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晴れの日だけじゃ疲れる

久しぶりに雨だ。

私が住んでいる地域は、ここ数週間ずっと晴れの日が続いていた。

普段は低気圧でやられるため、雨の日は好きではなかったんだけど、
久しぶりに雨の音を聞いて、雨の香りを嗅ぐと少し肩の力が抜ける気がした。

晴れの日はアクティブに過ごさなければいけない感が強いけど、
雨の日は立ち止まっていいんだよってささやいてくれている気がして
少し優しい気持ちになれた。

基本晴れの日はハッピーな気持ちになれるけど、
晴れの日が続きすぎるのも、ずっとアクティブな気持ちを維持していなくちゃいけない気がして、
それはそれで少し疲れるかもと、久しぶりの雨の日で感じた。

さらに晴れの日が「正義」だと思っていたけど、そもそも雨でも晴れでも「正義」という基準で測ることは良くないなとも感じた。

晴れの日だから外に出てアクティブに過ごさなければならない。
雨の日だから気持ちもどんよりするし、家に引きこもならければならない。

こういう思い込みが無意識的に自分の内側に刷り込まれていたのかもしれない。

晴れの日でも雨の日でも良い悪いはないし、評価すると自分を少し縛り付けている気がする。

これは自分に対してもそうだ。
調子が良い日も悪い日も、価値を定めずに、ありのままを受け入れる。

まずどんな自分でも受け入れることから、どんな天気も受け入れていける。そしてどんな状況、人間関係も受け入れていけるのではないか。

天気の話からなぜこんな哲学のような話になったのかは分からないが、
雨の日も悪くないなと思えたのが自分の中での大きな進歩だったので、最近の学びとしてここに記しておこうと思う。


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