個性の尊重は大事だけど個性という単語を特別視しすぎな気もする。
時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、
令和の父親になるべくアップデート作成中!
こんばんは、ナツキのパパです。
昨今、ダイバーシティ&インクルージョン、多様性云々という単語に耳馴染みができる程によく聞かれるようになったけど、実際に社会の身近なところ、例えば会社や地域といったコミュニティで十分に実践(実装)されているかといえば、まだまだだよな…というのが自分個人の場合の実感です。
でもまぁ、過去の心構えや体現はともかく、実践の試みというか言葉だけでも認識されてきてるのはとても喜ばしい事ですしね、多様性の尊重から始まり、自己開示や自己理解、そして他者理解に相互理解、相互承認、共生社会の実現へと半径5mからスモールステップで前に進めたらと、まずは自分に出来ることをしていこうと思って毎日を生きてます。
さて、ボク自身の仕事の性質もあって、個性や特質という言葉がとても身近に考える機会が多いんですが、それだけに世間一般の認識との差を感じる機会も多くて、どうも「個性」というと、唯一性や独自性といったニュアンスがあるように感じます。
そもそも、例えば自分の「個性」を挙げなさいとか言われたら、なんか特別なものではいけないような気がして、言いにくかったりしません?
少し息苦しいというか、使いにくい気がするんですよね。
でも、別に個性というのは、唯一無二である必要性とか、誰かより優れている必要性とか、特別なに何かである必要性はないと思うんですよね。
いってみたら人の個性なんて、単なる好みも含めて、性格、価値観、いろんな要素があるけど個性を個性たらしめるのはおそらくそれ単独ではなくて組み合わせなんだと思うしだよね。
だから、ニュアンス的な意味でいうと、個性という単語を聞いた時の捉え方としては、「個人差」ぐらいでちょうどいいんじゃないかな、と思ってる。
何の話だっけ。