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【読書コラム】わたしのこと好き? 本当に好き? メンヘラの源流ここにあり! 戸川純から『serial experiments lain』まで、世紀末のサブカルを貫いてきた伝説の詩集! - 『好き? 好き? 大好き?』R・D・レイン(著),村上光彦(訳)

 YouTubeでレトルトさんの『serial experiments lain』実況動画を見た。

 初代プレイステーションの名作で、精神的に問題を抱えてから玲音(lain)という名前の女の子とカウンセラーの記録をランダムに視聴し、プレイヤーは隠された物語を想像するという変わったゲームとして知られている。ただ、プレミアム価格で取引されているため、自分で遊ぶことはなかなか難しいので、実況動画はありがたい。

 90年代後半に制作されているだけあって、世紀末の不安感やインターネット黎明期の高揚感が入り混じり、見ているだけでも作品世界に吸い込まれてしまうような面白さがあった。

 ただ、それ以上に発見があったのは主人公・玲音(lain)の元ネタがイギリスの精神科医R・D・レインで、『好き? 好き? 大好き?』という変わった本を出版したと作中で紹介されていることだった。

先生 : 玲音の名前ってR・D・レインからとったのかな? まさかね。
玲音 : R・D・レイン?
先生 : 人の名前。イギリスの精神科のお医者さんで、ちょっと変わった人なの。翻訳されている本のタイトルが面白いわよ。『好き? 好き? 大好き?』っていうの。
玲音 : 好き好き大好き?
先生 : 先生も大学のときに読んだんで、もううろ覚えだけど、たしかね、恋人同士の男の人と女の人がいて、女の人が男の人に「わたしのこと好き?」って聞くの。
玲音 : それで?
先生 : もちろん恋人だから「好き好き」って言うのよ。でも、彼女は満足しなくて、もっともっと質問してくるの。
玲音 : よくわからない。
先生 : そうね。じゃあ、玲音は先生のこと好き?
玲音 : うん。好き。
先生 : お父さんよりも? お母さんよりも?
玲音 : うん。
先生 : 嬉しいなぁ。本当?
玲音 : 本当だよ。
先生 : じゃあ、玲音はわたしといると幸せ?
玲音 : よくわからないけど、たぶん、そうだと思う。
先生 : 玲音はわたしと話をするの好き?
玲音 : うん。
先生 : わたしのどこが好き?
玲音 : 優しいところと玲音の話を聞いてくれるところ。
先生 : 優しいのと話を聞いてくれるの、どっちが好き?
玲音 : どっちか?
先生 : そう。どっちか。
玲音 : 優しいから好き。
先生 : 優しいって、どういうのが玲音にとって優しいの?
玲音 : 怒らないし、親切だから。
先生 : でも、玲音に怒らない人もいっぱいいるわ。玲音に親切にしてくれる人もわたしの他にいるでしょ。本当に玲音はわたしのこと好きなの?
玲音 : よくわからなくなっちゃった。そんなに考えなくちゃいけないの? もうやめようよ。わたし、なんだか先生のこと嫌いになっちゃいそう。

『serial experiments lain』Cou032より

 要するに、ある女性が恋人に自分のことを好きか尋ねたら最後、ありとあらゆるものと比較しなければいけなくなり、そのしつこさからついには嫌われてしまうという話なのだ。それでも、恋人に愛されているか不安な女性は尋ねることをやめられない。

 好き好き大好きってそういう意味だったのかと雷に打たれたような衝撃が走った。というのも、わたしは戸川純さんの『好き好き大好き』という曲を通して、その言葉を知り、高校生の頃から堪らなく惹かれるフレーズとして偏愛してきたから。

好き好き大好き
好き好き大好き
好き好き大好き
愛してるって言わなきゃ殺す

戸川純『好き好き大好き』

 この歌詞がなにより衝撃的だった。

 それがまさか伝説のレトロゲーム『serial experiments lain』でつながり、源流にはイギリスの精神科医がいただなんて。驚きでいっぱいだった。

 こうなったら、とことん調べ尽くすしかなかった。まずはイギリスの精神科医R・D・レインが出版したとされる『好き? 好き? 大好き?』を読まなくてはいけない。

 玲音とカウンセリングをしている柊子先生曰く、翻訳が出ていると言っていたけど、こういう形で取り上げられているということはマニアックな本に違いなく、入手困難だろうと覚悟を決めていた。ところがネット検索してみると文庫本で再販されているばかりか、電子書籍化もされていて、めちゃくちゃアクセスしやすかった。

 ありがたや。ありがたや。

 早速、ゲットし、読み進めてみたところ中身はなんと詩集だった。てっきり、精神医療の専門的な内容が書かれているのかと身構えていたのに拍子抜けするほど読みやすかった。

 ただ、よくよく見ていくと、どの詩も普通では全然ない。父親と息子の会話だったり、老人と青年のやりとりだったり、柊子先生が紹介していた恋人同士のじゃれあいだったり、基本的にどれも誰かと誰かの関係性がテーマになっているのだ。

 そして、分析こそされないけれど、そこで出てくるセリフがいちいち不穏に満ちていて、常識とされる認知とはまったく異なる方法で彼らが世界を捉えていることが浮き彫りになってくる。表面上はなんてことない出来事なのに、いくつかの歪みがじわりと読者を蝕んでいくような独特の気持ち悪さが心地よかった。

 中でも極めつけは三人称視点で語られる『寓話 Ⅰ』と題された作品。

ジャックとジルは夫婦で たがいに愛し合っている
ジャックはときどき思うーージルは トムかディックかハリーと
関係しているな と。だが これは彼の思いちがいだ

ジャックのいちばんの親友はジョンだ
ジョンが彼の妻に逃げられてしまったので、ジャックはジョンを誘って
自分とジルのところにしばらくいてもらうことにする
ジルがジョンを慰めいるさなかに、ジョンはジルにファックする
ジルはこんなわけでジャックはジョンを信用してはいけない ということに気がつく

ジョンがジャックを裏切ったことに怒りを発したものだから ジルはジャックに
あなたはジョンを信頼するわけにいかなくてよ と告げる、もっとも そのわけは言わない
ジャックは感じてしまうーージルのやつ ジョンと自分とのことをやっかんで
おれたちの友情を割こうとかかってるな と

ジャックはジルを置き去りにする

ジャックとジョンはいっしょに出てゆく

R・D・レイン『好き? 好き? 大好き?』村上光彦(訳)

 人間関係のトラブルの濃いところが詰まりまくっている! 勘違いが勘違いを呼び、客観的に見たら「なんでそうなるの?」という不合理に当人たちは自ら進んでいってしまうどうしようもなさ。

 この『寓話』シリーズはⅢまであるのだけれど、複雑さを増していき、だから社会はこんなにもあり得ない出来事に満ち満ちているのだと気付かされる傑作となっている。

 改めて、こんな詩を書けてしまう精神科医とは何者なのだろうと興味が湧いた。

 1927年、イギリスはスコットランド南西部に位置する都市グラスゴーに生まれ、思春期には西洋古典や哲学を好んでいたという。そして、グラスゴー大学に進学後は医学を専攻するも、医師になるために必要な試験に落第。精神科病棟で働きながら再受験し、遅れて医者になったという経歴を持っている。

 医者としては英国陸軍病院に勤め、グラスゴー王立精神病院を経て、グラスゴー大学の教員となったそうだ。そして、ロンドンのタヴィストック・クリニックという研究に力を入れている病院のメンバーとなる。

 レインは50〜60年代にかけて、統合失調症の患者を隔離入院させる治療方針に反発し、地域住民の理解を得る形で、人々が病気と共存しながら普通に生活していく世界を目指そうとしたらしい。なんなら、精神的な病の要因は環境にあると考え、精神疾患が障害となり得ない社会を構築しようと尽力したとか。

 実際、レインは志を同じくする仲間たちとともにキングズリー・ホールと呼ばれる駆け込み寺のような宿泊施設を作り、理論の実践を試みたという。ただ、その結果は芳しくなかったようで、地域とのトラブルや治療行為を巡って多くの批判に晒されてしまう。

 そんなレインは患者の言葉に注目をしていたようで、一見すると意味不明な言動であっても、その人の中では理屈が通っているのではないかと考えた。つまり、聞き手である我々に患者の思考を理解するために必要な前提条件が欠けているからこそ、コミュニケーションの齟齬が生じると考えたのである。

 このあたりは國分功一郎先生と熊谷晋一郎先生の対談でも似たようなことが言われていた。それはASD(自閉スペクトラム症)をめぐる議論で、コミュニケーションに問題があると言うとき、悩んでいる側に問題があるとされることが多いけれど、むしろ、会話相手の方に問題があるケースもあるのではないか? という素朴な問いである。

例えば、横暴な上司との間にコミュニケーション障害があるとか、問題のある職場のなかで周囲とのコミュニケーションがうまくいかないとか、家父長的でDV傾向のある夫とのコミュニケーションが取りづらいなど、コミュニケーション障害といっても、本人より環境の側にこそ変わるべき責任がある場合はあります。にもかかわらず、コミュニケーション障害を永続的に私の側に帰属される性質だとしてしまうと、そうした状況におけるうまくいかなさがすべて私の側の責任になってしまいかねません。

國分功一郎,熊谷晋一郎『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』53頁

 もちろん、これはコミュニケーションに限った話ではない。

 わたしも患ったことがある適応障害などはわかりやすいけれど、理不尽な労働環境に心が耐えられなくなって、眠れないなど身体的な問題に悩まされるわけなのだけど、その原因はどう考えても労働環境の側にある。一時的には薬でなんとかするとは言っても、根本的な解決は仕事を辞めるか、労働条件を変えてもらうしかないわけで、本当に治療が必要なのはわたしじゃなくて会社なのでは? と思ったものだ。

 患者が関わる社会の側を治療する。レインはそういう視点で精神医療を捉え直そうとしていた。社会は常に健全で、それに適応できない人たちを精神疾患として排除していくような仕組みに疑問を抱かざるを得なかったのだろう。そして、狂っているのは社会であると価値観を逆転させるためのきっかけとして、患者の言葉にフォーカスを当てたのである。

 その手段として、詩という表現形式を採用したに違いない。日常の言語とは異なるルールでつむがれる言葉の中であれば、あらゆる思考が許される。好き? 好き? 大好き? と聞かざるを得ない理由が見えてくる。どうして、その人はそこまでしつこく相手が自分のことを好きか確認しないではいられないのだろう。果たして、本人だけの問題なのだろうか。

 メンヘラは生まれもってのものじゃない。環境が生み出した社会的現象である。『好き? 好き? 大好き?』を読むとそのことが見えてくる。




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