第1回スタァライト学会 感想

本記事は、2024年2月23日に開催された「第1回スタァライト学会」のレポートです。

1. 開催まで

そもそも『劇場版』読解をいろんな人と共有したい/意見交換をしたい、という思いでnoteやtwitterを開設したので、「卒論合同」から派生する形で生まれた「学会」を見て非常に気になっていました。そこに運営募集の案内が流れてきたので、末席ながら加わらせていただきました。(運営としての準備の中でも色々と感じ入ることはあったのですが、どこまで書いていいかわからないので割愛します。)

2. 口頭発表

一言でまとめると、終始面白かったです。笑ったり、大いに頷いたり、首を傾げたりしていました。特に面白かったのがまるのゐさんの発表で、物理的な高度と精神的なオンステージ-オフステージの区別を一致させる、という主張には非常に納得させられました。
(落下を中心とした上下移動を扱った文献として、以下の記事があります。併せて読んでみるのも面白いかもしれません。)

逆に私の考えと(部分的に)相違があると感じられたのは「フローラとクレール」の問題です。会場ではそれぞれがフローラ役とクレール役のどちらなのか、という枠組みの議論が展開されていましたが、より柔軟に、「フローラ的な/クレール的な要素」を、その時々の関係性の中で引き受けている(共に有することも少なくはない)というように解釈するのが良いのではないか、と感じていました。
(休憩時間の間にも個人的にお話ししていたのですが、この点に関する重要な文献として、以下の記事が挙げられると思います。というのも、ここでいう「フローラ」と「クレール」の機能が、記事内での「イヴ役」と「蛇役」の位置付けに重なるところがあるからです。)

こうした問題に関して、帰宅した後ぐるぐると考えた結果、今のところは「そうした二項対立自体も、実は『劇場版』において解体されているのではないか」という結論に自分の中では落ち着いています。こうした思考の枠組みはポストモダンと呼ばれる思想の潮流にあり、それが自分に最もあっているなぁと感じました。(あるいは逆で、『劇場版』は根源的にポストモダン的な思考の枠組みに基づいて構成されており、それが私の自己の形成に非常に大きな影響を与えているが故に、馴染みやすいのかもしれません。)その意味で、ささらふさんの発表と非常に相性が良かったように思います。以下の拙稿で論じた部分と非常に共通する部分があり、終始頷きながら聴いていた一方で、バルトの「作者の死」やそれに対するフーコーの批判をちゃんと読まないとな、と思わされました。

3. ポスター発表・パネルディスカッション

この辺りから体力が切れてきて、あまり頭が回っていない状態でした。議論の輪にじんわりと入って話を聞いたり、自分があまり明るくない側面/分野の話を聞いてへぇ〜〜となっていたりしました。資料やアーカイブで復習できたらいいな、と思っています。

本物学会は未経験ですが、ポスター発表やパネルディスカッションにおける議論の「グルーヴ感」というか、その場にいろんな人が居合わせるからこそ見えてくるものが本当に多く、非常に楽しかったです。

4. Memory of Revueをみんなで見ようのコーナー

会場の空気が変わって本当にびっくりしましたし、かなり爆笑していました。本当に同じ人たちでしたか???直前に急ぎで購入しざっと目を通してから臨んだのですが、そこでの感覚とは全く違う感覚を味わえて、非常に面白かったです。

(少し急ぎ足になっていて飛ばされちゃったんですが、共演のレヴューの最後のシーンの直前のカットシーンが本当にめちゃめちゃいいのでぜひ見てください。)

5. まとめ

一言でまとめると、本当に楽しかったです。そして、運営の立場から見ると、反応を見る限り参加者の皆さんに楽しんでもらえたようで良かったです。また、交流してくださった方々はありがとうございました。今後も継続して開催していくので、いろんな人がいろんなスタァライトの側面に触れる機会になるといいな、と思っています。どんどん交流の輪を広げるとともに、それを通じて自らの考察を深めていきたいですね。

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