残酷だけど美しいこの世界
どんなに一生懸命生きていてもなんだか不幸の連続の時がある。
「なんで俺ばかりが。」
とか
「ああ、死にたい。」
と毎日そんなことばかりを考えた時期があった。
どうしてこんな気持ちになるのか真剣に考えたことがある。
その結果、誰かから何かを与えられたかったのだと気づいた。
それは、寂しさや孤独を埋めるものだったり憎しみを和らげるものだったり。
言い換えれば幸せというものだ。
どうしてこんな気持ちになるのかと過去を思い出した。
僕が生まれ育った家庭は、機能不全家族だった。
機能不全家族というのは、ストレスが日常的に存在している家族状態のことで虐待とか育児放棄といったものである。
僕は、もともと機能不全家族という言葉を知らなかったけど、昔から自分の家庭に違和感を感じることが多々あった。
大学生になって色々調べた結果、偶然この機能不全家族という言葉を見つけた。
僕は、ネグレストの父親と毒母に育てられた。
でも、別に彼らを憎んではいないし良い勉強をさせて貰ったと思ってる。
ただ1つだけ言うのであれば、誰にも頼ることが出来ないという気持ちでいつも一杯なんだ。
だから、誰かに人生の答えを与えてもらいたいと思っていた時期があった。
でも、人から何かを与えられたいと思えば思うほど人は離れていくって気づいた。
ある時、
どうして離れていってしまうのだろう
と真剣に考えた。
その結果、僕は人に何も与えていないことに気づいた。
与えれば与えるほど人は寄ってくるけど、与えられようとすればするほど人は離れていく
そんな物事の本質に気づいた瞬間だった。
その日から誰かに与えることばかりを考えるようになった。
でもやっぱり人は離れていった。
「どうして?」
と心の中で誰かに叫んだ。
でも、誰にも届かなかった。
そこで自分を客観視してみた。
人が離れていくのは
与えられようという欲望が見え隠れしてたから
だと気づいた。
でもどうしてもこの感情が支配する時がある。
どうしたらいいか悩んだ。
だから全てを諦めてみることにした。
その結果、廃人のようになったことがある。
死ぬことは心臓が止まることだけかと思ってたけど、実はそうじゃなくてこの世にいても死ぬことを知った。
死には物理的なものと精神的なものがあるんだな
と思った。
唯一の繋がりがSNSだけしかなかった時がある。
そこである一人のフォロワーさんと知り合った。
彼は、僕と違って生きることに興味がなく
「人生は死ぬまでの余暇。」
と捉える人だった。
人生は死ぬまでの苦痛の時間だと捉えていた僕にとってこれは衝撃的だった。
その時から僕は、彼のことをもっと知りたいと思った。
そしたら、彼も僕のことをもっと知りたいと思うようになっていることに気づいた。
だから僕は今まで誰にも話したことのなかったいじめの経験や、機能不全家族で育ったことを話した。
そしたら彼は
「この世界は狂ってる。」
と僕に言った。
僕は、なんだかその言葉を聞けてとても幸せだった。
「例えあなたの周りに理解者がいなかったとしても、世界は広いから必ずあなたのことを理解してくれる人に巡り会える」
みたいな言葉をどこかで聞いたことがあったけど、
「ああ、これのことか。」
ってその時初めて思えた。
僕は彼に何か恩返ししたいと思った。
僕にできることは何かないかを考えた結果、ネガティブな出来事から学んだことを語ってみることにした。
「人生で1回目のいじめからは、いじめをする側がいじめられる側の人間より強いと思うから発生するってことを学んだ。
だから、人生で2回目のいじめの時は、あえて強気で迫っていったらいじめをする側はビビって相手にしてこなくなった。」
とか、
「親がこういうことをしてしまうと子供は自信を失ってしまったり自分のことをよく分からなくなってしまうということを学んだ。」
とか。
そしたらそれが相手にとって価値となり、
「そーいう行動や考え方を知れて勉強になった。ありがとう!」
という返事と
「偉いねっ。」
というお褒めの言葉をもらった。
その結果、
どんなにネガティブな出来事でも、それを価値として誰かに提供すること
これができれば、
あなたも、
僕も、
赤の他人も、
みんな幸せだということを学んだ。
その反面、
人はあまりにも弱すぎるからこの発想になかなか至ることができない。
どうしたらいいのかと考えた。
その結果、今度は僕が彼から与えられたものを誰かに与えようと思った。
だから、発信し続けようと思う。
今までも、これからも。
僕が生きてるこの世界では、
片方の部分があまりにも眩しすぎてもう片方の部分が隠れてしまっている。
どんなにネガティブな出来事でも、それを価値として誰かに提供することができれば、
あなたも、
僕も、
赤の他人も、
皆幸せだ。
だけど、
ネガティブな出来事を価値として誰かに提供することを心の中で許せない自分が何処かにいてそれが不幸に繋がる。
だから、この世界は残酷だけど美しい。
どうしたら誰もがネガティブな出来事を価値として誰かに提供することができるようになるかを考えた。
その結果、
ネガティブなものが価値として提供される仕組みを作り、受け入れられる世の中に変える必要がある
と思った。
だから、発信し続けようと思う。
今までも、これからも。
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