大仏のなぞなぞ
子どもの頃、なぞなぞがとても得意でした。なぞなぞの本を読み漁り、さまざまななぞなぞを楽しんでいました。
そんな記憶は鮮やかに蘇るくせに、肝心のなぞなぞ本体の中身はほとんど思い出せなくて、今では子に通じない「下は大火事、上は大水。なーんだ?」くらいしか思い出せません(笑)
毎週月曜日には、旅の記録を書いています。
すっかり秋ですね。日が落ちるのも早くなったし、空はとても青くなったような気がするし。
タイトルにしたなぞなぞをご存知でしょうか。
「鎌倉の大仏がたったのは、いつでしょうか」
鎌倉時代・・が歴史的には正解のようですが、なぞなぞなので、答えは「立ったことがない」となるのです。僕はこの問題に出会った時に、なぞなぞってすごいなぁと思ったものです。ついつい真面目に考え込んでしまう自分を客観視するとともに、視点の広がりを感じました。
そんな鎌倉の大仏様に会いに行った旅のこと。前置きが長くなりました。
鎌倉駅の一つ前、北鎌倉駅を降りて、海の方へ歩き出しました。鎌倉といえば、鎌倉時代に幕府が構えられた古い都。小学校の遠足でも来たことがありましたが、ひとりで来るのは初めてだったと思います。
鎌倉時代は、豪快というイメージが強く、社寺の社は大きくて立派なものが象徴的です。建長寺が、鎌倉の入り口で迎えてくれました。建長寺の近くにあったお蕎麦屋さんに入ると「けんちん汁」の文字が。
なんでも、けんちん汁の発祥は建長寺なのだとか。なんとなく、日本昔ばなしなどに出てくる、囲炉裏で作られている具沢山の汁物のイメージ。まさかダジャレとは・・。
紅葉の季節、多くの人が鎌倉に訪れるわけですが、とりわけ人気の場所があります。それが、丸窓が有名な明月院。建長寺のそばにあるとは知らず、思いがけない景色が観られました。
どーん!
本当は、窓の奥にある紅葉が真っ赤に紅葉するのですが、季節は12月で、紅葉はほぼ終わり。ですが、窓から入った太陽光が敷いてあった絨毯にあたり、赤い光となって窓際を照らしていました。
紅葉じゃなくても、丸窓の正面から赤く染まる幻想的な部屋を見られたことは、鎌倉らしさを求めていた僕にとって、とても嬉しい瞬間でした。
小学校の遠足で鎌倉を訪れた時、子どもの僕には、鶴岡八幡宮がとても大きかった印象がありました。長い階段を登り、大きくて赤い社が珍しかった記憶をもとに、再び参詣しました。空の青と、社の赤が映えてとても綺麗でした。
いよいよ、鎌倉の大仏に会いに行くことにして、試しにおみくじを引いてみました。気になる運勢は・・「大凶」・・旅先で、ついついおみくじを引いては一喜一憂することの多い僕ですが、大凶は初めてだったので驚きました。・・本当に、あるんだ・・と。
秋の終わり、温かな冬の始まりに、懐かしい大仏に会えました。社会情勢が不安になると、冗談のように語られる「大仏建立」ですが、実際に目の前で見たら、その願いの強さとか、なんとかして神様に状況を変えてもらおうとする人の気持ちがわかる気がしました。だって、やっぱり大きいし、迫力があるんです。
鎌倉の大仏は、中に入ることができて、しかもその背中には通気口があり、それは窓のように開閉するのです。その通気口が、建立当時からあったのか、途中で作られたのかはわかりませんが、正面から見るのとは違う、ちょっとした人間味が感じられます。
丸まった背中が、ちょっと物寂しい感じがしますが(笑)通気口の蓋の部分が、小さな羽のようにも見えてくるような気がします。
大仏のご近所にあったお菓子屋さんも、とても美味しい餅菓子を売っていましたし、鎌倉には僕の好きな土屋鞄のお店もあります。それぞれのお店で交わした言葉も思い出しながら、この話を書きました。
また、大仏に会いに「いざ鎌倉!」・・そんな気持ちです。