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【時事考察】ほうれん草は下茹でしなきゃダメと煽られがちだけど極論過ぎやしないだろうか? 尿路結石の予防および再発防止の食事法を健康な人たちも普段から実践しなきゃいけないの? 「ほうれん草は下茹でが必要」の妥当性を考える

 ほうれん草は尿路結石の原因となるシュウ酸を多く含んでいるので生のまま調理したら危険! と煽るつぶやきや記事が定期的によくバズる。その際、尿路結石が三大激痛のひとつであるという説明も添えられているので、初めて知った人は戦々恐々、ほうれん草は下茹でをしなきゃダメなんだとついビビってしまう。

 こうして、年々、ほうれん草は面倒くさい野菜というイメージが広まり続けている。でも、本当にそうなのだろうか? 値段と栄養価のバランスを考えたら、わたしらもっと気楽に食べていきたい。なので、今回は改めて、「ほうれん草は下茹でが必要」の妥当性について考えてみようと思う。

 というのも、インフルエンサー以外に「ほうれん草は下茹でが必要」と脅すような文句を誰も使っていないのだ。調べればすぐにわかることだけど、医療機関が尿路結石に関してシュウ酸の摂取量を控えるように発信している場合、あくまで尿路結石の予防または再発防止のための食事法の説明においてである。健康な人たちを怖がらせる文脈では決してない。

 てか、当たり前だけど、人間なんて千差万別。病気のなりやすさはみんながみんな違っている。そういう意味では医学が提示できる基準値は過去の経験から導き出された目安であり、シュウ酸にしてみたところでどれぐらい摂取したら尿路結石ができるかなんて、正確にはなってみないとわからない。だから、なる前から必要以上に怯えるというのはおかしな話なのだ。本当に心配なら病院で相談した方がいい。インフルエンサーの真偽不明な情報で一喜一憂するのはバカげている。

 もちろん、毎日ほうれん草を何束も下茹でせずに食べているとなったら事情は違うかもしれないが、もはや、それはほうれん草の食べ方に問題があるというよりは偏食に問題があると指摘されるだろう。普通の人はほうれん草をそんな執拗かつ大量に食べ続けたりしないのだから。

 常識的な範囲で、例えば、たまに味噌汁の具としてほうれん草を1株だけ下茹でせずに入れるぐらいなら、一般的なほうれん草のシュウ酸含有量から考えて、健康な人にすぐさま尿路結石ができるとは思えない。ちなみに内分泌学会のデータによれば、日本における尿路結石の年間の罹患率は人口10万人あたり138人(男性192人、女性87人)なんだとか。ほうれん草という食べ物の短さと比べて、だいぶ少ない。ほうれん草を生のまま焼いている人の方が多いんじゃなかろうか。

 しかも、同データ曰く、発生要因として食生活、内分泌疾患、尿路感染、尿の停滞、遺伝性などが挙げられていて、患者によっても発生要因が異なっているという。また、シュウ酸だけでなく、カルシウムや尿酸が多くなると結石ができやすくなると言っていて、仮に本気で尿路結石を恐れるのであれば、ほうれん草の下茹でなんてミクロな話をしていても仕方がない。コーヒーや紅茶などを飲み過ぎているとか、運動不足であるとか、その他の原因にも目を向けるべきである。

 ただ、むかしからほうれん草は下茹でした方がいいという話は伝わっているし、おばあちゃんの豆知識的なもので、シュウ酸の危険性をなんとなくわかっていたんじゃないかという感じがしないでもない。だとしたら、やっぱり、「ほうれん草は下茹でが必要」もあながちなくはない話のように聞こえてくる。

 もちろん、その可能性も否定はできないけれど、料理の基本に則るならば、下茹での目的はアクをとることにあるわけで、ほうれん草もやはりそうだったと考える方が自然な気はする。最近のほうれん草は品種改良が進んで食べやすくなったけれど、二十年以上前、わたしの幼少期を思い出しても、ほうれん草はエグ味の強い食材だった。お浸しを噛むと歯がキシキシして嫌だったことを覚えている。もっと前はもっと凄かったのだろう。

 こういうことはけっこう多い。同じ野菜や果物であっても、むかしといまでは成分がだいぶ変わっている。おばあちゃんの家に行くとグレープフルーツを食べる用のスプーンというものがあり、かつては輪切りにし、砂糖をかけ、ほじり出して食べたと聞いて驚いたものである。

 そういう意味ではほうれん草もわたしたちが現在食べているものと全然違っていたとしても不思議ではない。

 ちなみに日本にほうれん草が伝来したのは中国からで江戸時代初期のことらしい。ポパイのイメージから西洋の野菜の印象があったので個人的には意外だった。

 その後、昭和期に東洋種だけでなく西洋種と交配種が普及したというから、伝統的な調理方法は東洋種に関するものなのだろう。実際、アメリカのほうれん草はサラダに使われているし、当たり前のように生で食べている。それらの交配が進み、アクの量が減ったというのであれば大いに納得感がある。

 さて、こんな風に簡単ではあるけれど、多面的に検討してみると「ほうれん草は下茹でが必要」と言い切るのはやはり過剰と結論づけられる。だいたい、「〜が必要」とか「〜しては絶対にダメ」とか、科学的な言説じゃないにもほどがある。センター試験(いまは共通試験と呼ぶんだよね)の「現代文」だったら、その単語が入っているだけでぜんぶ読まなくても間違った選択肢として外すことができるラッキー問題。

 高校で習う国語の知識を使っただけでも、科学的に言うなら、

「ほうれん草は他の食べ物よりシュウ酸を多く含んでいる可能性が高いので、尿路結石の予防または再発防止を目的とするから下茹でした方が安心」

ぐらいの表現が妥当なのは明々白々。なので、お医者さんなど専門家は大抵そういう言い方をしている。少なくとも、不特定多数に向けて発信する場合、断定的なことは言えるわけがない。

 なのに、「〜が必要」とか「〜しては絶対にダメ」と発信している人たちは科学的な言葉を使う気がないのである。とどのつまり、バズることを目的としているだけなんだと思う。科学的な言葉遣いはどうしたって冗長になってしまうので、コスパとタイパの時代にマッチしない。SNSで素早く広く拡散させれるためには、刺激的な言葉で目にした者をハッとさせるのが効果的。

 しかし、その弊害として、要らない心配を人々に植え付けて、消費行動に影響を与えてしまう。それは素朴に暴力的である。なにせ、殴って他人の行動を矯正することと本質的には一緒だから。

 よくはない。よくはないけど、資本主義と情報化社会が融合し、ここまで発展してしまった以上、その是非をいまさら問うても仕方ない。ここはもう戦場なのだ。ネット上でなにかを見たり、聞いたりしている限り、いつ鉄砲の球が飛んできてもおかしくはない。

 だとしたら、わたしたちになにができるのか。それはちゃんとした装備を身につけること。撃たれても耐えられるだけの防弾チョッキを着込んでおくこと。

 そして、それこそが「ほうれん草は下茹でが必要」みたいなキャッチーなフレーズに対して、あえてそうなのだろうか? と疑問を抱き、改めて妥当性について考えて見るということなのである。我々、庶民がインフルエンサーに対抗できる唯一の生き方である。




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