ロシア文学秘話:パステルナークとドクトル・ジバコ
詩人ボリス・パステルナークは晩年に長篇小説『ドクトル・ジバコ』を発表した。このロシア革命に翻弄された恋人たちを描いた小説は発表されるとたちまち世界各国に翻訳され、二十世紀ロシア文学の名作と絶賛された。パステルナークは『ドクトル・ジバコ』を書いた功績でノーベル文学賞を取るのだが、当時のソビエト政府の圧力で受賞を辞退する事になってしまった。
これは文学と政治の悲劇のエピソードの一つであるが、しかし一方でこの小説が傑作などではなくただの通俗メロドラマだという批判もあった。そのもっとも強烈な批判者があの『ロリータ』の作家ナボコフである。ナボコフは『ドクトル・ジバコ』をかつての偉大なる詩人が書いた駄作といささかの憐れみをこめて痛烈に叩いている。ナボコフは詩人としてのパステルナークを尊敬していた。その詩人がこんなつまらないメロドラマを書いた事に裏切りを感じたのである。しかしナボコフが駄作と貶そうが『ドクトル・ジバコ』は今もなお名作として読み継がれているし、デビッド・リーン監督による映画も名作として人々に愛されている。今ではパステルナークといえば『ドクトル・ジバコ』を書いた偉大なる二十世紀のロシア文学を代表する文豪であり、その名声は詩人としての名声を遥かに上回っている。
しかしこれはパステルナークの生前からそうであった。彼は『ドクトル・ジバコ』が世界各国で絶賛されていることを知って少し不安になった。ナボコフが指摘したような『ドクトル・ジバコ』の通俗性をパステルナーク自身もはっきりと感じていてそれが変な影響を及ぼさないか心配したのである。僕やっぱり詩人だし小説の書き方知らないから勢いで書いちゃったんだけど、やっぱりあれいけないよなぁ。もっと構成と文章練ってから発表すればよかった。でももう遅いよなぁ。パステルナークの懸念はいろんな文学者が『ドクトル・ジバコ』を二十世紀ロシア文学の傑作と持ち上げ出してさらに深まった。外国から大勢のジャーナリストが押しかけてきて自分の詩業にはまるで触れず『ドクトル・ジバコ』の事だけ聞いてきた。「ジバコとラーラのストーリーをどんな時に思いついたんですか?」「ジバコとラーラをどうして結ばせなかったんですか?」パステルナークはジャーナリストや近所の人々から質問漬けにされて完全に疲弊してしまった。しかし世界の『ドクトル・ジバコ』ブームはもう収まるところを知らなかった。
ある日道を歩いていたパステルナークは後ろから声をかけられた。彼が振り向くとそこには厳しい顔をしている観光客らしいアメリカ人の女たちがいた。パステルナークはまたジバコ読者がサインを求めて来たのかとため息をついてさっと立ち去ろうとしたが、アメリカ人の女たちはその彼を取り囲んで問い詰めた。
「ジバコさん、あなたなんでラーラを見捨てたのよ!あなた良心の呵責は感じないの!ラーラはあなたの子供を妊娠していたのよ!最低、あなた最低よ!」
パステルナークはこれを聞いてコナン・ドイルのことを思い出した。ドイルは生涯自ら作り出したシャーロック・ホームズの幻影に付き纏われていたという。ああ!まさか自分もこんな目に合うなんて!とうとうブチ切れたパステルナークは泣きながらこう叫んだ。
「俺はジバコじゃねえ!詩人のパステルナークなんだよう!