盲目的だった固定観念を壊してボクの視野を広げてくれたのは、不登校の長男だった。
時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、
令和の父親になるべくアップデート作戦中!
こんばんわ、ナツキのパパです。
子どもが不登校になって気づいたこと。
不登校になった子どもから教わったこと。
結論からいうといっぱいある。
いっぱいありすぎて、一言で言えない。
・・・というと話にならないので、とはいえ細かくしていくと本当に沢山あるから、逆にどんどん大きく大きくしていくと、それは何て言えるんだろう?と考えてみた。
もしかしたらその1つは、どんなに本を読んでもノウハウをインプットしても、子どもに対しての最適解はその子によって変わるから、「本人への観察と共感を積み重ねないと正解なんてモノは分からない」という事かも知れないな、と思った。
どういう事かというと、逆に言えば「正解と言われるどんな方法や知識でさえも、世間の『常識』とか『普通』とかも、本人にとっては不正解の可能性がある」という事でもある。
もっと言えば、不安な時ほど振り回されやすい世間の声、その声の主がどんなに詳しい専門家であっても、「自分よりもこの子を知らない人からのアドバイスに『振り回される』必要はない」という事に気付かせてくれたのもそうだなと思う。
※考えるたびに答えは変わるかもだけど(笑)
例えば、不登校の兆しが見え始めた時期、言い換えれば「学校に行けなくなる程に苦しんでいた我が子」に、「学校を休むに足るだけの正当な理由の説明」を求めて更に追い詰めて苦しめたのは、自分自身が育った環境で当然とされてきた学校への登校神話であり、人生の正解ルートという固定観念。
だけど、きっと正解なんてモノは、それなりの年齢まで(本人が)失敗や試行錯誤を重ねないと、その輪郭がハッキリしないと思うんだよね。
それに、親が必死になってどうこうするよりも、いっそ子どもに任せきった方が(本人の言動はおそらくユラユラしながらも本人にとって心地の良い方法に向かって進んでいくと思うので)、逆に早く正解に辿り着くこともあるんじゃないか?とも思っている。
もちろん、経験則に昇華する程の場数も踏んで無ければ、言語化できる程の語彙力もない訳たがら、自覚するのには時間が掛かるし解像度も粗いかも知れない。
でも、だからこそ親の自分に出来ることは、彼らを観察して、彼らの心の声に耳を傾けて、彼らが感じたり考えてる事に共感していくことかなと思うし、それが大事なのかなと思う。
子どもを信じたら自分が成長した
結局のところ、そんなに心配しなくても、彼らは彼らのやりたいようにやるし、それが彼らにとっての正解である可能性も割と高いのでは?って気もしてる訳なんですよ。
自分のこだわりに応じて、自分の過ごしやすい生き方や道を自分で見つけていくのだろうから、然程、心配しなくていいよねってこと。
ぶっちゃけ、彼らにとっての正解とやらが見つかるまでは時間も掛かるし、効率悪いとか焦れったいとか、モヤモヤしたり、ヤキモキしたり、その先は迷路だと思ったりして何かと不安になったり口を出したくなったりするけど、辛抱強く我慢して見守る努力も必要だよねと思うよにはなれた。
それがボクの成長だ。
※よく、不登校で何もしていない期間を「充電期間」と言ったりするけど、ボク個人は特に充電だとも思っていない。
ただ彼自身には「今はそれをする時ではないのだろう」ぐらいに思っている。
余談だけど、ついでに言えばHSCで尚且つ乳幼児期からアトピーで苦しんでいた長男は、色々と敏感すぎるから今まで特にいっぱい大変な思いをしただろうし、させてしまったと思う。
言うほどまだ理解が出来てない部分も、理解してるつもりでも実践までは出来ていない部分もまだまだあるから、特に次男や末の娘に対しては良い理解者にはなれてないよなぁ…と反省することもしきり。
学校行ってないけど子どもは成長してる。
あと、学校行ってないけど学習はホームスクーリングで……なんて言えたらいいけど、実際のところ我が家では学校以外の場で何か勉強をしてる訳でもない。
でもって、親が勝手に思う将来的な不安(自分の子ども時代に言われてきた常識=正解ルート)みたいなのは根深いもんで、完全なゼロにはなってなかったりもするけど、それでも彼らは、確実に成長してる。
例えば、次男と末娘とがよくケンカを始めたり不機嫌になって泣き叫んだりする事がよくあるんだけど、そんな時に長男が声を掛けてくれる事もあって、その長男の声掛けの仕方が、理屈っぽいボクの説明なんかよりもよっぽど下の子たちの心に寄り添った言い方だったり、優しい言い方だったりする事もよくあって、感心させられたりする。
時には、ボクが言ったセリフをさらに噛み砕いて翻訳して伝えてくれてる事さえある(笑)
ホントにびっくりしちゃうくらい、助けられてたりする。
なんか話がそれてしまったけど、不登校になった長男は、ボクの視野を広げてくれた。
彼は古い固定観念の殻を壊して、新しく多様な価値観のある世界に連れ出してくれた。
あれ?
1つと言いながら、冒頭で挙げた言葉と変わってきたな…。
不登校の長男が教えてくれたことの1つは、ボクの住む世界は、ボクが思うよりずっと多様な価値観が混ざりあっていて、正解は常に1つじゃないし、心の向く方向に進むことの大切さも気付かせてくれた。
あー、やっぱり1つに絞れてなかったわ。
*******
他にも、不登校の親になって思う事を書いています。
素人の駄文乱文ばかりですが、もし気が向いたらご覧ください。