一人旅 Episode-12 「自転車で巡る 萩の町」
下関から萩へ
今日もいい天気!快晴の予感。
ホテルを7時に出て、そのまま下関駅へ向かう。
本日は、下関⇒厚狭⇒長門市⇒東萩という電車ルートで萩に入ります。
山陽本線厚狭駅行きが、7:42に出発。
まだ電車が来ないので、ホームで朝食のパンを食べる。
今日は、アンパンとカレーパン。
黄色の電車が入ってきました。
ボックス席に座ります。
通学時間、学生さんが多いです。
厚狭に8:15着。
美祢線長門市駅行きに乗り換えします。
8:34発。時間が空いているので、駅構内にあるセブンでおやつをゲット
二両編成で山陽から山陰へ。山間を走り抜けます。
紅葉は、まだまだでした。
長門市9:37着。
山陰本線東萩駅行きに乗り換え。
一両編成。
日本海を眺めながら走ります。
赤茶色の瓦屋根が目に入ります。(写真引用:平成日本紀行より)
山陰地方では日本家屋に石州瓦の特徴的な赤茶色の屋根が多いです。
石州瓦は、来待石を釉薬を使っており、さらに高温で焼くことによって赤い色になります。釉薬を使うこと、高温で焼くことから、塩害や寒冷に強く、北陸や東北へ北前船に乗って広まったと言われています。
10:17「東萩」駅着。
「萩駅」じゃない。
そう、萩の中心に、鉄道は通ってなく、町を囲むように電車が走っています。メインの駅は、萩の東の端にある駅、東萩駅。
東萩駅の外観は立派な和風。
今日のお宿は、東萩駅そば、「萩ロイヤルインテリジェントホテル」というビジネスホテル。
本当は、萩という雰囲気に浸りたく、温泉宿に泊まりたかったのですが、一人では予約が出来なかった。残念。
ホテルに荷物を預け、ついでに、例の地域共通クーポンもいただきました。
そしたら、萩だけで使える「萩にゃんクーポン」もいただきました!うれしい。
萩市内いろいろな場所で使えるとのこと。
萩は、自転車で巡る予定。
東萩駅すぐ横に、「スマイル貸自転車」があります。
ここには、「電気自転車(電動アシスト)」があります。
萩の町は、坂が少なく、普通の自転車でもよかったのですが、普段、電動アシスト自転車に慣れてしまっているので、こちらにしました。
1日1,500円。すぐ、萩にゃんクーポン1,000円使いました。
松陰神社
今日の自転車ルートです。約5時間のルートです。ゆっくりめ。
まずは、前から行きたかった「松陰神社」へ。
東京の「松陰神社」には何度か訪れました。
世田谷区若林にある松陰神社は、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死された吉田松陰先生をこの地に改葬された場所です。
そして、今回、「松下村塾」があった場所にある、本筋の松陰神社に訪れます。
神社前の駐車場を抜け、参道横のお土産屋さんの先、鳥居の右横に「自転車を停める場所」があります。
ユネスコの世界文化遺産に登録されている松下村塾も見どころですが、「学びの道」もすごくいいです。おすすめです。
吉田松陰先生の語録が幾つか、九州大学森田教授デザインの「句碑」ポールに記載されています。
「読書最も能く人を移す。畏るべきかな書や」
読書は、人間を大きく変える力があるものだ。本の力は偉大である。
「志荘ならば安くんぞ往くとして学を成すべからざらんや」
志が強くしっかりとしていれば、自分が目指す学問を必ず成し遂げることができる。
「知は行の本なり。行は知の実たり」
知識は行動の本(もと)である。
正しい行動は深い知識や理解によって実現するものである。
久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎らを輩出した松下村塾を見ます。
小さいスペースです。
でも、多くの塾生が部屋の中外あちこちで議論を交わしている姿が目に浮かびます。
そして、本殿です。鳥居をくぐると、ビビリと感じます。
「神域」に入る感じです。こんなに緊張を感じるのは初めてです。
何を祈ったのか見たのか、覚えてないうちに本殿を離れます。
すごいな、松陰神社。
そして、「宝物殿至誠館」に入ります。
先生が刑死される前日に書き遺された門下生・塾生への遺書『留魂録』をじっくり拝見いたします。
『留魂録』は処刑される安政六年十月二十七日直前の二十五日~二十六日にかけて書かれたものです。
ちなみに、わたくし若かりしときは、『留魂録』の一番冒頭に記された歌。つまり松陰の辞世の句に惚れ込んでいて、記憶するほど詠んでいました。
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
(私の身が武蔵の地で朽ちてしまおうとも、大和魂だけは留めておきたいものだ)
萩の町
松陰神社をあとにして、松本川を渡り、萩本丸へ入ります。
「ふるさと家族」という食事処がありました。
お昼時なので、ここに入ります。
地産「むつみ豚」を使ったトンカツを頼みます。
美味しい。おもったより柔らかい。
ここも、萩にゃんクーポンを使いました。
さてさて、本格的に、町をブーラブーラ。町の端まで行ってみます。
町の中に流れる「藍場川」の上流に、「旧湯川家屋敷」があります。
川から引き込んだ水を屋敷の建物の下から台所(炊事場)へ引き込んでいます。冬、外に出ることなく、水を使えるので、便利だったそうです。
お庭もきれいに整備されています。
藍場川沿いに、町の中へ入っていきます。赤ポスト懐かし!
そして、「明倫学舎」です。明倫館跡。
「萩・明倫学舎」に使用されている建物は、1935年に建てられた旧明倫小学校の木造校舎。
なお、この校舎は2014年3月まで、実際に明倫小学校の校舎として使われていた建物です。
とてもきれいです。
廊下の長さにびっくり!
端から端まではなんと約90mもあるそうです。
古き良き昭和の雰囲気を感じられます。
そして、また自転車に乗って、ぶらーり。
「鍵曲」(かいまがり)という路地が残っています。
鍵曲は、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋です。
独特な土塀が、江戸の名残を感じさせます。
萩の町と言えば「土塀と夏みかん」この風景はこの辺りでよくみられるそうです。
「昨年と今年の実が“代々”なる」ことから、「ダイダイ」と名付けられているそうです。
お城の方へ。
もう一つ「鍵曲」がお城近くの堀内にもあります。毛利一門、永代家老といった大身の武家屋敷が並んでいた場所だけあって、塀が立派です。
ここも、昔のままの萩らしい風情を残す閑静な路地です。
お濠を超えて、萩城へ。
萩城は1604年に毛利輝元が指月山麓に築城。
1874年に天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめています。
城下町手前に「萩博物館」があります。もちろん寄っていきます。
ここには、「高杉晋作資料室」がありますので。
高杉家より実際に寄贈された晋作に関する資料が豊富です。
「動けば 雷電の如く、 発すれば 風雨の如し」と評された高杉晋作。
外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を結成。
討幕戦を勝利へと導きましたが、胸の病が悪化し、下関・吉田に隠居。
慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去りました。
辞世の句「おもしろきこともなき世におもしろく」
心のありようで世界は面白くもなるしつまらなくもなる。
あなたの心持ち次第。あなたの心で世界は良くも悪くも見える。
あなたが世界を創っていると私は感じ取りました。
さて、自転車を停め、志士たちゆかりの場所を歩いてめぐります。
「高杉晋作誕生地」「木戸孝允旧宅」高杉晋作と伊藤博文が子ども時代に境内で遊んだ「金比羅社 円政寺」
途中で、夏みかんソフトクリームいただきました。
幕末・明治維新で、長州は外せませんね。
やっとここに来れて、完結でした感じです。
今日一日、萩を巡って、先人たちの言葉や偉業を見て感じました。
知っているだけではダメ、実行しなければ、何もなさぬ。
学んで、議論して、行動を起こし、アウトプットをだす。
その繰り返し。しっかり肝に銘じます。