【悪性リンパ腫・闘病記⑱】 人生って大喜利の連続かも -ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」-
-前回の記事はこちら-
・・・
「君が人生に何かを期待するのではない、人生が何を君に期待しているかが問題なのだ」
ユダヤ人精神科医:ヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」。
第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に約3年間収容された経験をもとに、過酷な日々と、人間の内面的な生きる意味を探求した名著。アウシュヴィッツ強制収容所に代表されるユダヤ人迫害のリアルが明瞭に描かれていて、少し読むだけで目を瞑りたくなり、冷や汗が出てくる。腐ったスープとパンだけの食事、栄養失調で骨と皮だけになった身体で、過酷な環境で先の見えない強制労働を続ける日々。私には、同じ環境に置かれても絶対に生き抜ける自信はない。というか、そもそも「生きたい」と思えないはずだ。
この本をはじめて手にしたのは、大学4年生の冬だった。友達が主催する読書会に参加したのがきっかけで、お題として出されていたのが「夜と霧」だった。正直に言うと、読んでも心に全く響かなくて、理解ができなくて、ただ残酷な歴史の物語を読まされた気がして、気分が悪くなったのを覚えている。当然、内容はほぼ覚えていない。その時に感じたのは、この本が響くのはきっと読者自身が「生きる」ことを真剣に考えている人であって、私は現時点では真剣に考えられていない人だと言うことだった。
「いつか、読むタイミングがあるかもしれないな」
そのいつかは、意外にもくるのが早かった。
4年後、悪性リンパ腫という癌が発覚した。27歳になったばかりの出来事だった。症状が悪化して呼吸ができなくなったり、抗がん剤の副作用が想像とはかけ離れた苦しみだったり、精神的にも随分追い込まれた。若さゆえの癌の進行の速さ、再発した時の生存率の低さ、そして、同世代の人たちが仕事や結婚などのライフステージを登っていく姿を横目に、社会からはみ出されてしまったような孤独感が絶えず心を蝕んでくる。
「誰か、この苦しみの中から生まれる感情に寄り添ってくれ!」
私にとって、本は「ドラえもん」みたいな存在だ。人生で適したタイミングで必ずと言っていいほど「そんな君にはこんな本〜♪」みたいなテンションで、適した本が目の前に現れる。
病室の本棚を見ると「夜と霧」が置かれていた。そして私は、眠れないある日の真夜中に、この本を再び読むことにした。
前置きが長くなってしまったが、この文章はあくまで読書感想文として読んでほしいと思います。
詳細な内容にはあまり触れません。批評もしません。
あくまで、「夜と霧」という本を読んだ癌を患っている男が、何を感じて、何を行動したのかを観察するだけ。そんな体験が届けられたなら良いなと考えています。
皮肉的、ユーモア増し増し、クスッと笑えるような文章にできたらいいな。
それでは!どうぞ!
お題の出題者がいるとします。ひとまず、彼を「神様」としましょう。神様は毎日、朝起きてから眠りにつくまでお題を振ってきます。回答の仕方は自由です。
さて、抗がん剤クール3が始まりました。私はすでに2クール抗がん剤の投与を経験して乗り越えていますので、ある程度の副作用には対応ができます。最初にやってきたのは毎度お馴染み「吐き気」です。何十回と嘔吐を繰り返したおかげで、ずいぶん吐くのが上手くなりました。嘔吐を感じたらすぐに吐くべし。そして、空腹で吐くのは体へのダメージが大きいので事前にご飯をたくさん食べるべし。今回は薬の投与前に菓子パンを3つ食べておきました。手慣れた手つきでナースコールを押し、看護師さんがくる前にひと吐きを終え、嘔吐を報告して追加の吐き気止めをお願いする。この流れるような身のこなしは、経験で身につけました。
そして、味覚障害に対しては味が濃くて、刺激が強い飲食物で対応します。炭酸ジュース飲みます。差し入れのタバスコ増し増しチーズ牛丼は確実に腹を下しますが、確実に喉を突破してくれるので及第点。改善の余地ありですがとにかく美味しい。睡眠障害に対しては、眠れないのはどうしようもないので、そんな時は書くことに徹します。真面目なことでも、くだらないことでも。他には犬や猫の動画を見たりして時間を進めます。
初めて抗がん剤の副作用が襲ってきた時は、経験したことない分、これからも続いていく苦痛に酷く怯えていましたが、次第に慣れ、自分なりの対処法も確立しつつあります。だからこそ、神様からこのお題を出されたときは、
「よっ!久しぶり。またお前かよ〜」
と、心の中で呟き、余裕綽々の表情をわざとでも浮かべて乗り切ってやりました。
注射が大の苦手です。理由は単純明快、痛いからです。だからこそ、注射の処置が早く、注射針の挿入が痛くない看護師さんのことが大好きです。一方で、相性の悪い看護師さんもいらっしゃいます。患者の立場で何を贅沢なことを言っているんだと非難されても仕方がないのですが、どうしても苦手なものは苦手なんです。許して!
ある日、試験管8本分の血液を抜かれることになりました。そして、そんな日に限って注射針が中々上手く刺さらずに何度もやり直し、その回数だけ痛みを感じました。担当された看護師さんはとてもマイペースな方で、失敗しても「ごめんなさいね〜」とほんわかした緩い雰囲気を崩しません。ちなみに私はずっと「早く終えてくれ」とイライラしていました。ようやく処置が終わり、血を抜かれた気分の悪さを癒すために早く眠りにつきたかったのですが、看護師さんは「何か困ってることないですか?」「あ、机が散らかってるので片付けておきますね〜!」「薬も分けておきますね」「体調どうですか〜?」と間が悪くたくさん話しかけてこられました。精一杯の笑顔で「大丈夫です」と一辺倒な回答をし続け、看護師さんは私の病室を後にしました。
行き場のないイライラを抱えてしまった私は、この気持ちをどのように消化すべきか考えました。そこで何を思ったか、看護師さんが立ち去った後のドアに向かって、演劇で鍛えた表情筋をフル活用し、最大限の変顔で手を振ってやりました。「ひょっとこ」みたいな顔で、全力で「バイバーイ!!」って。やってることが小学校低学年男子です。
「すみませ〜ん、今日は午後からレントゲンがあるのを伝え忘れてました〜・・・それでは失礼します〜・・・。」
間が悪く、看護師さんが言い忘れたことを伝えに戻ってきてしまいました。あの時の気まづさは、墓まで持っていこうと思います。
寝起きでスキンヘッドな私は人相がとにかく悪い。だから、鏡の前で怖い顔をしたり、喧嘩のポーズをとったりする。ヤンキーごっこ楽しい。
「夜と霧」の著者:ヴィクトール・E・フランクルは精神医学者で、1941年に結婚し、その9ヶ月後に強制収容所に収監された。収容所に到着すると、初めに強制労働をさせる人間と即ガス室送りにする人間が選抜されるのだが、この過程で彼は妻や家族と生き別れとなった。そして彼以外、殺された。
「心理学者、強制収容所を体験する」
と書き出されたこの本は、人間の尊厳をほぼ全て略奪された一人のユダヤ人が、内省を続け、周囲を観察し続け、肉体的にも精神的にも死ぬことはなく、生き残った体験記だった。その中でも特に印象的だったのが、ある年のクリスマスの話だった。
1944年12月のクリスマスの時期から新年にかけて、彼が収監されていた収容所ではかつてないほどの大量の死者が出た。その大きな原因は、過酷さを増した強制労働でも、悪化した栄養状況でも、気候の変化でもなかったらしい。
「クリスマスには家に帰れるかもしれない」
帰れる根拠など、何もなかった。真冬でのボロ切れ一枚の服しか支給されず、骸骨と見間違うような姿になりながら、それでも生きようと思えたのは、クリスマスには流石に家に返してもらえるだろうという、根も葉もない希望だった。それがただの夢だと分かった時、その夢を生きる理由にしていた人たちが心折れ、大量の命が散っていったと言う。
癌が発覚して、想像した未来が当たり前にやってくると思うことはとても危険だと考えるようになった。描いた理想にはことごとく裏切られ、誰かに約束した将来は果たせる見込みがなくなったり。失敗のたびに軌道修正していくことが人生とも言えるが、根拠なき未来を信じて生きることは、代償が大きい。人生は、良くも悪くも思い通りにいかないからだ。じゃあどうすれば良いんだ?ありきたりな言葉かもしれないが、私はこの本を読んで、たとえ肉体的に殺されても、精神的に殺されなかったのはこんな人間だと思った。
「今日を生きた人」
収容所の中でも、例えば看守の目を盗んで仲間とユーモアを言い合ったり、ふとした瞬間で見た夕日にひどく心を動かされたり。不確実な未来よりも、確実な今この瞬間に向き合い、自分なりの答えを出し続けた人間が目に映った。
彼は本書でこう綴った。
そして、私は読了後に思った。
人生ってひたすら神様から大喜利を振られてるみたいなもんなんだなと。
病気になって良かったとは言えない。だけど、闘病の中で感じた苦しみや悩み、そして嬉しかったことは誰にも盗めない経験だ。闘病記を書いてみたり、花と向き合ってみたり、大切な人と話し合ったり、「生きる」を真剣に考えてみたり。「君が人生に何かを期待するのではない、人生が何を君に期待しているかが問題なのだ」と彼は言葉を遺した。全力で大喜利にボケてやろうと思う。スベったり、上手くいかないことも多いけど。
最後に、個人的に好きなシーンの感想を述べて終わりたいと思う。
戦争が終わり、ついに解放される時がやってきた。門が開かれて収容所から出られることが分かると、収容者たちは歓喜に溢れ、互いに抱き合い、涙を流しながら喜んだ・・・。のではなく、淡々と服を着替え、支度をし、のろのろと静かに収容所を後にしたらしい。
「なあ、ちょっと聞くけど、解放されて嬉しかった?」
「正直に言うと、嬉しい、って感じではなかったんだよね・・・」
こんな問答もあったらしい。あまりに過酷な環境で生きた時間が、収容者から何かに「感動」する心の機能を奪ってしまっていたからだった。
そんな彼らがどのようにして心を取り戻したのか。それは「食べる」ことだった。3年ぶりの、正常な食事。ガツガツと、何時間も、何日も、夜中に及ぶまで食べ続けたらしい。
彼らの経験と比較するなんて到底できることじゃ無いけど、「食べる」ことが心を保ってくれることはすごく共感できるなと思った。実は週末だけ一時的に退院させてもらえることが決まったので、美味しいご飯を食べることが今から本当に楽しみだ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?