並河進

コピーライター/詩人。季刊誌「住む。」にてエッセイ「いつか、ここにあるもの。」を連載中。渋谷のラジオ「サラヤ渋谷支社ソーシャルデザイン部」パーソナリティ。哲学とプログラミングが好きです。

並河進

コピーライター/詩人。季刊誌「住む。」にてエッセイ「いつか、ここにあるもの。」を連載中。渋谷のラジオ「サラヤ渋谷支社ソーシャルデザイン部」パーソナリティ。哲学とプログラミングが好きです。

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  • いつか、ここにあるもの。

    季刊誌「住む。」で連載中のエッセイ集です。

最近の記事

すべての仕事は、アートにできる。

国際芸術祭、東京ビエンナーレ2023に参加しています。 あえて自分の作品以外で、グッときたいくつかの作品を紹介します。 芸術祭は、一見無関係に見えるいくつかの作品たちが共通のテーマに別の角度から光を当てていることに気づいて、それが面白かったりもします。 まず、この作品。 ヒルダー・エリサ・ヨンシュドッティルさんの「Seeking Solace」 日本語にすると「慰めを求めて」という意味です。 パフォーマンスも行われたのですが、僕は惜しくも見逃してしまい、エトワール海渡リビ

    • ChatGPTが話す内容の「真実度」を表示する方法

      人工知能のChatGPT、使っていますか? 「ChatGPTは便利だけど、間違った情報が混じるから困る・・・」と思っている方向けのプロンプト(ChatGPTへの指示)を作りました。 真実度を表示します。 最初にこのプロンプトを指示すれば、ChatGPT自身が「怪しい情報だなあ」と考えているものは分かるようになります。 ※ただし、ChatGPT自身も真実だと考えているものは、間違った情報でも高い真実度になってしまうのでお気をつけください。 このプロンプトでの回答例がこちら

      • 国語の数学【2】 言葉を引き算する

        これは、国語を数学的に解き明かしてみる、という思考の実験です。 第1回「対立概念を因数分解する」はこちら。 前回同様、数学の用語はざっくりした感じで話で進めます。(用語で間違っているところがあったら、すいません。) 今回は、「言葉の引き算」です。 言葉の引き算という言い回しは、普段からよく使われていますよね。たとえば、企画書が文字だらけになると、「もっと引き算したほうがいい」とか。 普段使われている「言葉の引き算」は、数学的に見ても「引き算」なのか、というのが今日の

        • 国語の数学【1】 対立概念を因数分解する

          自分は、大学時代は理系で工学部、そのあと、コピーライターになりました。 つい言葉を考えるときも、理系的に考えてしまうのですが、国語を数学的に考える、ということは、あまり行われてないのではないか、と思い、noteで思考の実験をしてみることにしました。 数学の用語もざっくりした感じで話で進めます。間違っているところがあったら、すいません。(ちゃんと調べれば、こういうことを研究している人もいるかもしれません。いたら、ぜひ教えてください。) 初回は、「対立概念を因数分解する」で

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        • いつか、ここにあるもの。
          8本

        記事

          湯葉的な存在についての集合知。

          僕は湯葉が好きだ。 湯葉的な存在でありたいとすら思っている。 ・・・という書き出しでいこうと考えたが、そこから先、一向に筆が進まず、困ってしまった。 湯葉的な存在とは一体なんなんだ。分からない。 SNSでそうつぶやいたところ、「湯葉的な存在」について、なぜか、ありがたいことに、いろいろな方からたくさんのご意見をいただいた。そのご意見を紹介したい。 「上澄み」 確かに。でも、上澄みの人間ってちょっとやだなぁ。上澄みを、表面的な部分と捉えるか、純粋な部分と捉えるか、で解

          湯葉的な存在についての集合知。

          理想の椅子を見つけるためのチャートをつくりました。

          リモートワークのスタートから一年半。 ダイニングチェアを使って在宅ワークをしていたけれど、腰と太ももが限界に・・・。 理想の椅子を探す旅に出ました。 その経験が、これから椅子選びをする方のお役に立てばと思い、共有します。 巡ったショールーム、お店まず、とにかく座らなくちゃ分からない、ということで、試座できるお店やショールームを巡りました。 大塚家具の有明ショールーム、新宿ショールーム 予約なしで入れるので、便利。品揃えも豊富です。 WORKAHOLIC 椅子コンシェル

          理想の椅子を見つけるためのチャートをつくりました。

          「とりあえずやってみよう大学」2020年受講生、募集!

          2017年からスタートした「とりあえずやってみよう大学」。 おかげさまでご好評をいただき、今回は、4期目。 今期は、2020年8月〜12月まで全5回のコースになります。 (今年は、すべてオンライン開催となります) 対象は、新しいプロジェクトや事業、新しい「何か」を始めたい(あるいは始めたいかも・・・)と思っている人です。 年齢、職業、問いません。 その気持ちが、芽のように心の中にある人です。 普通の講演会やセミナー、大学で学べることは、「知識」や「スキル」です。 でも、

          「とりあえずやってみよう大学」2020年受講生、募集!

          布団の中で旅に出る

          ずっと布団の中でごろごろしつつ、充実した人生をおくる方法はないだろうか。 眠い日、やる気が出ない日、疲れている日、そんな日の朝、ふと、そんなことを思う。 そもそも、充実した人生とは、どんな人生なんだろうか。 たとえば、たくさんの予定が朝から晩までぎっしり入っている一日。 楽しいかどうかはわからないけれど、充実した一日にはなりそうだ。 旅のしおりを開いて、ぜんぶ自由時間だったら、ちょっと不安になる。 大げさに言えば、人は、充実した人生を送りたくて、明日の予定をいれる

          布団の中で旅に出る

          「とりあえず、やってみよう」から、 はじまること。

          「とりあえず、やってみよう」と「ちゃんと考えてから、やるべきだ」は、どっちが正しいんだろうか。 「とりあえず、やってみよう」と誰かが言うと、「いやいや、ちゃんと考えてから、やるべきだ」と誰かが言う。 「とりあえず、やってみよう」派と「ちゃんと考えてから、やるべきだ」派の果てなき論争が、今日も、たぶん、日本中の会議室で行われている。 「ちゃんと考えてから、やるべきだ」派の起源は、紀元前三百年ごろ、アリストテレスまでさかのぼる。 彼が唱えた質量形相論は、人間がものをつくり

          「とりあえず、やってみよう」から、 はじまること。

          インターネットの岸辺で燃える炎

          ネットで炎上が起きる。心ない言葉があちこちにあふれる。 知らなくてもいい。知らなければよかったのに。でも知りたい。知らずにはいられない。 無関係だった人と人がつながって、傷つけあっている。 ひとりではおとなしかった人たちが、群衆になって、狂騒を繰り広げている。 そして、その炎から目を離すことができない、大勢の人たち。その中の自分。 インターネットが生まれた頃、まだ世界は分断されていて、世界は「つながる」ことで、もっとよくなる、と人々は無邪気に考えていたかもしれない。

          インターネットの岸辺で燃える炎

          好きな椅子に座る、自由。

          先日、新幹線に乗ったときのこと。 自分は、「指定席」のチケットを持っていたのだが、「自由席」の車両の近くを通りかかったときに、ふと思った。 「自由」な席。 「自由」が手に入る席。 「自由席」とは、なんて素敵な言葉だろう。 それと比べて、「指定席」という言葉の窮屈さと言ったら! 自由を奪われた指定された席なんて、ああ、嫌だ。 僕は、「自由席」という言葉の魅力に負けて、指定席のチケットを持っていたのにもかかわらず、自由席の車両に乗った。(そこに、特別な自由はなかった

          好きな椅子に座る、自由。

          「普通の努力」は、普通じゃない。

          努力というものには、 大きく分けて、3つの種類があるんじゃないかと思う。 まずは、「派手な努力」。 たとえば、エベレスト登山に挑戦するとか、世界記録に挑むとか、そういう努力だ。 当然大変だけど、これは、いい。 その圧倒的な努力感は、周りからも注目の的。やる気もぐんぐん高まるだろう。 次に、「ユニークな努力」。 たとえば、60歳を超えて初めてプログラミングに挑戦するとか、オタクがバンドに挑戦するとか(ちなみに自分は、高校時代に漫画研究会の仲間とロックバンドをはじめ

          「普通の努力」は、普通じゃない。

          肉体と意味の対決。

          風邪をこじらせたのか、肺炎になってしまい、令和になる瞬間を病院で迎えてしまった。 一か月ほど前から、微熱が続き、また寝るとノドの奥がヒューヒュー言う症状があり、これはいよいよおかしい、と病院に行くことを決意したのが、4月30日の夜。 ゴールデンウィークのど真ん中の、深夜の病院の待合室に入ると、ひっきりなしに、泣いている子どもを抱きかかえた親や怪我をした若者、マスクをしたスウェット姿のカップルが、続々と姿を現していた。 令和になる、時代が変わる、浮かれた雰囲気は、そこには

          肉体と意味の対決。

          失ったものと存在するもの。

          いま住んでいる家の中をぐるりと見回す。 あるいは、「住む」という意味では、家に限らず、僕たちはオフィスにも人生の何パーセントか住んでいるわけだから、自分が働いている場所、いまいる場所も、住んでいるところと考えて、ぐるりと見回す。 人がいる。物がある。「こと」が起きている。 いま、この瞬間、という時間や、目に見える物体や現象を超えて、そこに目に見えない何かを見いだす、という思考的な実験が僕は好きだ。 というか妄想するのが好きなだけかもしれないけれど。 たとえば、谷中の

          失ったものと存在するもの。