「とりあえず、やってみよう」から、 はじまること。
「とりあえず、やってみよう」と「ちゃんと考えてから、やるべきだ」は、どっちが正しいんだろうか。
「とりあえず、やってみよう」と誰かが言うと、「いやいや、ちゃんと考えてから、やるべきだ」と誰かが言う。
「とりあえず、やってみよう」派と「ちゃんと考えてから、やるべきだ」派の果てなき論争が、今日も、たぶん、日本中の会議室で行われている。
「ちゃんと考えてから、やるべきだ」派の起源は、紀元前三百年ごろ、アリストテレスまでさかのぼる。
彼が唱えた質量形相論は、人間がものをつくりだす行為を、形相、つまり人間の頭の中のイメージを、質量に反映すること、と定義した。
まず、明確なイメージを固めて、その後、それを形にする、それこそ、人間のものづくりだ、というアリストテレスの考え方は、現代の「ちゃんと考えてから、やるべきだ」派に、大きな影響を与えていると言えるだろう。
それに対して異なる論を唱えたのが、イギリスの人類学者、ティム・インゴルドだ。
彼の疑問は、人類最古の道具のひとつである、石の握斧から始まる。ちょうど手のひらを合わせたような形の平べったい握斧は、世界中で発掘されているが、なぜ、すべて同じ形なのか、は考古学の長年の謎だった。
彼は、この平べったい握斧は、狙ってつくられたものではない、と仮定する。
石を道具として使っていくうちに、すり減っていき、もうこれ以上使えないほど薄くなったものが、捨てられて、それが世界中で見つかっているのではないか、と。
ティム・インゴルドは、人間のものづくりを、質量形相論的なものではなく、概念的思考と物質的表現の相互作用から生まれるもの、「呼応=コレスポンダンス」だと主張する。
いろいろ悩んでいるよりも、何かつくってみればいい。
何かつくってみると、自分がつくってみたその何かが、自分にまた新しい何かを教えてくれる。
ものをつくることは、自分がつくっているものと、対話をすること。
「とりあえず、やってみよう」は、その対話のはじまりだ。
とりあえず描いてみよう
あなたの生んだ線が
その次の線を教えてくれるから
とりあえず歌ってみよう
あなたの発した歌声が
その次のメロディを教えてくれるから
とりあえず 走ってみよう
あなたが向かう行き先が
その次の行き先を教えてくれるから
2017年から、僕は、石巻で活躍するユニークな起業家たちを先生に迎え、「とりあえずやってみよう大学」という市民大学を仲間たちと始めた。
ビジネスの世界では劣勢になることの多い、「とりあえず、やってみよう」派を勇気づけ、じわじわと増やしていこうと企んでいる。
エッセイ「いつか、ここにあるもの。」、季刊誌「住む。」で連載中。最新のエッセイは、「住む。」最新号でご覧ください。http://www.sumu.jp/ ※本エッセイは、「住む。」66号(2018年8月夏号)に掲載されたものです。