による「再演」と「再生産」〜〜『舞台奏像劇 遙かなるエルドラド』感想〜〜

          本稿では、『少女☆歌劇レヴュースタァライト 舞台奏像劇遙かなるエルドラド』について考えたこと、感じたことを綴る。 1. ななによる「再生産」と舞台創造科まず、個別のストーリーに着目すると、『劇場版』を踏まえた「その後」の物語として、良い仕上がりだったように思う。より具体的に言えば、舞台に立つ覚悟を決めさせ自覚的に「スタートライン」に立った『劇場版』を踏まえて、どのようにして舞台に立っていくかという「一歩目」の物語になっていただろう。すべてのルートについて一貫して、「目の前の

        • スタァライト -The MUSICAL- 別れの戦記感想

        • ジェンダーの切り口から見た、イベント「荊棘の道は何処へ」感想 〜私たちが暁山瑞希を苦しめる「男子生徒A,B,C」にならないために〜

        • 「卒論合同」感想⑨ 〜IX 最後のセリフ〜

        • 舞台創造科による「再演」と「再生産」〜〜『舞台奏像劇 遙かなるエルドラド』感想〜〜

          Aqours Finale LoveLive!の発表から1ヶ月経って

          Aqours9周年となる2024年6月30日にAqoursとしての最後のワンマンライブ「Aqours Finale LoveLive!〜永久Stage〜」の開催が発表された。同時に、それ以降のワンマンライブが開催されないことも。それほど熱心にAqoursの活動を追ってこなかったのに(だからこそ、なのかもしれない)、とても寂しかった。Aqoursのみんなが決めたことだってわかっていても、いつか必ずこの時が来るとわかっていても、それでも切なかった。 もちろん、Aqoursは明確

          Aqours Finale LoveLive!の発表から1ヶ月経って

          私たちはもう、生まれながら舞台少女〜〜『舞台少女心得』を読む〜〜

          1.はじめに過去に、以下のようなツイートをしたことがある。 しかし最近になって、こうした解釈が正しくないのではないかと考えるようになった。つまり、『舞台少女心得』の歌詞は劇場版のテーゼを見越した形で書かれたわけではなく、むしろ歌詞を読む「我々」の側の変容により、そのように歌詞が解釈されるようになったのではないか、と考えるようになったのである。 本稿では、対照的でありかつ類像的な『私たちはもう舞台の上』を補助線としながら、『舞台少女心得』の歌詞を読解し、それを通して、以上の

          私たちはもう、生まれながら舞台少女〜〜『舞台少女心得』を読む〜〜

          「大事なことは舞台を降りて言ってよ」〜〜露崎まひる小論〜〜

          1.はじめに先日配信開始された『Star Darling』に私を含む多くのファンが衝撃を受けた。中でも注目に値するのは、露崎まひるの唯一のソロパート「ねぇ 大事なことは舞台を降りて言ってよ」である。これは表面的には、劇場版における大きな結論の一つである『私たちはもう舞台の上』と矛盾しているように見えるかもしれない。実際、「舞台を降りる」と言うことが明示的に示されたのは少なくとも私の把握している限りでは初めてで、「舞台の上」での振る舞いにこだわってきたスタァライトシリーズにおい

          「大事なことは舞台を降りて言ってよ」〜〜露崎まひる小論〜〜

          「卒論合同」感想⑧ 〜VIII 魂のレヴュー〜

          前回に引き続き、感想を綴ります。これまでの記事はこちらから。 8-1. 「魂のレヴュー 毎秒感想」 らいせ(@20161018Wt)氏 読んでいて楽しかった。整理されたツイートを読んでいるようで、その一方で興奮や感情が全面に出ていて、面白かった。 考察の部分はほとんど完全に同意する。付言すれば、皆殺しのレヴューで真矢が敗れなかっことがクロディーヌを「再生産」させ、そのクロディーヌが真矢を「神の器」なる幻想から覚めさせたのであろう。 8-2. 「舞台少女の生まれ変わり ー

          「卒論合同」感想⑧ 〜VIII 魂のレヴュー〜

          劇場版の「市民革命」と「脱構築」〜〜『少女☆歌劇レヴュースタァライト』論後編〜〜

          ※※本稿には、歴史学や哲学などの専門的な知識が出てきますが、筆者はそれらに関する体系的な教育を受けておりません。誤った箇所や不完全な記述にとどまっている箇所がある可能性があります。その点をご承知の上お読みください。※※ 1. はじめに前半の内容をまとめると、以下のようになるだろう。 これを受けて、後編となる本稿では、上記のような階層構造が内側から崩壊し、完全に平準化された「平等」のもとに置かれていくことを、そしてそれこそが「私たちはもう舞台の上」ならびに「再生産」という劇

          劇場版の「市民革命」と「脱構築」〜〜『少女☆歌劇レヴュースタァライト』論後編〜〜

          第1回スタァライト学会 感想

          本記事は、2024年2月23日に開催された「第1回スタァライト学会」のレポートです。 1. 開催までそもそも『劇場版』読解をいろんな人と共有したい/意見交換をしたい、という思いでnoteやtwitterを開設したので、「卒論合同」から派生する形で生まれた「学会」を見て非常に気になっていました。そこに運営募集の案内が流れてきたので、末席ながら加わらせていただきました。(運営としての準備の中でも色々と感じ入ることはあったのですが、どこまで書いていいかわからないので割愛します。)

          第1回スタァライト学会 感想

          想像/創造/奏像される『エルドラド』〜朗読劇『遙かなるエルドラド』感想〜

          2023年12月17日から18日にかけて公演された朗読劇『遙かなるエルドラド』。本稿は、その感想を記すとともに、そこから考えたことをまとめる。 1. 微妙だった率直に言えば、あまり刺さらなかった。し、加えて『劇場版』で込められていたメッセージのようなものは反映されていなかったような気がする。 簡単に言えば、ストーリーが単調に感じた。少年と少年が約束して、青年になって裏切って、恋愛の中で女性がそれに巻き込まれていく。こうした物語の筋は非常にありきたりなように思われた。もっと

          想像/創造/奏像される『エルドラド』〜朗読劇『遙かなるエルドラド』感想〜

          「卒論合同」を読んでいる話、あるいは「喧嘩上等」宣言(スタァライトアドカレに寄せて)

          (この記事は、ぼくのわたしのスタァライト 第二幕 Advent Calendar 2023に参加しています) 2022年10月10日に刊行された『舞台創造科3年B組卒業論文集』。『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』への想いがふんだんに詰め込まれた合同誌であり、管見の限り最も規模の大きい『スタァライト』の考察記事(集)である。 そんな「卒論合同」を、私は読んでいる。膨大な量の「卒論」を読んで、感想をnoteに残している。それは、非常に楽しい営みであると同時に、非常にエ

          「卒論合同」を読んでいる話、あるいは「喧嘩上等」宣言(スタァライトアドカレに寄せて)

          ネクタル、睡眠退散、トマトに関する議論の軌跡

          先日投稿した卒論合同感想note⑦をきっかけに、「ネクタル」「睡眠退散」に関する議論が月嶹ぽらるさん(@tsukipola)と盛り上がり、それがとても良い結論に達したように感じたので、備忘録としてここに残します。 きっかけ:ねぼろくのコメント 議論の対象となったのは、大道具室のシーンと「魂のレビュー」直前の楽屋のシーンに共通して登場する「ネクタル」と「睡眠退散」の位置付けに関して。「『睡眠退散』を飲むということ」という記事への感想・コメントとしてあげた以下のような文章に、

          ネクタル、睡眠退散、トマトに関する議論の軌跡

          「卒論合同」感想⑦ 〜VII 楽屋〜

          前回に引き続き、感想を綴ります。これまでの記事はこちらから。 7-1. 「『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』ロングラン上映と座席稼働率の調査レポート」 あさだ(@k_Asada87)氏 書き出しから笑ってしまった。「集団幻覚かもしれないからそれを検証しよう!」という動機は初めて見た気がするが、その気持ちもわからなくはない気がする。集団幻覚でなくてよかった。ただ、集団幻覚だったとしても、それが我々の人生に及ぼした影響(非常に重大な!)は変わらないので、その意味で「集

          「卒論合同」感想⑦ 〜VII 楽屋〜

          自分を生きる、世界を生きる 〜『幻日のヨハネ』考〜

          1.  はじめに 〜鏡の中のサンシャイン〜「幻日とは、太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象のことである」(Wikipedia)。そしてアニメ『幻日のヨハネ』とアニメ『ラブライブ!サンシャイン‼︎』との関係は、これに類似している。よく似た登場人物なのに、全く違う物語。けれどどこかよく似たモチーフやメッセージ。 以下では、「鏡の中のサンシャイン」とも言える(自らが名乗っている)世界の中で、ヨハネやその他の登場人物たちがいかに生きているのか、そして、物語の中

          自分を生きる、世界を生きる 〜『幻日のヨハネ』考〜

          「卒論合同」感想⑥ 〜VI 狩りのレヴュー〜

          前回に引き続き、感想を綴ります。これまでの記事はこちらから。(製作委員の方にまとめていただいていました。ありがとうございます。) 6-1. 「大場ななはなぜ星見純那を殺せなかったのか ー狩りのレヴューに見る三島由紀夫の死とエロスー」 たちかぜ(@SteelRain_Lily)氏 まず、切腹における「見る」「見られる」の構造の指摘は興味深かった。その上で、本稿で指摘されていた「舞台」という要素もさることながら「映画」の要素も同様に重要であろうと感じた。というのも、狩りのレヴ

          「卒論合同」感想⑥ 〜VI 狩りのレヴュー〜