夜と鈴虫
レースカーテンから差し込む外灯の光がぼんやりと天井を照らし出す。真夜中にも関わらず室内は決まって薄暗いと真っ暗の中間を保ち続けていた。まどろみはまだ来そうにない。天井との距離感が乱れそのたびに圧迫感を覚えるのだ。フォトンの振動が心臓の鼓動が虹彩の揺らめきが世界を震わせる。そこで目を瞑り深い闇に身を落とそうとすれば今度は鈴虫の鳴き声が一層感じられる。聴覚に神経を尖らせる気など微塵もないというのに、視覚を遮断しようとすれば自ずとそうなるらしいのだ。鈴虫も鈴虫で一向に泣き止むことを知らず、まどろみの浅瀬から浮上していく。まるで知らぬ間にコンサート会場に来て着席してしまったような驚きと怒り。僕の意思はまるで関係ない。目の前に陣取った楽団はいつからともなく演奏を始めていて、途中で愚かにも入場してきたのは僕の方なのだと彼らは言いたいらしい。まったく迷惑なもので、眠る気概さえ霧散してしまう。そうして彼らのコンサートに付き合い、彼らのフォルテッシモが収まってくると同時にもう飽きてしまったからお先に失礼と言って僕はまどろむのである。
次の日も同じように彼らの演奏をのんびりと流し聴く。相変わらずぼんやりと浮かび上がる天井を見つめながら、今度は物思いにふける。例えば、実家では年中、埃っぽい黄茶色の分厚いカーテンをするから外から光が漏れ入ってくることはないということ。夏の夜は蒸し暑い空気とひんやりとした畳に挟まれて香る安らぎが心地いいことなど。都会に住み始めて感じることのできなくなった静謐さを改めて夢想するのである。
時には街並みに隠された静謐さを発見し喜ぶこともあるが、やはりこうして思い返してみると田舎のそれに及ばないのがよくわかる。雑踏に隠された静謐さは必ずどこかノイズを含んでいるのだった。星空などがいい例だ。星々は何万年と変わらず瞬いているが、僕たちの事情で見え方は大きく変わる。何万光年という天学的距離の奇跡も、豊かさの前には屍に等しい。換言すれば人類は奇跡を必要としない社会に向かって歩みを進めているのだから。ともあれ、そういった意味で都会は田舎の部分に過ぎず、そうでない一般的な意味で逆も然りである。つまり、鈴虫の声を聴いている時に限り、両者に全く優劣などなく表裏一体の関係なのだ。鈴虫か蛙かが多少曖昧になっている、そのような小さな差異しかないものとして両者は結びついており、まさにこの差異こそが両者を隔てる紙程度の厚さをなしているのかもしれない。言うまでもなく現実のものしてではなく、記憶として頭の中のイメージとして。それをいわば媒介させる条件たる鈴虫、より広義であるところの夜とは何かが興味深いところであるが、重なるのはどこまでも果てしなく広がる闇であるところの宇宙に他ならない。夜とはなにか、夜の静謐さ、奇跡の根源とはなにか。それは宇宙であると。
宇宙と夜という単語は明確に両者を区別しているが、実際に異なるものとして存在しているのかまでは知らない。しかし、考えてみると夜空の眺めは宇宙の一面的な姿であり、両者は視覚的に結びつく。ゆえに、夜と宇宙が同じものであってもいいはずだ。記憶としてのイメージは視覚情報にその大部分を占められていそうだから。単語から想起されるイメージさえ一致していればいいのだ。
そして、夜と宇宙を一致させるさせるには、僕はまさに「夜」に思考しなければならないようだ。なぜなら例えば昼食を食べながら考えるところの宇宙は星雲であり、それがミルキーウェイやアンドロメダだろうと関係なく星空であるはずがない。幼い頃図鑑で見た画像を、まるで地球から出払って実際に"宇宙の中で"見てきたものとして思い出すのである。すると当然宇宙と夜はいつまでも平行な関係を保つことになる。宇宙に立ってしまえば、夜が訪れることなど一切なく、月の陰りが宇宙に溶け込んでいる様子を他人事のように見やるばかりなのだ。両者を最接近させ、交差させるに至るには足りないのである。宇宙を夜空として観測するためにはまさに夜という薄い膜を通じなければいけないというわけだ。それこそが地球に住まう僕たちが宇宙を心で観測するということなのだと思う。天体望遠鏡のような計算された奇跡は夜を容易に貫通してしまうというわけだ。
そういうわけで僕にとっての夜はまさに宇宙であり、神秘を辺りに振りまくものとしてあるのかもしれない。だから、僕は夜が好きなのだろう。
そうして意識を天井に戻せば、鈴虫の声は慎ましくなっていた。彼らも寝静まろうとしているのかもしれない。街灯から逃れるように草木に身を潜め、月光に照らされて体を癒すのだ。
時刻は二時を回っていた。鈴虫の鳴き声を聞きながら今度こそまどろむ。宇宙と同じくらい神秘的な世界へと誘われて僕は健やかに眠る。そこでは多分に蓄えられたイメージが上映される。僕の忘れてしまった神秘もきっとそこにある。
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