自分のことに集中出来ていない時に限って他人の言動が気になる
自分のやるべきことに意識が向いていない。又は迷っている時に限って、外側に意識が向いてしまい
外側に答えを求めてしまう。
フォロワー、いいねが多い。みんなが承認するものこそ、最上に価値があるものだとするSNSなんぞ最たるものです。
正直、他人に全く認められなければ生きて行けないか?というと、そうでもありません。
蛇口をひねれば綺麗な水が流れる。電車が定時に来るのが、さも当然の如く
当然のことを当然のようにやる、一度ミスをすれば叩かれるような厳しいい中で踏ん張っている事柄もある中で、他人に認められずとも食い扶持に困ることも無い。
人にどう思われようが、公序良俗に反することもしてなければ、犯罪を犯している訳でもなく
自分の責任で自分の生活を守っているならば、他者に何を言われる筋合いもない訳ですが
どういう訳か、自分のことから逃げたくなる時に限って、自分よりもある事柄で下と上っ面を見て判断した人を見て安心したり
人の言動にいちいち聞き耳を立てて、自分との違いを点検することに余計に神経をすり減らしてしまいがちになります。
目標に向かい進んでいる時は、目の前に現れてもすぐに後方へ流れては消えて行く他人のことなんて気にならないのですが
止まっていると、目の前の人間が大きく見える。
自分がちっぽけに感じ。他人のことが良くも悪くも大きく見える。
答えが自分の中にあることを忘れてしまいそうになる。
他人の中に答えがあるのではないか?と
なので迷ってる時ほど、私は他人を見ないようにしています。
物理的にも、心で感じることも一旦止めて見る。止めどもなくなってしまうから
人間集団生活する生き物なので、他人が気になることは正常な証だとは思うのですが
度を過ぎると証どころか、他人たちの人生の中に拘束された言動に終始するようになってしまう
だから人と外れたことをする時間や自分と向き合う、このnoteを書く時間も自分にとって必要なのだと感じます。
皆さんも他人が気になることでストレスを感じることもあると想いますが、それは私も、多くの人も同じなので
焦らず、波が収まるのを待つ為に海中に沈むかのように、静かに過ごしましょう。また動き出せるようになれば
きっと笑い飛ばせるぐらいに気にならなくなります。