おかえり夜
月がまるい。やっと夜が来た。夜が来ると安心するようになっていることに気づく。昼のひかりだって好きだよ。明るいうちのお昼寝は心地よいし、暗闇が怖かった時期も長い。
月がまるくて明るい。あしたは満月なんだって。中秋の名月か、とスーパーマーケットの中で思う。陽が沈むのも早くなり、用事を済ませ夕飯の買い物に出たら思っていたより陽が落ちていた。たぶん、車のライトをつけるかつけないか迷うくらいの。
夜が安心するのはなんでだろう。このところ買い物をしていなかったから冷蔵庫はからっぽに近く、だからきょうの買い物かごはいつもより重いのだった。この夏はおそうめんに助けられて生きた。おそうめんのバリエーション増えたぜ。のっけたり混ぜたりするだけやけどな。おそうめんはいろいろと種類を試した結果、やはり揖保乃糸はおいしいのだと二周くらい回って気づいた。うまく茹であがると炊き立ての新米みたいにつやつやぴかぴかしている。つやつやぴかぴかくらいじゃ言い足りない。つやっつやのぴかっぴか。ぴっかぴか、でもよし。
満月になると月のエネルギーがうんちゃらみたいな話は信じるほうですか。わたしは都合よく取り入れるレベルの知識しか持ち合わせてないし、いまのところ興味のその程度だけど、眠くなったりお腹がすきやすくなったりすることはあるかもしれない。とかいって、きょうはどちらも当てはまらない。動物なんてそんなもんだ。
都合よく取り入れるレベルの知識、といえば、最近ちゃんと学ぼうとしているポリヴェーガル理論。わたしの持ち得ている基礎知識と本の難易度がつりあっていないのは目をつぶって、でもあえて専門書を読んでいる。入門書ではあるけれど。「わかりやすい~~」みたいなタイトルの文字の大き目カジュアル本は、ポリヴェーガル理論が特異な雑学みたいに扱われてる感じがしてちょっと気持ち悪い。というか薄気味悪い。「だまされんぞ!」みたいな過剰な防衛反応と猜疑心が一緒になって不全感ばかり残る(のではないかと感じる。その手を読んでいないからわからない)。
興味の対象を褒めているんだか貶めているんだか、な書き方になってしまったが、興味深いことに変わりはないし、だからこそきちんと学びたい気持ちなのだ。早合点して自分の身体に当てはめたりしないようにしよう。つよつよの主観フィルターはいったん横に置いといたうえで、それでも自分にとってどのように作用している理論なのか考えたい。(逆にいうと、それくらいあまりにも理にかなっている理論のように見えるのだ、素人のわたしには)
そして、読んでいるなかで書き残しておきたいことを山のように見つけている。時間ない、時間ない。二十四時間のやりくりがへたっぴなの。
何を書いていたんだっけ。ええと、月がまるい。今年は中秋の名月と満月が一日ずれているから、中秋の名月の今夜は十四夜みたいな月。14.6夜くらいかなあ。満月点はあすの十一時半あたりだったから、日が落ちて眺められる月も14.7夜くらいかな。明るいときにまんまるなのね、お月さまよ。ひっそりまんまるになっておいで。あした、おかえり、って上向くね。