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それは大事なキーワード

1人、社内で残業していて、ふと思い出したことがある。
脳内で再生された声に、私はパソコンのキーボードを打つ手を止める。

「このF1のFって、なんの略だと思う?」

ちょっと低いようなそれでいて高いような
特徴のある声で、隣の席の君は言った。

「いや、Functionでしょ。機能」

いたって普通な私の声がそう返した。

「あー、なるほど」
「え、なんだと思ったの?」
「いや、特に何、とも。あ、1個思ったことあるわ。
Fiction」
「惜しいね。じゃあこれ分かる?Ctrl」
「しーてぃーあーるえる…Connection trouble rescue lock」
「待って、嘘でしょ、このキーのことなんて呼んでるの?」
「しーてぃーあーるえる」

あまりにも真顔で言う君が本当に面白くて
これで2時間はツボって思い出し笑いを繰り返したっけ。

「いやこれ、そのままよ。Controlキーっていうの」

私がそう言うと君はメモを取り出してコントロールの綴りを書いた。
"conte role"

「いやいや違う違う(笑)なんでそっちのコントの綴りは書けるのに分からないの(笑)」
「お笑いが好きだからです」
「キリッとした顔で言わないで。確かにそうだけど、その場合のコントは違います」
「でもこれにもCtrl入ってるよ」
「そうだけど(笑)」

真面目に間違える君は本当に面白くて。

「だいたいFictionキーって何よ(笑)これはフィクションワン?」
「そういうことになるね。作り話1的な」
「これ押したら始まるんだ、作り話が」
「すげー便利なボタンじゃん!遅刻した時に、メールに作り話を書いてくれる的な!」
「まず遅刻しないでくださーい」

君がすんません、と呟きまたパソコンに向かう。
カタカナに変換する時にF7を押したらしく、
私に向かって

「あながち、Fictionキーでも間違いじゃないかもな。平仮名だった文字をカタカナに化けさせる。カタカナに形作るんだ」

と自信満々に言った。

「何でそう言う知識だけはしっかりあるの」
「天才だからです」
「ん?Fiction何キー押した?」
「おいっ!作り話じゃねーよ!ほんとに天才なんだよ俺は!」
「はいはーい天才天才」
「てめー、今に見てろよ。成績、絶対追い抜いてやるからな!」

そう言って彼は、またパソコンに向かった。
その姿を見て、思わず笑みがこぼれた。

「追い抜いてやる…か」

パソコンの電源を切り、隣の席を見ると
そこには、綺麗に片付いたデスクがある。

私はF1からF12までのボタンを端から押していく。

消えたデスクトップ。もちろん、何も起きない。

「なんだよ、フィクションであれよ…」

涙が出て、止まらない。
あの日の君の笑顔が焼き付いて離れない。
馬鹿みたいな真っ直ぐな目が、どこまでも消えない。

「こんないなくなり方、しないでよ…」

フラッシュバックするあの日のこと。
私の目の前で頭を抱えて倒れた君。
それは一瞬だった。何も出来なかった。

私は机に伏して泣く。

「なんで泣いてんの」

後ろから、声がした。
低いようなそれでいて高いような
特徴のある声。
振り返ると、君の姿。

「わぁ!え、何!ゆ、え、何で!」

怖さと驚きで言葉にならない私を見て君は笑う。

「お化けだぞー」
「そんな冗談、いいよ!え、何これ、どういうこと」
「Fictionです」
「え」
「これは、フィクションです」

私はキーボードを見る。
並ぶFunctionキー。

「だから、これはフィクションじゃなくてファンクションで…」
「知ってるよ。知ってるけど、泣いてる姿見てたらいても立ってもいられなくなって」
「……」
「消える前に会いに来た」
「……」
「今日もこんな時間まで仕事しやがって。俺みたいになるぞ?」
「……」
「あ、うん、好きで残ってんじゃねぇよな、うん」
「……」
「な、なんか言えよ」
「……」
「……」

続く沈黙。

「…好きだったよ」
「……」
「私、あんたのこと好きだった」
「……知ってる」
「何で死ぬんだよ、バカ」
「ごめん」
「ううん、私こそ、ごめん」

また沈黙。

「…え、エスケープ」
「は?」
「functionキーの横の!escape!」

私はキーボードを見る。Escと書かれたボタン。

「そのボタンを押せば、嫌なことからエスケープ出来ます」
「出来るか!!ばぁか!」
「そう思おうぜ。その方が楽じゃんか」
「…」
「辛いならすぐエスケープ。嫌ならすぐエスケープ。その権利が、俺らにはある!」
「…」
「ボタンひとつで、すぐエスケープできる。その位の気持ちで、何でもやるんだよ」
「エス、ケープ…」
「そ!お前には俺みたいになって欲しくないんだよ。分かるだろ?」
「……なんで」
「…俺だって、好きだったからだよ」

また涙があふれる。
本当は現実で君に伝えられたはずの言葉が、
現実で触れられたはずの君との距離が辛い。

「じゃあな、話せて良かったよ」
「…絶対に、消えなきゃダメなの?」
「それがセオリーだ」
「だから何で、そういう言葉だけは知ってるの」
「天才だから」

私はF12キーを押す。

「だから作り話じゃねーっての!!」

笑う私を見て、君は笑う。

「辛くなったら、escape。頑張りすぎんなよ」
「うん」
「また…いや、じゃあな」
「うん、じゃあね」

君が消える。

私はデスクの上で目を覚ます。

「え、夢」

デスクを見ると、濡れたfunctionキー。
手を見ると涙を拭った指が濡れていて。

「辛くなったら、escape」

私はescapeキーを1回押して会社を出る。

これからも絶対、無理はしない。

ありがとう、私の大好きな人。

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