【対話13】写真家・髙橋健太郎さん インタビュー
対話ブログ、13人目は写真家の髙橋健太郎さん(32)です。
髙橋さんと私の対話のきっかけを説明するにあたって、
まず初めに「生活図画事件」のことを説明する必要があるので、簡潔に書かせていただきます。
「生活図画事件」とは、1941年の戦時中に、日常を絵画として表現しただけで、旭川師範学校美術部の美術部員らが治安維持法違反で検挙された事件のことをいいます。
写真家の髙橋健太郎さんは、共謀罪が成立した2017年に「生活図画事件」のことを知ったそうです。
"カメラを持って街を歩くだけで、自分も将来、同じような被害に遭うかもしれない"と感じた髙橋さんは、 生活図画事件の被害者である松本五郎さんと菱谷良一さんのもとを尋ね、お二人の「日常生活」を写真として記録し、約80年前の事件を見つめていきます。
そのような経緯を経て完成された写真集「A RED HAT」で、髙橋さんは2020年に、第36回写真の町 東川賞 特別作家賞を受賞されました。
そして、私がこのような髙橋さんの活動を知ったのは、2021年8月4日に開催されたこのトークショーに参加した時のこと。↓
長くなってしまうので割愛しますが、髙橋さんのお話の内容には、とても感動したのを覚えています。
その後、私が髙橋さんのFacebookアカウントを見つけて、このトークショーの感想を送ったんですよね。「お話すごく感動しました…」っていう。そしたら、髙橋さんから凄く優しい返信が返ってきました。
そして、何度かネット上でやりとりをさせていただく中で、「良ければ、一度お会いしてお話を聞きたい」と私の方からお願いし、今回お時間をつくってくださりました。髙橋さん、本当にありがとうございます。
それでは、中身の方に入っていきましょう。
以下対話です。
0.こんにちは。
と:こんにちは。お忙しい中ありがとうございます。(なんか最初、緊張して破茶滅茶なこと言ってた気がするけど割愛)
髙:いえいえ、全然忙しく無いです。こちらこそありがとうございます。
1.マイノリティの世界を経験した幼少期
と:あの時のトークショー、とても感動しました。
あの頃の私は、なんか辛かったんですよね。「ただ将来のために勉強をして、その後も社会のために働いて…」みたいなことを強く求められるだけの社会というか…生産性で価値を決められているような社会が。
特に親との意見の食い違いで、色々揉めた時期だったかな。
だから、髙橋さんのお話は本当に心に残りました。自分の好きなものを大切にして良いんだなって。
髙:ありがとうございます。
親との意見の食い違いは、本当に辛いですよね。うちの親なんて、ネトウヨで。もう偏見と差別が本当に酷い。
僕も負けじと指摘するのですが、なかなか理解を示さなくて。
僕の伝え方が悪い部分もあるのかもしれないけれど、
終いには、「お前の言い方が上から目線だからいけないんだ。」っていう、※トーン・ポリシングで、僕に何も言わせないようにその場を持っていくんですよね。
親は、僕らが今生活している雰囲気の中で生きてきたわけではない。だから、世の中に対する見方も感じ方も違うんだろうなって、ひとまず俯瞰して考えることから始めてますけど…。なかなか苦しいですね。
と:それは苦しいですね。親というのは、ご両親ですか?
髙:両親です。特に父親なんですけど。最近なんて前より酷くて…YouTubeの右翼的な思想の動画に感化されたみたいです。
勝手な分析ですが、日本国を誇らしく思えば自分も誇らしく思えるみたいなところに繋がって、自分自身の自尊心を保とうとしている感じがありますね。
と:そうなんですね… ということは、今の髙橋さんのお仕事には反対されている?
髙:もう、本当にそうなんですよ。
「A RED HAT」に関しては、それなりの理解を示しているっぽいですが。
今僕は、戦時中に慰安婦として性奴隷にされた被害者の方の後追い取材というか、写真を通して出来ることは無いかなと思って、沖縄行ったり色々調べたりしているんですけど、
その活動に対しては、父は本当に酷い反応を示してましたね。本当、申し訳ない話なんですけど…。
と:そうなんですか。
勝手に、とても理解があって、協力されている感じのお父様なのかなと想像していました。
私たちのような考えを持って、意見を発信したり、活動をしている若者の多くは、親が共産党などの議員や熱い支持者だったりすることが多い気がするので…。なんか驚きました。
髙:それ、わかります、わかります。
すみません、親の酷い自慢みたいな話してしまって(笑)
と:いえいえ(笑)
政治の思想に、親の影響は大きいと思います。髙橋さんはどうして、お父様と同じような考え方に至らずに、今の活動が出来ているんですか?
髙:なんででしょうね…
僕、小学校一年生になる前に、父親の転勤でアメリカに引っ越したんです。
英語を全く話せない状態だったから、最初の半年とか嫌々学校行ってたんですよね。で、やっぱりいじめを受けるんですよ。
ある時、母親が学校へ僕を迎えにきた時に、「けんちゃん」って言ったんですよ。それを聞いてたある少年が、次の日僕に、「kenchaga!kenchaga!」って言ってバカにしてきたんですよね。多分、"けんちゃん"っていうのを聞き間違えてそうやってバカにしてきたと思うんですけど。
そういう"マイノリティになった"っていう、経験が一個根っこにあるのかなって思います。それまでは、日本にいて日本語喋っていれば良いわけで。いきなり英語がわからないままアメリカに行くことで、急に立場が弱くなるっていう経験をしたのは大きかったのかな。考えても考えても、わからないですけど。
と:そうなんですね…。私も小学生の時に虐められていた時期があったんですけど。その時は結構寝ているふりとかをしていました。視界が真っ暗で、目を開けても机しか見えない状態で耳だけが敏感になっていきました。
頭の中で「絶対見返してやる」とか、「どうして溶け込めないんだろう」とか、色々自問自答している時間が人一倍長かったと思います。
髙橋さんの経験から見たら全然だと思いますが、ちょっと似ているかもしれないって思っちゃいました。
髙:似ていると思います。僕もその後、アメリカから戻ってきた時に、周りから浮くわけですよ。
アメリカでは「自分は自分であって良い」みたいな雰囲気があるけど、日本に戻ってきた瞬間にそういうのが無くなって、一気に同調圧力っていうのを体感する。そういうのにあんまり乗れなかったので、周りから避けられているような感じがありました。凄く苦痛で、とみかさんと同じように寝ているふりとかをしていました。
そういう時間があって今があるって思うのは、結構辛くもありますが、ただ、僕にとっては良かったです。いじめって本当に酷いですよね。
2.正義による同調圧力・"個"として生きること
と:髙橋さんは、今どの辺に住まれているんですか?
髙:今は、沖縄半分、横浜市が半分ですね。
お仕事で沖縄に行って、実家戻る時は戻って…って感じですかね。
と:きっと、お仕事で色々なところに行かれると、様々な年代の方とお会いしますよね。
若者とご年配の方だったら、どちらの方がお話しする機会が多いですか?
髙:若い人の方が多いですかね。勿論、その場所や目的によっても変わりますが…。特に沖縄は、若者の政治に対する感度が違う感じがしますね。
とみかさんは、きっとご年配の方の方が多いですよね。
と:そうなんですよ。
髙:帯広に居たら、そういった政治的な場で、若い人と会うのは難しいところがありますよね。
と:そうですね…。都会だと、政治的な場に若者1人居ても紛れると思うんですけど、
ここではご年配の方がほとんどというか、圧倒的に多いです。そこに若者1人ポツンと参加すると、一発で顔と名前を覚えられるんですよね。
髙:たしかに。(トークショーの時)僕もビックリしましたもん。あれ、若い人いるぞって(笑) いい意味で。
と:そうですか(笑)
「若い人が来た〜」って、周りから凄く可愛がってもらえることが多いので嬉しいですね。
後…、良い意味でも悪い意味でも、政治家や支持者の方々との距離が本当に近くなるかな。
髙:あー。そうですよね。なんか、その政治家の悪いところをもし見た時に、自分がはっきりと声を上げられるか心配になったりします?
と:しますね。年齢も私の方がかなり下だし、それ故に知識量も違うと思うので、余計に言いにくい。
後、「〇〇党に入りませんか。」「△△党に入りませんか。」「演説してくれませんか。」ってお誘いくることが結構あります。それ自体は良いし、勿論、協力できる事はしますが、たまに断っても断っても無理強いしてくる人がいて。怖い思いをすることがあります。狭いコミュニティなので、それに対して誰に相談したら良いのかも慎重になったり。
そういったコミュニティの中にも同調圧力を感じることはあります。
髙:なるほど。そういった場所での同調圧力…。たしかにありますよね。今21歳ですよね?
と:はい。
髙:11歳上の僕ですけど、そういった印象は10年経ってもきっと変わらないと思います。
残念なことに、人間って変わらないんですよね。どこに行っても何をしても。
僕自身の思想は、勿論野党に近いから、「野党の考え方こそ正しい!」って思いながら表現活動していますが…、なんて言ったら良いんだろうなぁ。
それが、"本当に正しいのか"わからなくなってくるくらい、同じ周りにいる人たちの同調圧力を感じることがある。
結局、目的が違うだけで、手段としてやっていることは多分、自民党とそう変わらないんじゃ無いかなって思い始めるんですよ。
勿論、野党がやろうとしていることの方が断然良いと思っているから、変わって欲しいとは思う。けれども、結局そこに辿り着くまでに、人と人との関わりの中で表出してしまう嫌なものは、凄い沢山あるなっていうのは感じますね。
と:良かったです。同じように感じている方がいると知って安心しました。
髙:ウクライナ出身・セルゲイ・ロズニツァ監督がつくられた「国葬」と「粛清裁判」「アウステルリッツ」っていう映画をぜひ見ていただきたいです。
人間っていうのは、どんな思想を持ってどんな角度に行ったとしても、集合体になった瞬間に狂気化するみたいなのが、凄い描かれているんですよ。
ますます僕は、「フリーランスで1人で生きていきたい。」と思いました。僕自身は1人で活動している方が、息がしやすいです。
と:なるほど…そうなんですね。
確かに、どうしても集団で集まると、過激な発信の仕方をしてしまいますよね。気づいたら、外への発信ではなくて内側で盛り上がるだけの発信になったりもするし。
髙:そうですね。
言葉が先鋭化するのも、人間が狂気的になってしまうことの一つの例だと思います。
でも、そういう言葉だけでは埋められない溝とか、隙間があるはずで。そういうところに僕は語りかけたい。僕は、自分にそんなことを言い聞かせながら、写真表現活動をするようにしています。
と:へぇーー!
髙:いや、偉そうに言ってアレなんですけど…(笑)
まあ、自分達がパワフルになるのであれば、そういった活動をやっても良いと思ったりもしますが。
でもそうではない、そこでこぼれ落ちてしまうような方々のほうが遥かに大多数だとも思う。
そもそも、この社会を問題視して活動している人自体が、日本ではマイノリティですよね。余程のことがない限りは、世の中を大きく変えることって難しいと思うから、少なくとも僕らは僕らの世代の言葉で、周りに発信していくことが大切だと思いますね。
ていうことで、とみかさんが感じていることは間違っていないと思います。(笑)
と:良かったです(笑)
えっと…。私は、日常とか出かけ先とかで過激化?している集団を見つけた時、その中の一人に
「何でこのような活動をしているんですか?」
って興味で聞くことがあります。
そうすると、だいたい皆さん言葉を丁寧に選びながら、一生懸命に理由を伝えてくださるんですよね。
私はそういう一人一人の"核になっている何か"を大切にしたいと思いました。
それで、こうやって取材ごっこをしています。(笑)
髙:とても大切なことだと思います。
と:ありがとうございます。後は,対話の内容を文字に起こして記録すると、それを対話相手が喜んでくださることが多くて嬉しいです。
「自分の信念というものを確かめることができた。振り返る機会をつくってくれてありがとう。」って言ってくださって。少しでもそういうのを相手に残せるのなら、それだけで続けていきたいなぁって思います。まあ、1番は自分が楽しくてやっているのですが。最近忙しくてなかなか出来てませんけどね…。
髙:僕もきっとそうやって思うんだろうなぁ。話しすぎてごめんなさいって反省もするんだろうけど(笑)
と:いやいやいや… もっと話して欲しいです(笑)
お話を聞くために、声かけさせていただいたので。
3.写真の暴力性について
と:すみません、髙橋さん写真家なのに、写真のことを全然聞けていませんでした。
私からの切り口になってしまいますが、写真って自然に撮って欲しいって相手から言われれば言われるほど、また、自分が思えば思うほど、お互い意識しちゃって難しいですよね。すみません、あんまり撮ったこと無いくせに言っていますけど(笑)
それが、まだお友達同士の楽しい空間なら良いですが、髙橋さんって悲惨な過去を体験している方や場所にも行くわけじゃないですか。髙橋さんがシャッターを押すことで感じる「空間の破壊」といいますか、"写真の暴力性"っていうのは感じたりしますか?
髙:ありますあります。
と:どうやって気をつけているというか、そこの線引きをどうしているんですか?
髙:いやー、もう…。
とにかく「本当にすみません」って思いながら撮っている時とかもあるんですけど。考えても考えても、答えは出ないですね。
菱谷さんと松本さんの日常の写真を撮らせていただいて、「A RED HAT」として外に提示したことが「暴力では無いだろうか。」と思った時がありました。とみかさんのおっしゃる通り、カメラがあることで相手は意識してしまいますよね。
最初は慣れて貰うために、「長い時間一緒に過ごしてカメラを構え続ければ良いのかな」とかって正直思ったりもしたんですよ。そういうことが重なれば重なるほど、相手も意識し無くなるというのは確かにあるから。
けれども、その分向こうは長い時間心を削られていく。
例えば…。僕が松本さんと出会って関係を築いてから、2〜3年くらいの時かな。
松本さんが一回体調を崩されたことがあって、その時に北海道新聞の取材を拒否されたんですよね。
その理由が「自分が倒れて、人と会わない時間が多くなったことで、人と会うのが億劫になってしまった。この心の苦しさが、まるで逮捕された時の心の苦しさと重なった」って。
それを聞いて、なんか「自分がやっていることは果たして大丈夫なんだろうか。」と思ったんです。
松本さんが少し回復して、再びお会いした時に、「僕がこうして写真を撮っていることも、松本さんの負担になっていないですか。」って、率直に聞いてみました。
そしたら、「そんなこと無いよ。」とは言ってくれたんですよ。で、その後全然違う話を振ってくれて。
でも、あの時のことを振り返ると、本当は辛くても辛いって言えない環境を作っていたんだろうなって思ったりもするんですよね。本当のところはわからないままですが… 全然そういうのを外に出さない方でしたので。
後は、菱谷さんのお風呂に入っている姿を撮影させてもらった時があって。
僕が菱谷さんのお風呂での写真を必要だと思ったのは、
「(美術部員達が)逮捕された時、各々独居房に入れられていた。唯一、お風呂の中が仲間と一緒に顔を合わせられる場所だった。話すことは禁止されていたため、足を浴槽の中でぶつけ合うことで会話をしていた。」
っていう話を聞いていたから。今の菱谷さんがお風呂に入っている姿を写真として残すことで、そこに深い意味をもたらすと思ったからです。
で、その撮影をする前に、僕が「こういう理由で撮影したいんです。」って菱谷さんにお願いをするわけじゃないですか。
菱谷さんはその場では「ああ、いいよ。」って言ってくれるんですけど。最後の最後で「やっぱりダメだ」っておっしゃられて。こういう交渉が何度か続きました。
ある時、「最後にもう一度だけ交渉してみよう」と思った時があって、同じようにお風呂での撮影がしたいことと、その理由を菱谷さんに伝えました。
そしたら菱谷さんは「良いよ」って言ってくださって、外に発表することもその場で承諾を得て、撮影をさせていただくことができました。
数ヶ月後、その写真をある雑誌に発表して、菱谷さんにそれを送りました。
そしたら、最初、菱谷さんは「あれ?なんでこの写真載っているんだ?」とおっしゃったそうで。
多分、その時怒ったと思うんですけど、旭川で菱谷さんをサポートされている方が「菱谷さん、これ健太郎くんがこういう理由で撮影したものらしいよ。」ってもう一回改めて説明してくださりました。
それで、菱谷さんは「ああ!あいつそんなこと考えていたのか!」って納得してくださったんですよね。
一度承諾は得たものの、僕から理由を伝えるだけではやっぱり納得されていなかった。他の人から聞いた時に納得して「じゃあ良いよ!」ってなったから良かったですが、
一歩間違えれば「暴力」だったと感じました…。
と:そうなんですね…
髙:やっぱり、「この写真が誰かを消耗させてしまっているのかもしれない」ということを常に考えないといけない、誠実でいないといけない、ということは常に思うようにしています。
と:そういうことを感じて撮影してくださるのか、そうでは無いかだけでも、撮られる側は全然気持ちが違うんだろうなぁ。偉そうなこと言えないので、返せる言葉が見つかりませんが…。
時間なので、インデアン、行きましょう!
髙:あ、そうですね。
(※この時はちょうど夕食どきで、途中から髙橋さんが好きなインデアンカレーを食べに行くことになっていました。インデアンカレーは、帯広のソウルフードです。気になった方は調べてみてください。)
4.インデアンに向かう道中。
と:髙橋さん、昨日もインデアン食べてましたよね。(前日、髙橋さんのインスタのストーリーにインデアンのカレーの写真が載っていた)
昨日の夜から帯広来て、今日食べたら一体、何杯目ですか?(笑)
髙:3杯目ですね(笑)いやー。好きなんですよ。
それも、ただのカレーじゃなくてカツがあるのが好きですね。
と:ここに住んでいる私よりも食べていますね(笑)
と:髙橋さんの爪、綺麗ですね。(髙橋さんの爪には、青色のマニキュアが塗られていた)
髙:ありがとうございます。
これに関しても、僕の中では大きな意味があってやっている事で。
こうやって生活していると、様々なところで反応があります。「男なのに気持ち悪い」と差別的なことを言う人もいれば、セクシュアルマイノリティの方に「健太郎がこういう風にやってくれて、本当にありがたい」っていう風に言ってくださることもあって。それに関しては本当涙が出ちゃうくらいありがたいお言葉なんですけど。
ジェンダー的価値観を壊したいという思いもあるし、自分の中の気持ち悪い「男性性」というものと向き合いたいという思いもあります。
と:なるほど。そうだったんですね。
髙:後、僕ら11も歳が離れているわけじゃ無いですか。歳下の女性に対して、歳上の男性が無理強いさせる構造って本当に良くない。なので、聞きますけど「インデアンじゃなくて違うところ行きたいなぁ。」とか、「帰りたいなぁ」とか思ってないですか?思ってたら言って良いし、帰って良いですからね!
と:いやいやいや、全く思って無いです!
むしろ、お気遣いありがとうございます。
あっ、インデアンはこっちですね。
※その後、私は普通のカレーを、髙橋さんはカツカレーを頼み、お互いが好きなカネコアヤノさんの音楽のことなどを話しながら、食事をしました。
それと、髙橋さんが「男性が奢るという文化は、構造上対等では無いですが、とみかさんは学生さんなので。そういう意味で奢りますね。面倒くさくてすみません。」と言ってくださり、ご馳走になりました。ありがとうございます。
5.写真家という道を選んで
と:単純な事を言いますが、髙橋さんはフリーランスに厳しい日本で、こうやって活動されているのが本当にすごいなぁって。
私は今学校で、資格取得のための勉強をしているわけですけど、そうでもしないと心配でたまらないと思います。
髙:いや、本当にそうですよね。
僕の場合、フリーランスのロールモデルがいて。東日本大震災があった後に、ボランティアでスイス国籍の写真家と知り合いました。その人の仕事の仕方を大学4年生の時に見れたから、多分フリーランスで生きていく決意ができたと思うんですよ。
仕事のご依頼があるときにはそれでお金をもらって、それ以外では「A RED HAT」みたいに自分で取材して、っていう風に今しているわけですが、
そういうのを大学4年生の時に見て学んでいなければ、思いつかなかった生き方だったかと…
と:もし、写真家の道を選んでいなかったら、どうされてたんですかね?
髙:うーん、大学院とかにいって研究とかしていたんじゃ無いですかね。お金もかかるし、果たして実現出来ていたかは分かりませんが。
それに、僕が研究するって。"何を?"って感じですし。
…今は、こういう道を選んでよかったなぁって思いますけどね。
人の人生に踏み込むわけじゃ無いですか。さっきも言った通り、踏み込まれた相手にとっては暴力に感じたり、嫌に思われたりすることも時にはあると思うんだけど。
でも、色々な人と出会って話を聞いて、さまざまな価値観に触れて気付かされること、学べることが本当に多い。僕にとっては、その時間一つ一つが財産というか。
だから、なんとしてでもこの職のまま、生き死にしたいですね。
ーーおしまいーー
対話を終えて:
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
髙橋さんは、一つ一つの話題や私の問いに対して、凄く丁寧に応えてくださり、とにかくお話ししていて楽しかったし優しい方だなぁと思いました。
感覚的なことを説明するのは難しいのですが、スーッと心に入っていくような感じ?
言葉の紡ぎ方が慎重で丁寧で、素敵な印象でした。
それは、社会的マイノリティの方々への配慮は勿論、どんな人にでもある"心のマイノリティ性"というものを、受け止めてくれるような安心感というのかな。
(前に、ネット上で私自身の相談に乗っていただいた時にもそう感じました。本当にありがたかったです。)
この対話の後、髙橋さんの写真を改めて拝見させていただきました。
実は久しぶりに本音で人とお話したので、それだけでも良い感じの余韻に浸っていたのですが、髙橋さんの写真を見ることで自分の中で抑圧してきた感情が一気に溢れ出てきました。それは、言葉として表現できるものもあれば、簡単には言葉にできないような曖昧で、でも確かに存在しているような感情まで。ブワーッて。
1日中涙が止まらなくなりました。(笑)
私は、自分の感情をはっきり言語化することに抵抗を感じることがあります。
それは、言葉によって整理整頓されることで、切り捨てられた私の小さな感情の数々が、誰にも見つけてもらえずにひっそりと消えてしまうのではないかと感じているところがあるから。
でも、写真というのは、そういう消えそうな何かを呼び起こしてくれる。感覚で感じられて、自分でもよくわからない渦巻いた感情をそのまま受け入れてくれるというか…
まさに、髙橋さんのお人柄と似ている感じがします。
ただ…こんな偉そうなこと書いておいて本当にすみません。
私まだ、「A RED HAT」購入していないんです…(小声)
貧乏学生なもんで🥲 お給料が貰えるようになったら絶対買います…!
改めて、髙橋健太郎さん、ありがとうございました。
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