”置かれた場所で咲きなさい”への返答
「ずっと花屋さんに聞いてみたかったんですけど、”置かれた場所で咲きなさい”って言葉をどのように考えますか?」
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以前、とある大学の授業で講師をさせていただく機会がありました。卒業後の進路を多角的な視点で考えるための「キャリア形成論」と呼ばれる授業。毎週ゲスト講師を招き、何か学生の人生のヒントになり得る授業を自由に考えて行ってもらう、という形式でした。
私は法学部を出てコンサルタントの仕事をした後、紆余曲折あって花屋になる、という珍しい経歴を持っているのですが、自身の経験から「人生は良くも悪くも上手くいかない」ことを学生に伝えたいと思い、失敗談をたくさん語りながらも、結果として今はこんな風になったから今の環境を楽しんで欲しいというメッセージを送りました。というのも、事前に授業のコーディネーターの方に「この大学の生徒はどんな特徴がありますか?」と質問したところ、「第一志望に落ちて入学する学生が多いからか消極的な印象を受ける」と返答されました。全員がそうではないことは承知の上で、少し理解できる部分もあります。
私が通った私立大学は、私にとっては高望みと言われながら必死で勉強して入学できた学校でしたが、多くの学生にとっては難関国立大学の滑り止めとして位置付けられていました。「本当に行きたかったのは違う大学だった」と不満気に打ち明けてくれた友人を数多く知っています。でも、たらればを考えてはキリがありません。私自身もとても貧乏な学生生活だったので、地元の大学に行った方が楽だったかな、そうすれば留学とか習い事ができたのかなと考えたことも多々あります。でも、酸いも甘いも味わい尽くしたあの4年間を振り返ると、今の私があるのは、紛れもなくあの経験があったからだと言い切れます。だから、どんな理由でこの大学に入ったかは分からないけど、この環境でしか経験できないことが絶対にあるから、それを探して欲しいと伝えたかったんです。授業の対象者は入学したての一年生でした。
授業後、帰る準備をしていると一人の学生がやってきました。そして、このような質問をしてきました。
「ずっと花屋さんに聞いてみたかったんですけど、”置かれた場所で咲きなさい”って言葉をどのように考えますか?」
私は反射的かつ無意識に答えました。
「置かれた場所でしか咲かない花があると思います」
花屋だけど、花のことをまだまだ全然知らないし、束ねるなら自分で育てた花を束ねてみたい。そんな思いを汲み取っていただき、私は長野県・青木村の花農家さんのもとで研修を行なっていました。とても優しくて気さくな方で「自分でタネや苗を買って来て撒いてみな!」と言ってくれて、空いている農地を貸していただき、自分で花を育てさせてくれました。意気揚々と種苗メーカーのカタログを読んだり、園芸センターに行って苗を購入して、雑草を抜きながら花の成長の様子を観察する日々。すると、あることに気づきました。
土を掘って、種を蒔き、水をあげる。同じ場所に同じ品種を植えても、すくすく育つ花もあれば、いくら待っても芽が出ない花もいました。芋虫の標的になれば、花は場所を動くことができないのでなす術なく食べられて死にました。日当たりが良い場所と悪い場所での成長スピードの違いは説明するまでもありません。温暖な気候で育つ種は寒冷な地域では花を咲かせることができません。
その様子を見ると、花が育つのはもちろんその個体の努力もあるけれど、ほとんどが環境次第だなと思うのです。その種に適した条件が全て揃わないと、美しい花は咲かない。でも、「環境が全てだから努力は必要ない」という話がしたい訳ではなくて、よく植物たちを観察してみると、日当たりが悪く、葉っぱも芋虫に喰われてボロボロになっているにも関わらず、必死で太陽の光を浴びるために茎を曲げ、歪な形の花を咲かせている種を見つけることがあります。私はとてもその花を美しいと感じました。
だから、「その環境があったからこそ咲く花が存在した」という話がしたいのです。
あの花は、狙って育てようとしてもきっと無理でした。途中で死ぬ可能性も高かったと思います。にも関わず、己が姿を変形させてでも、環境に適応して花を咲かせました。あの歪で美しい花は、あの環境でしか咲くことはできなかったのです。この姿に、人は学習することができると思います。もしかしたら快適で不自由なく美しく成長できる環境が他にあるのかもしれないけど、この環境は望んでたものとは違うかもしれないけど、きっと環境を観察して自分ができることを積み重ねた結果、その人だけの花が咲くことがあるのではないかと思うのです。
27歳の誕生日の翌週、癌が発覚しました。
さらに、治療の影響で免疫が落ち、植物や土壌に含まれるカビや細菌が重篤な感染症を引き起こす可能性が示唆され、自分の心を支える大好きな花仕事にドクターストップがかかりました。癌が発覚したことで中断してしまった農園の研修は来春に持ち越しだねと農家さんと話していたのですが、それも白紙となりました。治療費でお金は無くなりました。個人事業主だったので傷病手当といった社会保障はなく、がん保険も若さを理由に加入していませんでした。文字にすると気分が悪くなるくらい、お先真っ暗です。
想像していた未来が崩れ落ちました。
でも、嬉しいこともあったんです。
闘病記を通じて、たくさんの方々に自分の言葉を読んでもらえることになりました。何をやっても器用貧乏だった私が、一つの能力をこんなに褒めていただいたことはかつてありません。きっと、癌の症状や抗がん剤の副作用、そして死への恐怖といった身体的にも精神的にも辛く苦しい環境の中でしか咲かせられない花があるのだと思います。
自分の言葉に救われる日が来るなんて、想像もしていませんでした。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉の真意は、「置かれた場所でしか咲かない花があるよ」だと思うのです。理想とは程遠い環境でも、途中で息絶えるかもしれなくても、その環境でしか咲かない花があるから毎日を大切に生きて、と、私は学生に言いたかったのかもしれません。
そんなことをふと思い出しました。
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