Naotaro

ポッドキャストをやっています。 エピソードごとの感想を書こうかなと思っています。 その…

Naotaro

ポッドキャストをやっています。 エピソードごとの感想を書こうかなと思っています。 そのほか、気づいたことなどを書こうと思っています。

最近の記事

半年間待ち続けた相方が見つかった

2024年3月に相方が居なくなった。それは突然だった。 でも驚きはしない。 2023年10月に失踪したときは当月中に見つかったし、2023年11月の失踪時には翌月に見つかったからだ。 相方を失って所在無くただ一人、再会を待ちわびて茫然と立ち尽くしていても、決して焦りはしない。 いつか再会出来る、と強い信念を持って待ち続ける。 よく居なくなるんだ。 春に居なくなって半年、秋になってようやく再会出来た。 相方は長袖のロングTシャツの腕の中から出てきた。 相方が見つ

    • 「エッチは出来るけどキスは嫌かも」と聞いて気づいたこと

      「エッチは出来るけどキスは嫌かも」 こう言い放ったのは近所の居酒屋で飲み友になった50代の主婦だ。 ただし、これはぼくに対して言ったものでは無い。特定の対象を想定せずに酒を飲みながら話していたときの一言なのだ。 つまり酒の席の取るに足らない駄話しの一つだ。 なのに、まさしく、目からウロコが落ちる思い、落ちる時にペリペリと音を感じたほど衝撃だった。その感覚が自分の中にまったく無かったからだ。 「セックスができるならキスもできるだろ!」 「同じ線上に乗ってることだろ!

      • 神の陳腐化とエホバの証人二世の話し

        神の陳腐化が止まらない ぼくが最初に違和感を持ったのはアイドルのAKBだろうか。主要メンバー7人に「神セブン」などと呼び出したあたりだ。記憶頼みで曖昧だが時代は2012年頃だろうか。 その後、テレビのバラエティやラジオなどで、これまで以上に秀逸、面白かった放送回を「神回」などと呼び始めた。 この辺りで「神」の字の持つ神秘性、希少性は失われ、完全に身近に使用できるものとされてしまったのである。 「神は細部に宿る」として日本人は色々な所に神を見てきたはずだ。 ご来光を押

        • 伊集院光論

          ぼくは伊集院光のラジオのファンだ。 深夜の馬鹿力は特定の週を除いて欠かさず聴いている。 これは、先日別のテキストを書いていたらアウトプットが楽しくなってしまい、勢い余って書くものである。 大絶賛褒めまくり、という文章では無い。本人が知ったら傷付くこともあるかも知れないから、関係者の方は見ることをオススメしない。絶対に。 鍵をかけるような意味での有料化であり、「それなら書かなきゃ宜しい」という指摘は妥当であるが、書きたいものは書きたいという気分だから仕方ない。また、テレビ

          ¥3,000

        半年間待ち続けた相方が見つかった

          面白げな本を読み上げています

          オリンピックが終わって、パラリンピックが始まった。 スポーツに全く興味のないぼくにも漏れ伝わってきたことがある。 「ブラインドサッカーが凄い」ということ。 鈴の入ったボールを追いかけるらしい。視力に難がある故のハードなぶつかりもあり、歯を折ったりするくらいの激しさがあるということ。 鈴の音を追い掛ける選手の応援の為に、点が入るまでは観客は固唾を飲んで黙していなければいけないこと。 一方、代わりに点が入ったときの大声援の解放感の凄いこと。 普段の関わり合いの無い人々の活躍

          面白げな本を読み上げています