若い時の苦労なんてお金がもらえたとしてもしなくていい
「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉がありますが、避けられる苦労ならどんなものだって避けた方が良いというのが私の結論です。
そもそも私が人生のなかで「出会わなければよかった苦労」は大きく分けて
・中学時代の部活動
・新卒入社後
の2つ。
私の通った中学は真面目な堅い校風で、入学したと同時にどれかの部活に強制的に入部しないといけない決まりでした。
しかも最悪なことに、選べる部活の種類はバスケ・バレーボール・テニスなどの運動系が4つだけ。美術部やブラバンなんてものはなく、どれだけ運動神経が悪かろうが絶対に3年生の引退試合まで部活をやり続けねばならない環境。サボるなんで論外でした。
そんななか、私は運動が壊滅的に苦手。特に運動会なんて、ただ辱めを受けるイベントでしかなく「明日の運動会までに隕石落ちないかな」と毎年ずっとずっと祈っていました。
そもそも”運動神経が悪い”って学生生活において致命傷なんですよね。勉強が苦手だって誰にも迷惑かけないけど、運動神経が悪いとチームプレーの時なんか明らかに他人にわかる形で迷惑をかけてしまう。自分の存在が他人の負担になっていることを、若干6歳とかで自覚し始めてしまうんですよ。なんて残酷。
そんな私が無理やり運動部に所属させられるわけです。
やりたくもないのに毎日数キロ走らされ、週末も部活でつぶれ身体的にも休まりません。
でも一番つらいのは、ダントツでメンタルでした。
運動以外の面では、学級委員長や生徒会をやるなど、いわゆるリーダー的な役割をすることも多かった私。
そんな自分が、部活に入った途端そのなかで補欠も補欠の位置づけとなり、自分のことを底辺の存在だとしか思えませんでした。
田舎で人数の少ない学校だったので、部活のメンバーとも部活外ではみな仲のいい友人。
なのに部活の時間になると、それまで仲の良かった友人とは圧倒的な立場の違いを感じ、どれだけ家で練習してもできないのが悔しくて、みじめで辛くて、初めて自分のことを大嫌いになりました。
今思えば、明らかに自分の苦手なフィールドで強制的に活動させられてる訳です、自己肯定感も下がって当然ですよね。
規則上辞めることはできないので、当時の私は苦しい時「部活でレギュラーになれなくても、これを耐えたら、耐えたことそのものが自信につながるはずだ」と何度も心のなかで自分を励ましました。そうすることでしか、自分の心を保てなかったんです。
13歳の私は、少なくとも運動以外で、より自分がパフォーマンスを出せる分野があると分かっていました。それなのに、狭い世界で、選択肢がないことにより、しなくてもいい辛い経験をしなければならない。この無力感はずっと忘れません。
これが、私の人生における1つ目の苦労した話。
2つ目の苦労は新卒の時です。
ミスマッチを防ぎたかったので、インターンシップまでしたのに
入社後の配属先は社内でも特殊な”軍隊”と揶揄されているほど体育会系のブラックな場所でした。
早朝から深夜までのサービス残業は当たり前。周囲では怒号が飛び交い、上司や先輩のいうことは絶対で、合理性なんて皆無。やる意味があるのかないのか、本質を見失った山のような仕事が片づけても片づけても降ってくる日々でした。
またその部署は新卒入社の総合職がヒエラルキーのなかでは最も低いんです。そのため、3桁の人数が参加する部の飲み会などでは、場所決めから当日の出し物、司会などの幹事を全てやらされるにも関わらず、食事は一口たりとも食べられませんでした。ベテラン事務員さんより高い飲み会代を払っているにも関わらず、です。
そんな扱いが朝から晩まで続くのですが、なぜそんな理不尽がまかり通るのかといえば”将来あなたたちは高い給料もらえる立場なんだから”、だそう。
それがまかり通る文化に寒気がし、だんだん仕事に行くのが辛くなっていきます。
人事部に異動について聞いたところ、私が新卒であることや、組織の構造上すぐの部署異動が難しいとも言われたので、この会社に居続ける限りしばらくはこの空気の中で仕事をしないといけないわけです。
新卒で入った会社、しかも一部上場の大手企業。
ここで辞めたら自分の人生が崩れるんじゃないか?
自分が頑張ってこの部署の文化を変えたらいいのでは?
辛いからって逃げていいのか?
そんなことをぐるぐる考え続けますが、それと同時に仕事では更なる過酷な状況に。
あるときから、眠るとき・朝起きたとき・会社に向かう時
遂に「生きていたくない」ということしか考えられなくなります。
ここでようやく、自分の心が弱っていることを自覚し
逃げなくちゃ!と覚悟を決めて会社を辞める事ができました。
これが、私が人生で経験した2つ目の大きな苦労です。
ここからがようやく本題ですが、
これら2つの苦労で、私が得たことといえば
・中学の経験により、基本的に”自分なんて…”と自己肯定が低くなった
・中学の経験により、人に迷惑をかけるのが極端に怖くなった
・新卒の経験により、ちょっとでも無理をすると鬱っ気がぶり返すようにあった
・新卒の経験により、他人が怒ったり声を荒げるのを目にするとフラッシュバックで精神面や体調を崩すようになった
・・・これらです。
つまり良いことはなんにも得られておらず、逆にマイナスなことだらけなんです。
ちなみに、中学の部活時代の私が「部活でレギュラーになれなくても、これを耐えたら、耐えたことそのものが自信につながるはずだ」と思ってた件ですが、そんなもの何の自信にもならなかった。
人は、嫌なことに出会うと深い傷を受けます。
その傷は完治することはなく、傷跡としてずっと本人に残り続け、一生影響を及ぼつづけます。
笑っていてもふとした瞬間に、痛みがぶり返す。
そんな自分と付き合っていくしかなくなるんです。
だから私は声を大にして言いたい。買ってでもするべき苦労なんてないのだと。
苦手なもの、嫌いなもの、自分に向いてないものには極力触れないでください。
それらに触れなくても、絶対に生きていくことは出来ます。
嫌い・苦手・向いてない、そんなものからは一目散に逃げてください。それでいいんです。
その代わり、自分が
「割と苦労なくできるな」というものを見つけることにたくさん時間を割いてください。
そして、その”割とできるな”と思うことが価値を発揮する場所に自分を導いてください。
それが、あなたが生きやすくなる方法です。
現に私は、日本の会社や組織には向いてないと思ったので
気の合う人達がいる業界でフリーランスとして働いています。もちろん、苦手な球技系の運動なんて、ここ10年ほど一切してません。
とはいいつつ、仕事でだってそれなりに大変なこともあるし
運動だって健康を維持するために最低限必要な分はやっています。
でもそれは、私にとって自分が納得できるものであり、今のところ最適解とする生き方のなかで発生したものなので、消化すべき事象としてとらえています。(運動なんかは、ヨガや水泳など自分が嫌にならない範囲でのんびり一人でやっています)
こんなふうに、自分の生きやすいやり方で生きる方法なんで色々あるんです。
どうか、買ってでも苦労しよう!ではなくて
苦労なんてクソくらえと思える人がひとりでも増えますように。
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