面白げな本を読み上げています
オリンピックが終わって、パラリンピックが始まった。
スポーツに全く興味のないぼくにも漏れ伝わってきたことがある。
「ブラインドサッカーが凄い」ということ。
鈴の入ったボールを追いかけるらしい。視力に難がある故のハードなぶつかりもあり、歯を折ったりするくらいの激しさがあるということ。
鈴の音を追い掛ける選手の応援の為に、点が入るまでは観客は固唾を飲んで黙していなければいけないこと。
一方、代わりに点が入ったときの大声援の解放感の凄いこと。
普段の関わり合いの無い人々の活躍が、ここまで聞こえてくるとは凄い盛り上がりなのだろうと思っていた。
ぼくは2月からポッドキャストを始めている。
ポッドキャストとはインターネットラジオのようなものであり、音声がネットを通して配信され、ファイルは残り続ける。
いつでも好きな時に聴けるというサービスだ。
宣伝が目的では無いので番組名は伏せるが、寝落ち用にと、著名な作家や文豪たちのエッセイを読み上げている。
有名な小説や作品は、それこそ有償でプロが読んでいるだろうから、アマチュアなぼくは指をさされないようにエッセイというジャンルを選び、さらに最後まで聞かずに寝落ちしてほしいというワガママまで言っている。
これがこれで結構面白い。文学への知識はほぼ無かったので、それだけ吸収できる素地があった。
読みやすい、あるいは読みづらい文体。素朴な、あるいは鼻につく文体、いろいろある。
この作家はあの作家を揶揄している、とか、別の作家はこの作家と交流があったのだな、とか。
著作権の切れた、およそ70年以上前の先人たちの筆致。
文学作品にしようと思っていないエッセイだからこそ、語られ現れる作家の人格と輪郭。
当時だからこそ思い至る時代の風景、世相の空気。どれもが新鮮である。
わざわざ文章にして人に伝えようと思ったこと、残しておきたいと思ったこと。
その文章を、時代を超えてぼくは受け取り、ポッドキャストで声に乗せて残している。
たぶんビジネス化されない分野だろうから、作家たちのエッセイの音声化は意義があるように感じている。
ラジオや音声コンテンツは視覚障害者にもフレンドリーだ。
身近にそういう人がいる訳でも無いが、
ぼくの声がきっと未来で誰かの役に立つ。
その予感ひとつで毎週、ぼくはマイク前にいる。