夕人

生きている中で考えたり感じたことを文章でまとめます。

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最近の記事

幸せも不幸も痛みを伴うのだからなるべくたくさん幸せな痛みを探そうよ

ことがうまくいっていると思っているときにほど嫌なことは起きるものだ。 今日、降格が決定した。 自分なりに考えて一生懸命に仕事を進めてきたつもりでいたんだけれども。 それだけに残念に思ったと同時に、 『やっぱりこの世は地獄なんだなぁ〜。』 と再認識させられたし、だからこそ誰の目も気にせず自由に自分らしく生きないと時間に喰われちまうなって思ったんだ。 学生のときなんかは窓の外に広がる空をボーッと眺めているようなやつで早く大人になりたがっていた。 学校という閉鎖された空間では、自

    • 枯渇したコップを満たすために孤独を生きている

      枯渇何をするにしても誰がどう思うかを意識している自分がいる。 こんな風になるつもりはなかった。 だが、いつの間にか抜け出せないところまできてしまったようだ。 ・ ・ ・ 人生で一番不幸なことは、自分を偽って生きることだと思う。 常に誰かの機嫌を伺い、他人が傷つかないようにするために自分が犠牲になることなんて最悪な選択だし、そんなことは頭の中で分かりきってる。 けど、頭の中で理解するのとその自虐癖を直せるかどうかはまた別問題だ。 真の理由はどこにあるのか、考えて、考えて、考え続

      • 生きることは許すことだ

        最近ふと死を意識したことで、 いずれ皆死ぬ と一歩引いた目線から物事を考えるようになった。 ちょっと前までの僕は何かに対して憎しみや怒りや悲しみといったものが入り混じった感情を抱いていた。 でも、今はそんなもの全く感じない。 一言で表すのであればこの感情は「無」だ。 一周回って憎しみや怒りや悲しみといったネガティブなものにエネルギーを使うのが疲れてしまったのかもしれない。 だから、今回書く内容は ・ 死を意識し始めたことによる感情 ・ 疲労感から感覚が麻痺し

        • 「その志望動機、うちの会社じゃなくてもよくないですか?」と質問するのをやめた方がいい理由

          今回の記事では、僕が学生時代に就活したときから心に抱いていたことをまとめる。 それは、企業の人事が学生の志望動機に対して 「それってうちの会社じゃないとできないことですか?」と質問するのをやめた方がいい というものだ。 面接を受けにきた人はその会社の鏡という思考のススメ先ほどSNS上でこのような呟きをした。 これは、 「その志望動機、うちじゃなくてもよくないですか?」 という無意味な質問をしてしまう企業の人事へ宛てた僕なりのメッセージである。 単刀直入に言って

        幸せも不幸も痛みを伴うのだからなるべくたくさん幸せな痛みを探そうよ

        • 枯渇したコップを満たすために孤独を生きている

        • 生きることは許すことだ

        • 「その志望動機、うちの会社じゃなくてもよくないですか?」と質問するのをやめた方がいい理由

          教育は立場が下の者から上の者に行うという考えも受け入れられるべきだ

          SNS上で 会社辞めたい と検索すると、今年入社したばかりの新入社員による ・ 職場でパワハラ/モラハラを受けている ・ 上司がうざい/嫌い ・ 社内でいじめを受けている などの呟きを目にすることがあり、この国の異常性を垣間見る事がしばしばある。 この異常性に対して僕は、SNS上で社内教育という観点から以下のように述べた。 このように述べた理由を以下に綴っていきたいと思う。 教育は立場が下の者から上の者に行うという考えも受け入れられるべき理由僕が教育は立場が

          教育は立場が下の者から上の者に行うという考えも受け入れられるべきだ

          何者でなくてもいいという教育を浸透させるべきだ

          先日、新卒で入社した会社を早期で離職する人の数が増加しているというニュースを見た。 この問題について僕の考えを述べる。 新卒で入社した会社を退職する人が増加する理由先日この問題について、僕の考えをツイッターで以下のように述べた。 このツイートの内容について詳細を以下に綴っていく。 まず、上記のツイートの内容の内、 ・ 何者でなければならない ・ 変化しなければならない という相反する2つの考えは、この記事内で ・ 何らかの肩書きを持つべき ・ 1つの肩書きに

          何者でなくてもいいという教育を浸透させるべきだ

          残酷だけど美しいこの世界

          どんなに一生懸命生きていてもなんだか不幸の連続の時がある。 「なんで俺ばかりが。」 とか 「ああ、死にたい。」 と毎日そんなことばかりを考えた時期があった。 どうしてこんな気持ちになるのか真剣に考えたことがある。 その結果、誰かから何かを与えられたかったのだと気づいた。 それは、寂しさや孤独を埋めるものだったり憎しみを和らげるものだったり。 言い換えれば幸せというものだ。 どうしてこんな気持ちになるのかと過去を思い出した。 僕が生まれ育った家庭は、機能不全

          残酷だけど美しいこの世界