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初めてミシェル・ウェルベックを読むなら 『地図と領土』

間違いなく現代フランスで最も著名な作家のひとりであるミシェル・ウェルベック。しかし私の中ではどちらかというと筆者のスキャンダラスなイメージだけが先行してしまっていて、今まで著作を手に取ることがありませんでした。

読まず嫌いはよくありません。
フランスで最も権威のある文学賞、ゴンクール賞を2010年に受賞した『地図と領土』は、筆者の煌びやかな名声に負けない確かな読み応えのある一冊でした。

主人公は若きアーティストのジェド。とある作品がとある人物の目に止まり、一躍時代の寵児となります。

ジェドは人間関係が極端に希薄で、掴みどころのない人物です。しかしパリで1番の美女の目に留まり、本人の努力を要することなく美女の方からアプローチされてすぐにベッドイン。この辺り、村上春樹小説の主人公を彷彿させられて、クスリと笑えます。男性が書いた男性主人公の作品によくあるような展開で、たまには逆パターン、世間一般的なモテるタイプではない、しかも人間関係の構築に積極的でもない女性の主人公の周りに、なぜだか絶世の美男子たちの方からどんどん求愛にやって来て、やれやれ。みたいな小説も読みたいなあと思います。

ところで、才能あるアーティストという設定の登場人物を小説に登場させるのは、作家自身の芸術性を求められる非常に難しい挑戦ではないでしょうか。

よくありがちなのは、いかにもアーティストっぽいエキセントリックなキャラクター性だけが強調されて、そのキャラクターの作品の描写には説得力がないこと。小説家がアーティストとは限らないですし、小説家自ら現代アートの真新しいコンセプトを生み出し作品中の作品として書き上げるというのは非常に難しいことなのだろうなと想像します。しかし作中に登場する”稀代のアーティスト”の作品に厚みがないと、小説自体の説得力も損なわれてしまいます。

これは映画やアニメを見ていてもときどき感じることで、登場人物が売れっ子アーティストだという設定は、説明描写やその他の登場人物たちの反応で理解できるのだけれど、しかし肝心の彫刻だったり絵画だったり、小道具として映画の中に登場する作品が登場人物の名声に似合わないお粗末さで集中力が途切れる時があります。

その点、最近見た映画の中で特に流石だな!と唸ったのがデヴィッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ』。本作の中にも芸術家とその展覧会のシーンが出て来るのですが、作品たちに圧倒的な存在感があるのです。本筋とはあまり関係のない細部ではあるのですがそれ故に、映画監督という枠だけに収まらない、クローネンバーグ監督の芸術性とこだわりの強さを感じられる名シーンでした。

少し脱線してしまいましたが、『地図と領土』を読んでいて『スキャナーズ』を思い出したのは、本書に描写される主人公ジェドの作品がどれも興味を惹かれるものばかりだったから。そこが第一に、この小説が素晴らしい所以だと思います。

彼の作品が本の中にしか存在していないなんてもったいない!と思っていたら、文庫版のあとがきによると、東京のギャラリーで『地図と領土』にインスパイアされた作品の展覧会が開かれたことがあるそうです。ちなみに、ちくま文庫版の表紙の写真は、ウェルベックが本書の中で描写したジェドの作品制作の過程をほぼ全て実際に自分でも試してみたという、川島崇志さんという写真家の作品なのだとか。

確かに作品についてのコンセプトだけでなく、使用している機材や制作方法など、ウェルベック自身が映像作家になれたのではと思うほど詳しく書かれていて、この本を読んで写真や映像作品をつくりたくなる気持ちがよく分かります。
現代美術業界という舞台装置も面白く、しかもウェルベック流のシニカルな解釈が鋭くて、小説好きだけではなくアート全般に興味のある人も楽しめる一冊だと思います。


現代アートを中心に、物語はジェドという芸術家の人生をゆっくりとなぞるように淡々と進んでいきます。と、思いきや後半でがらりと物語が変化する二部構成になっていて、ラストへ向けてページをめくる手が止まらなくなる爽快さ。思いがけない大きな事件が起こるのです。この辺り、裏表紙のあらすじなどには目を通さず読む方が素直な驚きを楽しめることでしょう。


ただ前半から続く日常パートの何気ない描写や、ピリッと辛口で的確な現代への風刺があまりにも面白すぎたので、後半の大きな事件については案外さっぱり終わってしまった印象でした。劇的な部分よりも普通の部分にこそ、そこはかとない味わいのある作品です。

また実際に存在する著名な作家や有名人、フランスのメディア業界の人物などが実名で登場するのもこの作品が持つ、独特な現実感を高めるのに一役買っています。実在する人物が登場し、現実と小説の虚構がクロスするからこそ一層、ウェルベックの現代社会への皮肉が痛烈に効いてくるのです。


しかも本書には、ウェルベック本人も”世界的に著名な作家”として登場します。果たして作家はどう自作自演して見せてくれるのか。

もちろん読者の期待を裏切らず、ぼろぼろの身なりから始まって、かなり酷い扱い方をされるウェルベック。
なるほど自分自身を切り離して観察できる客観性のある人なのだなと思って読んでいたら、歴代のウェルベックの元カノたちは別れた後もみんな彼のことを忘れられなかった、という設定を入れている辺りに男性のエゴを感じて笑えました。
よくよく読み返してみると、本書に登場する主要な男性キャラのパートナーが全て絶世の美女というのもちょっと呆れてしまうポイントです。でもそれすらも、ウェルベック流の計算されたユーモアなのかもしれません。

なにせ本書の至る所に現代社会やそこに生きる人間たちに対する絶妙な、とてつもなくシニカルなユーモアが貫かれているのです。ただし決して粘着質な皮肉ではありません。カラッとした切れ味の鋭いシニカルさ。非常に覚めていて、筆者の圧倒的な知性の高さを感じるからこそ、果たしてどこまでが計算づくなのか分からない、くらくらするような楽しさに迷い込み、どうしようもなく魅了されてしまうのでした。

読み終えてしまうのが堪らなくなって、一級の皮肉な文章世界にもっと浸っていたくなって、慌ててもう1冊ウェルベック作品を購入しておきました。こちらも楽しみで、しばらく愉快に過ごせそうです。



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