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闘わざるもの食うべからず カルダモンロール 禍福は糾える縄のごとし

人生いいことばかりは続かない。いわゆる「禍福は糾える縄の如し」である。幸せと不幸は絡みつく縄の様に交互にやってくるらしい。分相応を超えて高望みすればするほど苦楽の差が激しくなるのだ。例えばそれは、ぐちゃぐちゃのカルダモンロールみたいに。

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昨年のロックダウン中、私は狂ったようにパン作りにはまっていた。当時パン屋は何処も休業中で、インスタグラムを開いては日本の西から東までありとあらゆるパン屋のアカウントを見漁り妄想にふけっていた。お店に広がるあの甘い香りを嗅ぎたくなり、焼きたてを頬張りたくなり、いつしか妄想で地方のパン屋巡りを敢行していた。

そして妄想だけで満足できなくなった私は人生初のパン作りに挑戦することにした。あの有り余るお籠り時間を勉学や自己鍛錬にうまく利用しようとする行為は人間の性として自然の流れだった。とにかく退屈から抜け出したかったのだ。

そこで入門編として参考にさせていただいたのは白崎裕子さんのレシピである。このレシピのポイントは材料が少なく行程が簡単であること、更に生地さえできてしまえば成形次第で様々な種類が作れるのである。少々不安はあったが早速私も手習いに丸パン、フォカッチャをつくってみた。初回は少しいびつではあったものの、綺麗に膨らんで生焼けせずに出来上がった。そして何でも「初めての料理」は美味いのが当たり前で、独りぼっちの台所でタニタしながら出来立てのパンを頬張ったことを覚えている。関西人のくせにぐちゃぐちゃのお好み焼きしか焼けない私でもパンが焼けたのだ!これだけで如何に白崎さんのレシピが素人に優しいかご理解いただけるだろう。(一度モダン焼きを作ってみたら生地と具の魚介と麺がバラバラになり異国の民族料理になった)以降、ハンバーガーやコーンミールとアレンジを利かせられるようになり、ロックダウン終了後も時たまパンを大量に焼いてはおやつや冷凍保存に充てていた。

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ある日のこと。私のSNS上に不思議な形をしたパンが登場した。丸くてなんとも形容しがたい、複雑に編み込まれたような、まるで縄文土器みたいなパンだ。トップに黒い粒がパラパラかかっていた。写真投稿者は、そのパンをお供え物みたいに綺麗な丸皿に置いて航空写真さながらの高い位置で愛でていた。写真下には「○○のカルダモンロール」と書かれていた。

カルダモンロール?今まで聞いたことが無い言葉だった。ハッシュタグやネット検索で調べてみると「爽やかな味」「スパイスが効いている」「甘い」「大人の味」「カルダモンは粗挽き派」「シナモンロールの親戚」「私は好き」甘いんだか辛いんだか分からない評価ばかりで全く味が想像できなかった。とにかく一番よく出てきたのがその○○(東京にある有名なパン屋)のカルダモンロールで、出自はフィンランドらしい。

その日以降カルダモンロールがやけに気になった私は地元や県外のパン屋をネットでググりまくってはみたのだが、近所でつくっている店が見当たらなかっかった。Cardamon roll(buns)と英語で調べれば、東京の例のカルダモンロールそっくりなパンの画像が沢山出てきた。それでも「ほんとにこれがスパイシーなのか??」と目を疑うくらい大量の粉砂糖が振りかけられたパンも見受けられた。

結局カルダモンロールの実態ついて確かになったのは

①カルダモン(カレーやクッキーに使われる清涼系スパイス)が生地や仕上げに沢山あしらわれている②シナモンロールと途中までだいたい作り方が同じ③砂糖とバターを大量に使う

この3つであった。そして既に、私の中で勝手に味のイメージがついてきた。「きっと甘々のプレッツェルやな。」

全く味が分からないものを前にするとオタク気質が疼いてしまった。一週間飽きずに調査を続けていたら、遂に行ったこともないストックホルムの名店(らしい)のカルダモンロールのレシピにたどり着いてしまった!つまり本場の味を家庭でも再現できるのだ!おこもり時間が増えた機会に是非作ってみようと私は早速レシピをノートに書き写した。

調べ上げた末、最終的に次の2つのレシピを参考にした。ひとつはFabrique Bakeryのもの。フィンランド、ロンドン、NYに店舗を持つカルダモンロールの名店である。二つ目はSaimaa Lifeのもの。フィンランドのライフスタイルを紹介するサイトで、細かいことは気にせず大らかな気持ちで作ればいいという気概にさせてくれた。二つを好みの分量や過程に落とし込むと以下のレシピになった。

BUNS(12~14個分)

粉(今回は中力粉)450g カルダモン大匙1/2    

砂糖大匙と2/1 イースト小匙2 温いミルク250ml 

塩小匙3/4 卵1/2

FILLING

カルダモンを塗る用のバター適量 カルダモン+砂糖適量

COATING

卵黄、砂糖、あれば粗挽きカルダモン

備忘録:ヘルシーに仕上げる時はバターやミルクをオリーブオイルや豆乳に代替。その際に水分量や風味が変わってくるので都度粉の量などを調整。カルダモンをシナモンに代えればシナモンロールに。

①まず全てのバターを室温に戻しておく。ミルクは少しだけ温めておき、砂糖とイーストを入れてよく溶かしておく。②その横で粉とカルダモンを混ぜる。真ん中にくぼみをつくって先ほどのミルクを注ぎ全体的にこねる。塩はこねながら徐々に投入、段階的にいれるといいらしい。③ざっくりこねたところで卵とバターを投入し生地がまとまるまでこねる。(因みにFabriqueのカルダモンロールは卵が入っていない)④大体こね始めて2~3分後、材料が混ざりきって生地が緩み過ぎず全体的につるんとまとまったらボールにラップをかけて日陰で30分~1時間生地を寝かしておく。うまくいけばこの一次発酵後に生地が二倍に膨らむはず。⑤発酵が済んだら生地を二つに切り分け打ち粉をした台に伸ばす。ここでフィリング用のバターを半量塗り広げ(残りはもう一方の生地用に)、粉砂糖とカルダモンを端から端までたっぷりとまぶす。⑥ロールケーキの様に辺の長い方を巻き上げていき、好みの大きさにカットする。(写真参照)そのまま真っすぐに切り分ければ一般的なシナモンロールの形になり、ハの字に互い違いに切り分け、台形の短い方を真上にチョップすれば耳型、伸ばして巻き上げれば玉結び型、花型になる⑦キッチンペーパーに載せてボールで蓋をする、若しくはフライパンに並べて蓋をして二倍になるまで待つ。(二次発酵、写真参照)その間にオーブンを220~225度(おうちのオーブンの最大値)に温めておく⑧膨らんだら卵黄を表面に塗り砂糖や粗挽きのカルダモンをかける。オーブンに入れて10~15分焼く。

今回は人生初のカルダモンロールということで、ヒヨって半分はシナモンロールにすることにした。成形時に右半分をカルダモン、左半分をシナモンで塗りたくり、巻き上げた後に好みの大きさに切り分けた。

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うろ覚えだが、見分けがつきやすいよう耳型(写真上)と渦巻型はシナモンロール、玉結び型と花形をカルダモンロールにした。中でも玉結び型は難しく、YouTubeを観て頑張ったのだが何度も結び直したら結局イビツな玉結びになり、もう一個は無茶してスライムボール、もはや玉そのものになってしまった。(写真下)ちなみに耳の形をしたシナモンロールをスウェーデン語でKorvapuusti、「ビンタされた耳」というのだそう。

少し温めておいたフライパンに生地を入れ、蓋をして二次発酵。時間が経つと生地は膨らみ、やがて表面は赤ちゃんのお肌みたいにむくむくになった。

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二次発酵が済んだら卵黄と砂糖をコーティングしてオーブンで10~15分焼き上げた。台所は次第に甘いパン屋さんの匂いで充満してくる。パン屋さんに鬱の人がいないという都市伝説は本当かもしれない。猫の肉球の香りがするハンドクリームが商品化されてるのならパン屋や焼き栗屋を再現したアロマデフューザーがあってもいいのではないか?まったく、こういうくだらないことを思いつく才能だけはある。(どなたか情報を教えてください)

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数十分後、オーブンから産声がわりに至福の香りをまとった出来立てほやほやのパンたちが現れた。まさか人生初のカルダモンロールが自分の想像で作ったものになるとは。それでも我が子は可愛いものだ。ドキドキしながら実食した。

バターをオリーブで代替したからか思ったほどパンはふわふわにはならなかった。けれど人生初のカルダモンロールを味わいながら徐々に自分の表情が朗らかになっていくのを感じた。私は美味しいものを食べると分かりやすいくらい顔に出る。たぶんトゥイ―ティー並みに、目と眉毛を以て未体験の味に感動していたはずだ。

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噛みしめるほどに、先の調査で出てきたネット上のカルダモンロールのコメントにばらつきがある意味が分かった。私も含め日本の大多数の人がカルダモンの味を単体で思い出すことが困難であることから、シナモンロールを想定して食べる人がほとんどではないだろうか?実食して初めて、両者のイメージのギャップと向き合うわけだが、カルダモンに好き嫌いがあるか、スパイスと甘味の掛け合わせに許容があるかどうかで意見が大きく分かれるはずだ。私個人の感想は、「美味しい」の一択、「アリ」だ。鼻腔内に香るカルダモンの爽快さが癖になるし、今回の様なパウダータイプでなく粗挽きタイプのカルダモンロールに益々興味が沸いた。(なかなかお店で見かけないのが現状だが)

それと…全然プレッツェルじゃない!当初の予想とは大きく違った味だった。先入観とは本当に怖いものである。


あれから一年後、私のもとに一つの情報が飛び込んできた。京都の坂田焼菓子店にて二日間限定でカルダモンロールが販売されるというのだ。コペンハーゲン仕込みの味らしい。同じヨーロッパでスウェーデンとはお隣さん同士だし、これは本物のカルダモンロールと言っていいのではないのか?本物を食べられるチャンスじゃないのか?!

と言うわけで販売初日の朝、早速店舗に向かった。売り切れては困るからと心配性の性格も働いて開店時間あたりを狙った。

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現場に到着してまず驚いたのは、明らかに他の焼菓子店とは違った香りが辺りに立ち込めていたということ。あれはカルダモンロール特有の香りだった。「日本でまさかこの香りが嗅げるなんて!」カルダモンロールの祭典に足を踏み入れるような高揚した瞬間だった。

次に驚いたのが、普段焼菓子が並ぶカウンター一面がカルダモンロールだけでぎっしりと埋め尽くされていたということだ。実は坂田焼菓子店に来たのは二回目で、確かカウンター上にタルトやパイが並んだショーケースがあったはずである。しかしどうやら、あの二日間だけはすべてが取っ払われ(?)そこにカルダモンロールだけの夢のステージが用意されていたのだ。

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そんな光景を前に天をも突き抜けるような高揚感をグッと抑え、私は店員さんに恐る恐る聞いてみた。「いくつまでですか?」

すると店員さん「いくつでもいいですよ。」

夢の景色に思わず「じゃあここからここまで」と言いそうになったのだが、それではお店の方に迷惑極まりないので大分遠慮して4~5個にしておいた。

帰宅後、早速トースターで軽く温めなおし食べてみた。取り出したら、明らかに自分で作った時とは違う、バターの芳醇な匂いがカルダモンロールから香った。齧りつくと生地はしっとりしていて口いっぱいに甘味が広がった。スパイスのアクセントが物足りない気がしたものの、コペンハーゲン仕込みのコクのあるデニッシュ風生地と主張し過ぎない清涼感が魅力の味で、甘さも爽やかさもコクも味わえる贅沢なカルダモンロールだった。やはりカルダモンは粗挽きの方が過度に主張せずスッキリした味に仕上がる、と脳裏にメモしておいた。これが二日間限定の味だなんて、記憶でこうして書き記すしかない味のメモリーの哀しい末路である。

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それから更に半年が経った今、ケータイの過去のフォルダを見返し、大量に撮り溜めていた手作りパンの写真や坂田焼菓子店のカルダモンロールの写真を眺めて懐かしくなる。特にカルダモンロールは何度も何度も作ったものだ。遊びに来た妹にもオカンのように「持って帰り!」と押し付けていたくらいだ。何故こんなにもカルダモンロールばかりに入れ込んでいたのかは実は未だに謎である。けれども、この頃の私のフォルダは、長い自粛ムードで窮屈だったはずなのに最近撮られた写真よりも随分と被写体が明るくて楽しそうで、我ながら生命力を感じられた。

きっと人というのは障壁の前や困難な境遇の中で奮闘しているほうがクリエイティブになれるのだ。そしてクリエイティブになれたその先はかならず良いことしか起こらない。創意工夫をこらしてこそ人は少しでも知恵がついて強くなれるし自信がつく。この一年で私が実感したことである。私もあれから社内でのステータスが上がり若手という期待に任される業務が増えて行った。私生活では家事をこなしながら倹約して、貯金で今年から英会話に通えるようになった。自粛ムードが明けてくると仕事も私生活も徐々にアクティビティが増え、毎日が刺激的な日々だった。夢があるだけで何でも楽しかったしご飯も美味しかった。

しかしいいことばかりは続かない。上り調子だったはずの社会人4年目現在、会社を辞めるかどうかの選択を迫られている。転職するかどうかではない。先日、職場で緊張の糸が切れたようにパニックに陥り、以降会社を休んでいる。日々の荒波の中で順風満帆のふりをして自分をごまかし続けたことが仇になったのだ。土日を挟めば休んで今日で一週間になる。今の精神状態のまま無職で就活できる気がしない。履歴書に書ける資格も運転免許とTOEICしかないし、それで十分といえば十分であるがこういう切迫した状況下でも今より良い会社に行きたいという欲が邪魔をする。こういう時は普段、二択にこだわらずに「三つ目の方法」というのを考えるのだが、今のメンタルではベターな方法さえも思いつかない。(それでもこの記事をここまで書き上げたバイタリティは何なのか。自分が益々わからない。)

ここで表題の話にやっと戻る。「禍福は糾える縄の如し」である。幸せと不幸は絡みつく縄の様に交互にやってくるらしい。あの頃、カルダモンロールの生地をこねて成形時の玉結びに苦戦した日々を想いつつ願う。いつかは綺麗に編み込まれたカルダモンロールの様に順繰りに苦楽を享受して、ひとつひとつを丁寧にこなし、慎ましくとも穏やかに暮らせるようになりたい。激しい快楽や高い地位はもう一切求めないから、人並みの苦労ならなんだってするから、置かれた場所でどうか普通の生活をおくらせてほしい。

もしこの法則が事実ならば、真っ暗な私の目前に待ち受けているのはきっと「いいこと」であるはずだ。毎日そう、願っている。


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References;

坂田焼菓子店 カルダモンロールはJun Iwasakiさんの写真集発売記念に限定で発売されていました。普段は季節の果物を使ったタルトやパイを販売されています。おすすめは甘すぎないオーセンティックなアップルパイです。


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