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単純だけれど着実なこと

深夜二時四十分。そろそろとベッドからはい出し、台所へ向かう。冷蔵庫から卵を取り出す。みっつ。いや、よっつ。小鍋に入れ、ひたひたの水を入れて火にかける。

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眠れないでいた。寝る前のルーティンをこなし、あしたも仕事なのだから、と部屋を暗くして横になっていた。眠れない。頭が騒がしい。途中、あきらめて本を読んだり、よくないとわかっていながらスマホ画面をのぞいたり、無心でストレッチをしたりした。けれど、どうやっても偏った脳の覚醒がおさまらない。
自分の、見えない内側のどこかがざわざわしていた。ふいに涙が出る。この涙は、べつに溜めていたわけじゃないのに。

タオルに顔をうずめる。左側を下にして横向きになっていたら、右目から出る涙は鼻の上を通って左目にたまった涙と合流し、表面張力が崩れるように左目からわっとあふれる。こめかみを通過し、涙は左耳に触れる。自分のものなのに目が覚めるようにつめたい。ぴちょんと触れる左耳の先の水は、砂漠でのむ水みたいに透明だ。見えないけれどわかるんだ。それが透明だって。つめたい。水はどんどんあふれる。鼻の上からこめかみにかけて小川が流れるみたいに、細い細い小さな水の流れができる。

左頬とタオルはぐっしょり濡れて、髪の毛は湿った耳にまとわりつく。鼻が詰まって呼吸が苦しい。口を開けてはあ、とか、すう、とか音を立てながら息をしていたら、涙は小休止した。鼻をすすり、とてもひとには見せられないであろう顔をタオルで拭う。涙と鼻水でじわりと湿っている。どうせ体液。どうせ体液。どうせ過去の自分。

休符はお休みじゃなく、次に奏でる音のための準備の時間。音楽でよく言うように、わたしの涙の小休止もまた同じようなのだった。いっときの静けさは、涙をつくる準備期間みたいに過ぎる。体勢を変えた。右を下にして横向きになると、涙を吸ったタオルが右耳に触れる。もう気持ち悪い。もういやだ。準備は整った、さあ。さっきと逆方向の涙の小川を、音も立てずに、光もたたえずに、暗い中を隠れるようにして水は流れる。誰にも見られないように。

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深夜二時四十分。観念した。わたしは起き上がり、台所へ向かう。冷蔵庫を開ける。サイドポケットにお行儀よく並んでいる卵を、みっつ、いや、よっつ。転がすように小鍋に入れ、かぶるくらいの水を入れる。

火を点け、ゆで卵をつくる。静寂の中にひろがるガスの音。台所は、というかベッドの外は空気がつめたく、わたしは冬のあいだよくやるように、火にかけた鍋の上に両手をかざした。たき火の前で手を暖めるおばあさんみたいに。はーー、っと息を吐きながら、ときどき両手を裏返し、ひろげたり丸めたりしながら鍋を見る。あたたかい。動き出す湯の音にすこし希望が見える。気がする。

沸騰したのを確認して火を止める。冷蔵庫から玉葱を出す。皮をむいて、できるだけ薄くスライスする。野菜を切ると気持ちが落ち着いていく。そう、これも江國香織の小説だったか。『ねぎを刻む』知っているひといますか。これもまた中学生の頃に初めて読み、なんて粋な機嫌の取り方なのだろうと感動し、わたしも真似するようになったのだった。けれども、無論、わたしがねぎを刻むのはその必要のあるときにしかできない。ねぎ、玉葱、キャベツ、にんじん、いまの時期なら白菜、大根も。ただただ、細く、あるいは薄く、切っていく。自作のカット野菜は、野菜を刻む必要のない健康な精神状態のわたしを大いに助ける。あるいは、野菜を刻むだけではどうしようもできないほど不健康な状態のわたしをも。

頃合いを見計らって卵を鍋から取り出す。冷水にさらして、わたしは卵の殻をむく。いい加減に寒くなって、カーペットの床に座り込む。よっつの卵をむいていく。卵のお尻というのか、下の部分にこんこんと割れ目を入れてからむくと、つるんとむける。冷えた指先にむきたての卵が触れる。卵は赤ちゃんみたいな体温をしている。ほんのり温かくて安心する。

よっつむき終えたら、あんなに泣いていた自分が少し過去になった。

スライスした玉葱とゆで卵のサラダにしよう。マヨネーズをかけて。塩と胡椒とオリーブオイルでもいい。ああ、すっかり次に来る朝のことを考えている。夜なんて明けないで、とあんなに願っていたのに。まな板と包丁を洗って、火の元を確かめてベッドに潜る。涙で湿ったタオルはつめたい。さっきまでの自分の涙は、まるで他人のものみたいにつめたい。


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