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失ったものと存在するもの。
いま住んでいる家の中をぐるりと見回す。
あるいは、「住む」という意味では、家に限らず、僕たちはオフィスにも人生の何パーセントか住んでいるわけだから、自分が働いている場所、いまいる場所も、住んでいるところと考えて、ぐるりと見回す。
人がいる。物がある。「こと」が起きている。
いま、この瞬間、という時間や、目に見える物体や現象を超えて、そこに目に見えない何かを見いだす、という思考的な実験が僕は好
「普通の努力」は、普通じゃない。
努力というものには、
大きく分けて、3つの種類があるんじゃないかと思う。
まずは、「派手な努力」。
たとえば、エベレスト登山に挑戦するとか、世界記録に挑むとか、そういう努力だ。
当然大変だけど、これは、いい。
その圧倒的な努力感は、周りからも注目の的。やる気もぐんぐん高まるだろう。
次に、「ユニークな努力」。
たとえば、60歳を超えて初めてプログラミングに挑戦するとか、オタクがバンド
インターネットの岸辺で燃える炎
ネットで炎上が起きる。心ない言葉があちこちにあふれる。
知らなくてもいい。知らなければよかったのに。でも知りたい。知らずにはいられない。
無関係だった人と人がつながって、傷つけあっている。
ひとりではおとなしかった人たちが、群衆になって、狂騒を繰り広げている。
そして、その炎から目を離すことができない、大勢の人たち。その中の自分。
インターネットが生まれた頃、まだ世界は分断されていて、世
好きな椅子に座る、自由。
先日、新幹線に乗ったときのこと。
自分は、「指定席」のチケットを持っていたのだが、「自由席」の車両の近くを通りかかったときに、ふと思った。
「自由」な席。
「自由」が手に入る席。
「自由席」とは、なんて素敵な言葉だろう。
それと比べて、「指定席」という言葉の窮屈さと言ったら!
自由を奪われた指定された席なんて、ああ、嫌だ。
僕は、「自由席」という言葉の魅力に負けて、指定席のチケットを
「とりあえず、やってみよう」から、 はじまること。
「とりあえず、やってみよう」と「ちゃんと考えてから、やるべきだ」は、どっちが正しいんだろうか。
「とりあえず、やってみよう」と誰かが言うと、「いやいや、ちゃんと考えてから、やるべきだ」と誰かが言う。
「とりあえず、やってみよう」派と「ちゃんと考えてから、やるべきだ」派の果てなき論争が、今日も、たぶん、日本中の会議室で行われている。
「ちゃんと考えてから、やるべきだ」派の起源は、紀元前三百年ご