私のおもい2:自分自身の発達特性と35年後に出会えた発達障害の改善メソッド
『発達障害 しあわせへの道しるべ』のブログの終了を前に、
私が、どうしても伝えたい『おもい』について書いています。
発達障害と呼ばれる子どもや大人、
あるいは周りの人たちがしあわせになって欲しい。
だから、私には伝えたいことがあるのです。
『30年間、公立の特別支援学校で美術教師をしていた。』
と、いうところまで書かせてもらったのですが、
実は、それ以前、大学時代に気づいたことがありました。
高校時代不登校で苦しんでいた私が、
自閉症の子どもと自然にコミュニケーションが取れたのは、どうしてなのか?
自閉症について勉強すればするほど、
『それは自分自身が自閉スペクトラムと呼ばれがちな傾向を少し持っているからなんだ』
という確信が生まれてきました。
幼い頃から、あらゆる感覚が過敏で苦しかったこと、
極端に引っ込み思案で、恐がりで、内気だったこと。
なかなか眠れなかったこと。
特に幼児期の思い出で、思い当たることが多くありました。
小学校に入ってからは、
知能テストの数値は並外れて良かったらしいのですが、
文字が極端に下手で、ノートを取るのが苦手でした。
体育の成績も、とても良かったのですが、
走るのが遅く、
バスケットやソフトボールをすると
『なんとなく、動きがぎこちない』
『おかしい!』
と、よくみんなに笑われました。
人からは社交的だと思われがちなのですが、
実際は、人とのコミュニケーションが苦手でした。
人と話すと間違ったことを言ってしまいそうで怖かったのです。
『言葉に気をつけよう!』
と、思い過ぎると、疲れ果ててしまいました。
高校時代、突然、不登校になってしまったとき、
勉強も学校も、すごく好きなのに
何故行けないのか、全く分かりませんでした。
それは、私の持つ苦手の問題とも繋がっている気がしました。
そのような自覚を持ちながら、
特別支援学校の教師をし、結婚し、娘を二人授かりました。
私は、職場にも、家族にも、とても恵まれていたのだと思います。
こんな私に、回りはいつも大らかに暖かく接してくれました。
多くのことを学ばせてもらえる先生方との出会いが沢山沢山ありました。
そして生徒達一人一人が、私にとって一番の教師でした。
自分自身がまだ克服することができていない試練、
それよりもっと大きな試練をものともせず歩んでいく姿を
心から尊敬していました。
いつも、目の前にいる子ども達の課題を一つ、一つ考えながら、
進んできました。
そのようにして、一人一人、全く違う子どもの課題を見つめ、
その問題を一歩一歩、歩みながら解決することができる。
子ども達は、誰でも学ぶことができる。
前進することができる。
そのような確信を持っていました。
それでも、どこかで思っていたのです。
私自身の偏りの問題と同様に、子ども達の偏りも、
根本の問題は解決しにくい。
と。
発達障害の特質の問題は、少しずつバランスを取るように、
和らげるように、進めていくしかない。
と。
それが、私が生涯の仕事として30年間特別支援教育に取り組んできた、
『結論』だと思っていました。
でもその考えが、根底から覆されることが起きました。
自分の感覚が短期間でどんどん変化していく体験をしたのです。
そして、私自身と同じように、子ども達も変わって行きました。
自分が18歳の時からずっと求め続け、
学んでは実践し、実践しては学び、そのように日々続けてきても
『永久に解決できない問題』と思っていたことが見えてきたのです。
私は、既に53歳になっていました。
それは、私の人生に、本当に大きな衝撃と転換をもたらしました。
(『私のおもい3』につづく)
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