残念なのはどっち?
圧力に従い空気を読むことを学ぶ
私は性質的にいろいろなものを深掘りしたくなる。仕組みが知りたい、と思ってしまう。子どもの頃から。だから大人が圧力で「決まりなんだから」と言ってくることや、「つべこべ言わずにしろ!」と言われることに関しては「どうして?」といちいち聞き返したくなる気持ちを押さえて、違和感というストレスを自分の中に溜め続けていた。
そんな私でも、学校に12年も通っていると「黙って従う方が楽」「サボってる人が悪い」「自己責任」みたいなものが心の大半を占めていて、自分が元々持っている「納得しないとしたくない」はどこかに押しやられていた。そして20代にもなると「これが大人になるってことだ」なんて勝手に自分を納得させていた。
アラフィフにして違和感が頭をもたげる
それから何年経っただろうか。子を持ち、彼らの目線を大切にしながら子育てしていると、あの学校生活で感じた違和感が蘇ってきた。え?なぜそれをする必要があるのかな。何のためにこうするの?
私は再び違和感でいっぱいになった。ずっと押さえてきた私の性質が再び目を覚ました。
世の中の価値観に疑問を持ちながら、我が子のために独自の学び場を作った。それが今年14年目になる英語教室だ。14年の歴史の中で、世の中のニーズを見極めながら。正直「すぐに成果の出る英語学習」を目指そうとしたこともある。でもそれはうまくいかないし、そもそもすぐに出る成果なんて面白くない。何より自分に合っていないとすぐにわかった。私は子どもたちに英語で希望を感じて欲しいのに、すぐに成果を出すための学習は子どもたちに優劣をつけることから始まる。そんなの嫌だ。そこから思いっきり舵を切って、体験レッスンの際に既に「英語の成績を上げる、英検を取らせる、英語の読み書き等は目指していません」と伝えている。
敢えて大人が喜ぶような文言を広告から外すことから始めた。
私の専門は「楽しむこと」。一緒に楽しむことには自信がある。
そして英語を嫌いにさえならなければ、中学英語や高校英語と形を変えていっても英語とずっと仲良くしていられる、ということは教室を卒業した子どもたちや、小学校で英語の授業を共にした子どもたちがその行く先々で教えてくれた。かつての私がそうだったように。
子どもは好きなことを一生懸命する。カッコいいと憧れたら頑張っちゃう。自分で選んでそれをするのがベスト。そのタイミングも、興味も…
答えを持っているのは本人だけ。
残念なのは…
先日本を読んでいたら、「あの子の姿勢が悪いせいで、あの子が言ったことが入ってこなかった。良いこと言っていたのに、もったいない。」というフレーズを目にして違和感をもった。
私から見たら、もったいないのはこの人の方。姿勢にばかり気を取られ、その人が言っている言葉が入ってこないなんて。そんな聞き方で人の話を聞いているなんて。もったいない。
そう考えたら、自分の世界がひっくり返るのを感じませんか?
これが正しいスタイルで、それ以外は変。間違ってる。
ってそれ、誰がそう言ったんですか?あなたの目にそれが間違って見えるのは、なぜですか。よくよく考えたら、洗脳されてませんか?
相手が良いことを言っているならば、それは寝っ転がっていようが後ろ向いていようが、姿勢が悪かろうが、良いことなんですよ。
私たちは「これはこうするのが普通だよ」「何度言ったら出来るの?」「みんなと一緒にできるかな」そんな言葉にまみれて育つ。
基本がなぜ大事なのか、姿勢が良いのは何に良いのか。どうしてお日様を赤く塗るのか。どうして黒じゃだめなの?
そんな小さな違和感や疑問を一色に塗りつぶされながら大きくなっていく。
でも実はその違和感や疑問こそが、学びの種。
そうやって育ってきた大人たちは、今度は違うものを嫌う側に回る。
「姿勢が正しくない」「字がきれいではない」「マス目をきちんと埋めていない」「声が小さい」「目を見て話していない」
だから、あなたの発表は素晴らしくない。あなたの言っていることは素晴らしいけど、マイナス点です。もっと丁寧に。もっと声を大きくして。もっとハキハキと。100点を目指しなさい。でもその100点って誰の何のための100点なの?
世界中にはいろんな人がいて。日本中にもいろんな人がいる。
私が子どもたちに残したいもの、手渡しておきたいものは、「どんな声にも耳を傾ける力」「人が伝えようとしていることをどうにかして受け取ろう、とする力」
私の教室のルールの一つ目は "Listen to others."
先生や大人だけじゃなくて、友達の声もたくさん聞こう。自分にないアイデアや方法、感じ方、シェアして楽しもう。先生の英語以外興味ない?いやいや、これからは世界中で英語が話されるのよ。必ずしもネイティブの英語ではないはず。日本人同士でも必要に応じて英語を話すよ。
大きな声、小さな声、聞き取りにくい声…どんな声にも丁寧に耳を傾けて、その人のことをもっと知ろう、っていう気持ちが子どもたちに産まれたら、私はもう何も教えることはない。
子どもたちは友達のアイデアや言葉を聞いて、自分になかったものを得る。そして上手な人に憧れて、努力する。「もっと上手になりたい」とか「もっと上を目指したい」ってのは大人の指示でするものじゃなくて。
子どもたちが感じること。
感じて求めて工夫すること。
頑張ること。
それが学びの本質。