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プロローグ、それは本編前の前置き的なもの
「知らない」ということは、世界でもっとも美しいものかもしれない、とおもう。思い出せない記憶を辿る、前置きの日のプロローグ。約束、もしくは錯覚。事故にあうように、ファンタジー小説や映画のような、日常に隠れた断片を探そう。
photo by inaba keita
わかりやすさ、を、おもうこと
「田舎のねずみと都会のねずみ」というおとぎ話をふと思い出す。
" 田舎に住んでいる一匹のネズミが、御馳走を振る舞おうと仲の良い町のネズミを招待する。二匹は土くれだった畑へ行き、麦やトウモロコシ、大根を引っこ抜いて食べていたのだが、都会のネズミは田舎の暮らしが退屈だと言い、都会へ誘う。「珍しいものが腹一杯食べられるよ。」と。
田舎のネズミは二つ返事で都会へと向かった。パンやチーズ、肉といった見た
忘却、という美しいこと
詳細の記載は避けるけれども、長年PTSDと一緒に暮らしている、とおもう。たぶん。
「オープンでいる。嘘をつかない。」
という姿勢を心掛けているものの、
誰にも言いたくないことが心の中にはたくさんある。
許せない、とおもうようなことは、
すでにほとんどなくなっていて、
嵐のように訪れる記憶と感情の再生に黙って耐える、
という日常をほどほど怠惰にやり過ごしている。
記憶というものが、
銭湯と、昭和ドキュメンタリー
湯治、という意味もあり、近所の銭湯に通い始めた。
浴場のスピーカーから流れる演歌。
水の埋め込みは、ほどほどにという手書きの張り紙。
(どうやら「埋め込み」というのは、浴槽に水を入れすぎてぬるくしないでね、という意味のよう。)
東京へ出張に行くたびに、昭和にワープするような銭湯を渡り浸かってきた。昔ながらの文化を味わえる銭湯を探すのが、ちょっとした楽しみになっている。
都会の顔をした世田谷の
なみだはミルクのにおいがする
傷つくのは、ずるい。
だって、勝手に傷ついてるだけなのだもの。
傷つけるほうは、傷つけるほうで、良いことではない、とは思うけれど。
なみだは、ミルクのにおいがする。
まくらからも、ふかふかのクッションからも、ミルクのにおいがただよってくる。
こぼしたなみだをためて、ホイップしたら、たっぷりと甘ったるいミルクケーキができそう。
ミルクをこぼしたような流れの天の川。
いきるものたちの流し
雪はやがて消えて、また春がやってくる
「あれは、ネコヤナギ。」
「木にねこが生えているの?」
いつまでも溶けない雪と春らしさのあいだで、時間がゆっくりすすむ季節。
北国の四月のはじめ。
おばあちゃんが、手をつないで、歩きながら植物のなまえを教えてくれる。
わたしは、二歳で、まだ歩くことを覚えたばかり。
ネコヤナギ、
チューリップの球根とクロッカス、
すずらん、
木苺、
アスパラとにら、
真っ赤なほおづきと赤トンボ