見出し画像

仕事も家庭も良いチームに必要なのは多様性の受容だけど最大の敵は日本の同質性重視教育。

仕事でも家庭でも「上手くいくチーム」の特徴は共生。

仕事に限らず、職場でも、スポーツでも、夫婦や家庭でも、上手くいってる(回ってる)チームに共通して言えることって、多くの場合、多様性の受容が出来ていることじゃないかなと思っています。
※ここでいう「上手くいってる」とは必ずしも「強い」と同意ではありません。

また、逆に言えば(原因は後述しますが)問題は共生が出来ていないこと、というのも併せての結論になると思います。

ちなみに、ボクは研究者でもなく「通りすがりの素人」ですから感覚的なモノですが、上手くいってるチームは「4つの段階」を経ていて、逆に上手くいってないチームは、大体その途中で躓いてる気がします。

もちろん本屋さんに行けば、ちゃんとした専門家によって論理的かつ実践的に書かれた素晴らしい文献が多々あるんだろうけど、自分の体験から肌感覚で思うのはそういう事です。

ちなみに「4つの段階」なんてカッコ良さげに書いたけど、その方がデキる記事っぽい感じがしたからというのが本音で、さほど大層な事じゃないです(笑)

ですが、まずは4つの段階について。

成功するチームが経る4つの段階


1.出会いフェーズ

他者との出会いがあって、相互に様々な印象を持ちあう最初の段階ですね。

「おー、この人優しいなー」
「この人はよく喋るなー」
「仕事デキるなー」

なんて色々あれども、第一印象からしばらくの間って「アラ」が余り見えないし、何となく大きなイザコザも起きにくいので、業務もそれなりに回ってたりもします。
てゆか「それなりに回ってる気がしてる」状態ともいえますね。

もっと言えば、基本的にマイナスな印象があったとしても、まだ新鮮さとかワクワクが勝ってる感じかも。


2.違和発生フェーズ

時間を共有し始めてからしばらく経過し、
段々と価値観や考えの違いが見えてきて、
心の壁が出来てきたり、
性格によっては衝突が起き始めたりもする。
※最初はイライラしたり、ヤキモキしたりもする。

3.共生フェーズ

互いの違いを受け入れて共生する。
他者との違いは多々あり認識もすれど、
それらを互いの個性や面白さとして、
受容できるようになる。


4.シナジーフェーズ

個性として受け入れた互いの違いが、
各々の得意分野という認識で無意識に尊重され、
むしろ活かし合う関係性になる。


以上の4つの段階を、上手くいくチームは大体踏まえてるというか、かなと思う訳です。

そして、夫婦でも職場でもスポーツでも、決定的に差が出てくるのはこの第3段階の共生フェーズで、チームが発展する時はこの共生フェーズの反応が起きるかどうかに懸かっていると思います。

そして、その共生の為の反応というのが、すなわち多様性の受容だよねって事になります。

安易な和は協調生の理解を歪める。

ちなみに、チームが円滑にそしてスパイラル的に向上する時に、そこにある「チームワーク」というモノに関しては昔から言いたいことがあったので、以前にもこんなことを書いた事がありますが、

ここで言いたいことも繋げると、つまりは多様性の受け入れ体制が出来てない状態からスタートした場合に、文化や価値観の違いを感じるのは自然なこと(※)なのだけれど、そこで感じた違和感とか理解できない事とか不満とか、そういったモノがあった時にただ黙って抱える事は、たぶん本当の意味での受容や共生には繋がらなくて、発展するチームにはなれないんじゃないかなと思う訳です。

もちろん自分が感じたストレスをひたすら黙って抱えれば、目に見える衝突を避けることで一見すると平和的に見えはするけれど、ただそれだけ。

理解して受容できてないから、物理的な衝突はなくても心は上手く繋がれておらず、本当の意味で活かし合えるチームにはなれないと思うんですよね。

そこにチームワークは生まれない。

共生フェーズにある、多様性を受容して更に発展する為の化学反応は、内に抱えて隠すのではなく対話することで表に出して、相互の違いを理解し合うことで起こせるモノだと思う訳です。

なぜなら、多様性の受け入れ体制が出来てない状態は日本の公教育の結果で、社会人の初期設定がそうなってるから。

同質性を求める日本社会の特徴的な圧力は昭和教育の残滓であり現代の多様性の受容とは真逆の思想

なんせ日本人というのは、同質性を求める教育にどっぷり浸かって大人になるからね。

無理もないと言えば無理もないと思うけど、「我慢してる人がいるんだからアナタも我慢しなさい」とか、楽することは悪だとする洗脳的な思想やルールがあり、さらには異を唱えるモノがいたら集団で叩く風潮にまでエスカレートしきってるのが現状ですよね。

傷付いたり耐えてる人がいたら、なぜ傷付いたり耐えなければならないのか?どうすれば自分や彼が傷付かず、逃げられるか?それを考えた方が良いと思うのですが、たぶん誰しもそう問われたらそうだよねと感じると思うのだけど、実際には子どもの頃から「皆と違う≒チームワークを乱す者≒仲間はずれ」のような図式、つまり同調圧力が暗に存在していて、またそれが分かっているし怖いから、お前も我慢しろの圧を受けて従って来てると思うんです。

※実はつい先日も、我が子の事でそんな社会の歪みを痛感する事がありました。


この同質性を求めてきた日本教育は、同調圧力を従順に受け入れる人間に育てたきたと思っているし、多様性を受容しての共生する現代の方向性とは完全に真逆と呼んで差し支えない程の溝がある思想だと思います。

また、それってチームワーク生まれる訳なくね?と思うし、なんならイジメの温床ってそこにあるんじゃね?とさえ思います。

学生時代から見える同質性重視教育の弊害

例えば、学生時代の運動会とか最たる例だと思っています。

全員参加の学級対抗リレーとか、同じ競技を同じ条件でやって、同じように出来ないヤツは味方の筈のクラスメートから戦犯扱いされるような(スポーツが極端に苦手じゃない人は感じた事がないかも知れませんが)それくらい怖いイベントだと思いますし、しかもそこに「一丸となって」とか一体感を訴えるスローガンを掲げて、個々の個性も感情も無視した強制執行と賞罰とが与えられるシステムな訳ですよ。
そこを変えずに、多様性を大事にしようなんて説得力がありますか?とボクは思います。

また、これは決してボクに不登校の子どもがいるから感じる訳ではなく、誰しも理解できる事じゃないでしょうか。
一方で、この同質性重視教育が色濃く残るからこそ、不登校の子どもがこれ程までに増えているのではないか?というのも、否定できないのでないでしょうか。

大好きな「和をもって尊しとなす」の解釈が美しくない事も本意じゃない。

同質性教育の話になってしまうと私的な愚痴に偏りそうなので話しを変えます(苦笑)

日本人は古来から「和をもって尊しとなす」の文化・価値観があって、これはもはや、DNAレベルで刻まれた美徳であり、ボク個人としては素晴らしい事だと思っています。

ただ、仕事においてこれが偏重してしまってるのが「安易な妥協」だとか「履き違えた協調性」に繋がっているんじゃないかな、と思っています。

もちろん行動は簡単には変えられないかも知れませんが、より適切と思われる考えや意見は、必要以上に摩擦を恐れずに主張するべきだと思うし、本気(本音)でぶつかればこそ良い議論になり、より高いレベルの答えが生まれると共に、「本当の和」が生まれて育まれていくのだろうと思います。

チームとグループの違いついて

チームとグループの違いは、
目標や目的を共有しているか否か
、じゃないかなと思います。

また「目標を達成するのが良いチーム」なのではなくて、「適切な目標を設定するのが良いチーム」と言い換えられるのではとも考えてます。

なぜなら、目標を達成できたら確かに良いチームかも知れませんが、その論理でいくと目標を達成出来なかったら良いチームでは無かったのか?となるからです。

また、かといって何の努力もなしに達成できる目標、或いは初めから達成しやくて良い目標に意味はあるのかと考えると、おそらくチームとしての存在意義が見いだせなくなると思うので、そうであるなら、適切な目標を設定できるチームこそ良いチームであり、逆に適切な目標が無くて良いのなら、その集まりはチームでは無くただのグループなのではないか、と思う訳です。

仮に、ひろゆき氏から「それってアナタの感想ですよね?」とディベートに持ち込まれたら上手く説明する自信はありませんが、おそらく専門家の方々に聞いたなら、証明可能な事実ではないかと思います(笑)

目標の設定について

どうすれば目標を達成できるかの前に、どのような目標を設定するかを定めることに注力すべきだと思います。

これは最近ようやく改めて理解できた事ですが、目標には、次の3つがあって、重視される目標も時代と共に変化してきていると思うからです。

・行動目標
・成果目標
・意義目標

行動目標は、例えるなら馴染み深い通信簿さながらの振り返り評価。
少し過激な表現をさせて貰うと決められた行動を忠実に遂行する兵隊の生産という感じ。(炎上発言)
90年代からは成果目標。主に数字。
そして今は意義。

行動目標のみだと「作業」の奴隷になる。
成果目標のみでは「時間」の奴隷になる。

だから、特に今は、意義目標が大事。
意義目標を持つ事で、産むべき成果や取るべき行動に意思を持ちやすくなるというか、何故やるべきなのか?が分かるようになると思います。

そして、仕事でも勉強でもなんでも、この「なぜ?」という問いを持てる事が、その答えを自分で探すという姿勢の習慣にも繋がるし、良いチームを作るにも、同質性を押し付ける事なく多様性を受容するにも、最も大事なことなんじゃないかと思います。


散らかった挙句。

思うこと、言いたい事がありすぎて話が散らかってしまったのですが、ボクは何が言いたかったのでしょう?笑

自分の働く職場のチームに対する不満、
現代の公教育への不満、
子どもが通う学校や園の姿勢に対する不満、
色々とあるのですが、多分全部ですね(笑)

あ、家庭におけるパートナーは例外です。
いつもお世話になってます。
もし目にしても対象外なので許してね。

いいなと思ったら応援しよう!

ナツキのパパ@令和の父親アップデート作戦中!
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。

この記事が参加している募集