個別最適な学びについて考える(58)ー赤堀侃司(1993)学校教育とコンピューターから
こんにちは!
今日は遅めの投稿になってしまいました。
すみません。ほどほどに投稿していくようにしますので読んでいただければと思います。よろしくお願いいたします。
どこかの時間で暇になった時に他の記事も見てくれたらなと思います。
いろんな記事を読んでくださっているのでとても嬉しいです。
続けて頑張ります!
本日は「赤堀侃司(1993)学校教育とコンピュータ.日本放送出版,東京」です。早速読んでいきましょう!
教え込みが悪いわけではありません。
しかし,あくまでもその活動は補助的であるということを考えなければいけないのかもしれません。
頭の中に知識を入れれたとしても,変化を起こすのは学習者自身であって,学習が成立するわけではないと考えられます。
現在言われているような自律した学習者を育てていくためには,補助的である行動をしてくことが望ましいでしょう。
自分に置き換えて考えてみると,自ら学びたいと思ったことはなんか覚えられているけど,受験勉強の時の知識なんて少しも覚えていないなんてことがあるはずです。(自分はそうです。笑)
心の中に名言として赤堀先生の言葉を持っておきましょう!
教授という機能はなるべく補助的であることが望ましい
個別最適な学びが少しでも難しくならないように考え方を変えていきましょう!
本日はここまで!また次回の記事でお会いしましょう!
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