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【うつ病患者が語る】うつ病の人に言ってはいけない言葉は“頑張って“ではなかった話


うつ病の人に言ってはいけない言葉は“頑張って“ではなかった話


うつ病で悩む人もいれば、うつ病の人との接し方で悩む人もいるだろう。
5年前、仕事でのストレスと身内の死亡、恋人とのトラブルがいっぺんに重なりうつ病になってしまった。
もともと情緒は安定する方ではなかったが、極端に人と関わるのが嫌いになり、誰かに怒られるのではないか、こんなだらしない自分は死んだ方がいいのではないかと、自責の念で押しつぶされそうになっていた。

そういえば、私が高校生一年生の頃、仲良くなった友達がうつ病で不登校になってしまったことがあった。

家も知らなかったし、私も部活に勉強と自分のことで必死だったため、学校に来るのを待つだけだった。
結局ちゃんと話せるタイミングがあったのは学年が変わる一年生の最後の月。私は久しぶりに会った彼女の励ましになればと話しかけた。

「私の親戚でも学校を不登校になった人がいるよ。でもちゃんと卒業できたよ。」「私も昔はこんなことがあったよ」

そんな励ましをした気がする。
今思えばかなり説教じみたことを言っていたと思う。

私は元気を出して欲しいとの想いだったが、彼女の顔色はどんどん曇って行った。私も何か様子がおかしいと思いながらもどうして良いか分からず、必死に励ましの言葉をかけた。

そのまま下校時刻になり、俯いたままの彼女に別れを告げその場を離れようとすると、彼女は私の背中をつつき、下向きの笑顔で“ありがとう“とだけ言った。

自分が鬱になって分かったこと

自分自身が鬱になって痛感した。
あの時の笑顔は苦し紛れの笑顔だったと確信した。うつ病の相手を励ますことは悪いことではない。
実際、「頑張って」と言われてそこまで辛さを感じたことはない。

むしろ
「元気そうでよかった」

「みんなそうだよ」

「あんまり考えすぎない方がいいよ」

といった言葉の方が涙が出るほど傷ついた。
その時は何が傷つくのか言語化できなかったが、うつ病と数年付き合ってきて、理解ができた。

うつ病で最も嫌なことは“辛さを理解してもらえないこと“だ。


本当は辛いのに。
“元気そうで良かった“?

こんなに苦しいのに。
“みんなそう“なの?

自分が1番分かっているのに。
“考えすぎないで“?

うつ病患者は笑顔だったり、怠けているように見えても、常に辛さと闘っている。
なのに、他人からは“元気そうだ“とか“考えすぎだ“などレッテルを貼られることが非常に辛いのだ。

でもその“辛さ“は本人にしか分からない。矛盾するようだが、他人が本当の意味で辛さを理解することは無理なのだ。だから、健康な人から「私もそうだった」「みんなそうだよ」と気安く言われるのに苛立ちや悲しみを覚えるのは、仕方のないことなのである。

うつ病で苦しんでいる人へ

鬱状態の時は、自分で自分のことが分からなくなる。何が嫌で何が苦しいのか、何をしたらいいのか。何ならできるのか。

高校生の頃はうまく伝えられなかったが、
私はいま同じうつ病で苦しんでいる人に贈りたい言葉がある。


「できないときはやらなくて良い。できる時にやればいい」

できない時はやらなくていい。何もやらなく良い。その分、いつか出来る時がやってきた時にやればいいのだ。
仕事にしろ、家事にしろ、勉強にしろ、食事にしろ、必要になればやれる時がやってくる。その時にやればいい。それが何年後でも、何十年後でも、生きてる限り、必ずやれるときがやってくる。

何もできない自分に嫌気がさすかもしれない。周りの目が痛いと思うかもしれない。それで苦しんで何かをしなかればと焦らないでほしい。
食事も、案外死にそうになったら自然と何かを食べようと思って食べる。
家事も、やらなくても死にはしない。
仕事も、本当に必要になれば何かし始める。
勉強も、学生のうちだけが全てではない。学びなおそうと思えばいつでも挑戦はできる。
何かしなければ、しなければ、と不安に過ごしたり、何もできな自分を責めるのを辞めて、一旦すべてを諦めよう。今はそういう時期なのだ。
何もできないこと、何もしないことは、なにも悪いことではない。

今まで一度も家事をしなかったか?今まで一度も勉強をしなかったか?
そんなことはないはず。
勉強に集中できる時があったり、掃除をすることがあったり、仕事で必死に向き合ったことがあったはずだ。
そんな風に出来る時がある。またそんな風に出来る時がやってくる。
やれるときにやればいい。
やれないときはやらなくていい。

自分に合った病院・薬を探す

私も何度も失敗したのが病院探しである。
精神科・心療内科の先生は自分に”合う・合わない”が顕著に出る。
話を聞いてほしい人や、薬だけもらいたい人など、患者にもタイプがあるため、先生との相性はかなり重要になってくる。

合わない先生だと、病院に行くのが辛くて服薬を続けられずに中々治療ができなかったりする。
私が過去に行った病院にはひどく怒る先生がいて、病院に行くのが嫌いになってしまってた。それから1年くらいは治療もせず引きこもっていた。病院を探すことすら嫌だったが、そろそろ何か治療をしないと生きていけなくなってしまうと思ったときに、いろいろ探してみて通院した病院は、先生が怒ることもなく、治療について丁寧に対応してくれた。

まず、「ここの先生は苦手だ」と思ったらすぐ病院を変えた方が良い。
患者に対して攻撃的な先生もいるが、しっかりと話を聞いてくれる先生もいる(得てしてそういう場合は待ち時間が長いので我慢は必要だ)
話が通じない、他の病院が探せない場合は、特に会話はせず「引き続き服薬しながら頑張ります」と簡単な返答だけして一旦薬だけをもらうのもよいだろう。また、同行者がいると態度を変える先生もいるため、可能であれば誰かに同行してもらうのもよい。

また、薬にも様々なものがあるため、自分に合った薬を飲むのが大事だ。
薬を試してみて、効果がない、眠気やだるさがでてしまう、など、自分に起きた変化をしっかりと先生に伝え、薬を変えてもらうなど相談を積極的にした方が良い。
同じ効果をもつ薬でも、何を服薬するかによって作用・副作用が違う。
飲みやすい、飲みにくい、副作用が辛いなど、自分に合った薬を病院と相談して探してもらおう。


うつ病の人との接し方を考える

うつ病といっても、皆が偏に同じ症状とは言えない。
双極性障害のように、スイッチが入りっぱなしの状態もあれば、絶望したり一切言葉が発せなくなるような状態もある。
もし身内にうつ病の人がいて困っている人は、接し方に”正解”があるわけではないため、「何もしてあげられない」と責めないでほしい。

逆にしてほしくないと思うことは
怒る、責める、不安を煽る、無理やり何かをさせる、ポジティブを押し付けることである。(これは鬱に限らずいいことではないが)

もちろん、お互い人間なので我慢できないことだってある。
場合によっては距離をとることも大事だ。
とくに攻撃性の高い症状の場合はストレスのぶつけどころを探しているため、距離をとることも必要だ。※

※(攻撃性についての参考。発達障害に限らずこの攻撃性に対する感覚に似たようなものだと感じる)

ただ、近しい人間だと「無関心」なのも返ってよくない。
先ほど言っていたように”辛さを理解してもらえない”ことはうつ病にとって非常に苦しいことである。

じゃあなにをすればいいんだ!と腹が立ちそうになるが、
私が思ういい接し方は「庭の観葉植物と同じ距離感」で接することである。

たまの水やりと虫がついていないか確認するくらい。

「今日はどんな気分だった?」とたまに聞いてみる。
様子がおかしい時は「いま考えていることを教えて?」と聞いてみる。
「一緒にやってみよう」と進めることも悪くないと思う。(嫌がっているのに無理やり続けさせるは良くないが、経験上「やってみたら?」と言われるより、「一緒にやろう」と誘われる方が良かった)

うつ病は甘えと思う人もいるだろう。
「自分はこんなに頑張っているのに、うつ病で休むのはずるい。」
私もそう思ったことがある。
だが、そう思えている方が良いのかもしれない。
うつ病になった代わりに失ったものはすごく大きかった。

でも、やれるときはやれる。
やれないことを責めるのではなく、やれるときに頑張ろう。


うつ病でも、うつ病じゃなくても、その繰り返しでよいのだと思う。




※以上はあくまで自分の経験を踏まえた所感である。治療法や病気の定義についての話ではないため、読み物として消費してほしい。



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