寝入りしなの二枚貝星雲
序
昨夜は久しぶりに夜更かしをしてしまった。何をしていたかと言えば、このホームページを作っていた。今年は作家活動に打ち込む年と決めているので、営業の顔を作るべく一念発起したのだ。
一旦スイッチが入ると止められなくなり、逆にその好機を逃すといつまで経ってもやる気が起こらないとわかっているので、勢いに任せ気付いたら夜中の3時半になっていた。もうそのまま徹夜してしまえば良い気もしたが、風邪を引いたりすると嫌なので寝ることにした。
私は基本的には日付が変わる前に眠るので、こういうことはけっこう珍しい。私の早寝は世間からはよく「えらい!」とか「自己管理ができている」と好評価をいただけることが多いのだが、そんな褒められるようなものでもない。ただただ本当に、遅い時間になると眠れなくなるのだ。私はいわゆる「脳のエンジンが暴走しやすい(ハイ状態が長く続く)」タイプで、午前0時を過ぎるとフルスロットルモードになりやすい。
これは、ただ単に眠れない状態とはちょっと違うのである。不安があるとか、嫌なことを思い出して眠れないこともよくあるが、「脳のエンジン暴走」による不眠は完全に神経の問題なので、分けて捉えることにしている。これは一旦起きると数日継続することが多く、それで元気なら別に問題ないのだが、運が悪いことに私は身体が丈夫でないのですぐ体調を崩す。そんな訳で、「早く寝る」ことは私という心身を乗りこなすために必須の生活習慣なのである。
読書や映画鑑賞、人との会話、メール、SNS、あらゆるものが脳に興奮をもたらす作用になる可能性があるので、本当はもっとやりたいのに読めない・見れないことも多く、厄介な体質だ。特に映画鑑賞と読書はリスキーで、苦しい気持ちになるものに触れるとほぼ100%で知恵熱が出る。昔はそれを認めたくなくて果敢にチャレンジを繰り返していたが、今はもう諦めた。外で働いていた時は、体調を崩さないように色々と断念してきたが、最近家で仕事をするようになってからは「まあ最悪熱が出ても働けるし」と気持ちが大らかになれている気がする。
でも、悪いことばかりでもない。頭がフルスロットル状態で布団に入ると確かに眠れはしないのだが、いつもよりじっくりと自分の状態を観察できてそれが結構楽しいのだ。
今回は、昨夜(正確には今日)寝入る際に見えた光景について記述していきたい。眠りに入る寸前の意識の状態を観察するのは好きなので、これからもちょいちょい紹介していけたらと思う。
寝入りしなの二枚貝星雲
フルスロットル状態で布団に入り目を瞑ると、脳内で言葉や論理の形をとらない電気信号が大量に行き交っているのが感じられる。とんでもなく早口の何者かが数人、頭脳空間のあちこちでわめき合っているようだ。うるさいな、と思いつつ頭が膨らんでいく感覚が楽しい。火花や流れ星のような光の明滅が瞼の奥の広がりを教えてくれる。そういうとき私の意識は目元あたりにあるのだが、それが不思議でたまらない。でも目がここになかったら、私はあの電気信号を叫ぶ誰かと私の区別が付かなくなるのだろうとも思う。私を縛るものは、私という意識そのものなのだ。
右向き状態から仰向けに寝返った時、目の前が急に明るくなった。細かい繊維のようなものの向こうから光が差していて、頭まで被った毛布を通して部屋の明かりが見えているのだろうと思った。でも私は瞼を瞑ったままだし、部屋の明かりも消したはずなので、そんなはずはないのだった。そういうとき、私は嬉しくなる。目を閉じたままじっとその光景に目を凝らす。繊維の網目の向こうから差してくる光は複雑な形をしていて、何故だか肉眼では一生見ることもないであろう銀河の果てのことを思った。
大島弓子の短編漫画「ジギタリス」では、こういった現象についてこれ以上ないほどの表現を見つけることができる。ー「眠れない時無理に目を閉じているとどこからともなくわいて出て消滅する不定形の発光体」「その1番でかい1番明るい星雲」に「ジギタリス」と名付けたー少年が登場するのだ。私はこれを読んだ時、こんな天才がいるものなのかと思った。やはり同じく衝撃を受けた人がいるようで、2021年に写真家・細倉真弓の企画による展覧会「ジギタリス あるいは1人称のカメラ」がTakuro Someya Contemporary Artにて開催されている。
さて、昨夜私が見た星雲は少々気持ちの悪い形をしていた。毛ガニというべきか、ムカデというべきか。ゲジゲジした足をいっぱいに生やした二枚貝、というのが一番しっくりくるかもしれない。そんなものが私の天空の真上に陣取っていた。その時私はまだ全然起きていて夢を見るような状態でもなかったので、余計に面白かった。まるで3D立体視がバッチリ視えたときのような鮮明さで、ゲジゲジの細部までハッキリと見えたのだ。その時間がどのくらいの間続いたのかはわからないが、そろそろ眺め飽きてきたなという頃合いに二枚貝星雲はすうっと闇に消えていった。
そのあとは、あまりよく覚えていない。1000から1ずつ減らしながら数字を数えたり、自分の皮膚に意識を集中してみたり、フワフワの大型犬と一緒に寝ている妄想をしてみたり、色んなことを試しながらなんとか少しだけ眠れたような気がする。
おわりに
ちょっと軽くレポートするつもりが、思いのほか長くなってしまった。自分の意識のことを書くことは楽しい。先日あったブックイベント「岐阜駅 本の市」でエッセイ人気を目の当たりにし、私も書いてみたいと思って日記風エッセイを書き始めてみたものの全然上手くいかず少し落ち込んでいたけれど、自分じゃない人になろうとしていたから駄目だったんだとこれを書いていて気がついた。
人はそれぞれ気になる部分が違う。日常生活のさりげない幸せに意識が向く人もいれば、自分や誰かの感情のことを考えることが好きな人もいる。それがそのままエッセイや日記の視点となって、だからこそ面白いに違いない。エッセイが人気であるということは、素敵なことだと思った。みんな色んな視点でこの世界を体験したいと思っているのだ。
私はたぶん、自分の意識の状態や脳裏に映ったものを観察して、それを細かく説明することに何よりも気持ちの盛り上がりを感じる。それが私の生き方の癖で、誰かが聞いたらびっくりするようなこともあるかもしれない。自分のことはわかるけど、それがどう捉えられるかはわからない。これが私の目、私の手。書くことはそのまま私をぎりぎりじなじな世界に刻みつけていくことなんだと思った。