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【読書コラム】『星の王子さま』も『ライ麦畑でつかまえて』も邦題が原題と違っているけど、むしろそれがいい! それでいい! - 『ちいさな王子』サン=テグジュペリ(著), 野崎歓(訳)

 子どもたち向けの読書会を毎週やっている。みんな、スマホ中毒なので真剣に話を聞くはずがそもそもないので、普段はわたしが日本文学について好き勝手しゃべっている。

 今年は夏目漱石、芥川龍之介、太宰治の流れを説明し、有名な作品の有名な部分を音読。どうせ聞いてないだろうと思ったら、『人間失格』の「世間というのは、君じゃないか」の箇所に反応があったりするので面白い。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

太宰治『人間失格』より

 この気持ち、わかります……と、学校で先生に怒られたときの愚痴を話し出す。そうか、君たちも大変なんだなぁと心配になってくる。

 他にも、芥川が隠れキリシタンの書物を偶然発見し、そこに書いてある内容として『奉教人の死』を発表したところ、当時、多くの学者が芥川にその本を読ませてくれと押し寄せたけれど、実はそんな書物は存在せず、なにもかも芥川の創作だったという話にはギョッとしていた。

 まったく、なにに興味を持つのか予想できない。以前、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』の感想を聞かせてもらったときもそういう反応になるんだとビックリしたものだが、やはり、子どもと大人では見えている世界が違うらしい。毎回、新鮮な発見がある。

 そんな読書会の冬季講習が近々あって、初めて参加する子もいるため、なにをやったものか、いま、いろいろ頭を悩ませている。

 一回だけだし、せっかくなら一つの作品にじっくりと取り組みたい。ただ、子どもにしてみれば、親に参加しろって言われている部分もあって、基本的にはモチベーションが低く、知らない本を読もうと言われても乗ってこないのが当たり前。なにかしらの導入が必要だ。

 で、そういうとき、わたしは本題から遠く離れたものを入り口に選ぶことにしている。そうすれば、仮に本なんて読みたくないと思っていたとき、意外と楽しそうじゃんとアイスブレイクが達成される。

 とはいえ、それを見つけるのは大変で、こういう長期休みがやってくるたび、どうしたものかと産みの苦しみを味わっている。

 一応、今回は検討に検討を重ね、モスキート音を使うことに決めた。参加してくれる子どもたちはちょうど思春期。大人と子どもの狭間ということで、大人には聞こえないけれど、子どもには聞こえる音について知ることから話を始めようと思っている。

 そして、その流れで大人にはわからないけれど、子どもにはわかることがあるという物語として、『星の王子さま』を読んでいこうかなぁ、と。

 本にはこう書いてあった。「ボアは獲物をまるごと、かまずにのみこんでしまいます。するともう動けなくなり、六ヶ月のあいだ眠ったままで消化するのです」
 そこでぼくは、ジャングルの冒険についてたっぷりと想像してみてから、色鉛筆をにぎって、初めての絵を描き上げた。ぼくの作品第一号。こんな感じだった。

 できあがった傑作をおとなたちに見せて、こわいかどうか聞いてみた。
 おとなたちの答えはこうだった。 ー 「いったいどうして、帽子がこわいんだい?」
 でもぼくが描いたのは帽子じゃなかった。ボアがゾウを消化しているところだったんだ。そこで今度はボアの内側を描いてみることにした。おとなにもわかるようにね。なにしろおとなには、いつだって説明が必要なんだから。作品第二号はこんな感じだった。

 するとおとなたちにいわれてしまった。内側だろうが外側だろうが、ボアの絵なんてやめて、それよりも地理や歴史、算数や文法のことを考えなさいってね。

サン=テグジュペリ『ちいさな王子』野崎歓(訳),7-9頁

 この接続はなかなかいいんじゃなかろうかと我ながら感心している。『星の王子さま』の作中、大人にはわからない的なニュアンスの話が繰り返し出てくる。でも、そんな大人たちもかつては子どもだったわけで、どうしてそんな風になってしまうんだろうというのは個人的にも長年気になっていた。

 しかし、いざ、自分が大人になってみると子どもとは感覚が違ってきているんだなぁと痛感させられる。先述の通り、子どもたちの発言に驚かされたり、聞こえていたはずのモスキート音がまったく聞こえなくなっていたり、普段は意識されないがふとした拍子に愕然とする。久しぶりに『星の王子さま』を読み返したら、むかしは気づかなかったことに気づくことができるかもしれない。

 と、言った感じで、結局はわたしのやりたいことをやるつもりなのだ。果たして、子どもたちが盛り上がるかどうかはわからない。でも、教える側が楽しんでいなければ、聞く側が楽しくないのは絶対である。

 かつて、お笑いコンビおぎやはぎの矢作さんはネタを作るときは楽しい顔をしていなきゃいけないと言っていた。苦しい顔して使ったネタでお客さんが笑うわけないじゃんという理屈らしいのだが、なるほど、真理だなぁと思う。

 そんなわけで、ここ数日はずっと『星の王子さま』を読み込んでいる。いくつかのバージョンの翻訳に触れ、真面目な学生ではなかったけれど、一応、大学ではフランス文学をやっていたので原文にも目を通した。

 さて、改めて、『星の王子さま』の原題は"Le Petit Prince(ちいさな王子)"で、「星の」という修飾がついているのは日本版だけという問題にも向き合った。1953年、岩波書店から翻訳を出たとき、訳者の内藤濯先生が意訳したのがはじまりと言われている。

 なお、Petitというのも厳密には「小さい」というより、フランス語の文化として、親しみを込めて呼ぶときにつける定番のフレーズなんだとか。日本語でいうところの「カワイイ」とかが近いのかしら? でも、『カワイイ王子さま』だとニュアンスが変わってくるし、どうしたものか、これがけっこう難しい。

 たぶん、無難に訳すなら『ちいさな王子』なのだろうけど、いささか地味なタイトルだ。知らない人が読もうとは思わない。してみれば、飛躍はあろうと『星の王子さま』と大胆にアレンジを加えた内藤濯先生のセンスは素晴らしく、たちまちロマンチックな匂いがあふれてくる。少なくとも、日本における『星の王子さま』ブームはこのタイトルなくしてはあり得なかった。惜しまれつつも閉園してしまった箱根の「星の王子さまミュージアム」だって、おそらく存在してはいなかった。

 そんな風に功績を讃えつつも、原作の著作権が切れ、自由に翻訳ができるようになった現在、あえて原題に忠実な訳を読んでみるというのも悪くない。故に、今回、わたしは検討の末、光文社新訳文庫から出ている野崎歓先生が訳した『ちいさな王子』を参考に資料作りを進めている。先に挙げた本文もこれから引用している。

 でも、やっぱり、わたしの中で星の王子さまは星の王子さまなんだよね。それぐらい『星の王子さま』という言葉に圧倒的な力がある。

 こういう原題とは違っているけど、それがかえってプラスになっているケースって凄いよね。

 たとえば、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の原題は"The Catcher in the Rye(ライ麦畑のキャッチャー)"だもんね。本来は捕まえる側なのに、日本版では捕まえられる側になっている。でも、「つかまえて」という響きには酩酊感があり、この邦題だからわたしの場合は読みたくなった。勝手にライ麦畑で追いかけ合う青春ストーリーなんだと想像して。

 で、戸惑った。やさぐれた少年・ホールデンが寄宿生学校から追放され、鬱々と自宅に戻るだけの話だったから。それでも妹に語る将来の夢には胸を打たれた。

とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。

サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝(訳), 268頁

 これを読み、"The Catcher in the Rye(ライ麦畑のキャッチャー)"の意味がようやくわかった。同時に『ライ麦畑でつかまえて』の意味もわかった。学校から退学処分を下されたホールデンはまさにライ麦畑の崖から転がり落ちようとしているところだから。

 映画だと水野晴郎さんの邦訳は素晴らしい。有名どころで言えば、『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の原題は"A Hard Day's Night"で、なにもかもが違っている笑

 いまではオリジナルへのリスペクトから『ハード・デイズ・ナイト』と表記されることが増えているけど、内容としてはリンゴ・スターがめちゃくちゃするだけのコメディなので、実は『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』という俗っぽいタイトルがしっかりはまる。

 もちろん、邦訳で台無しになっている作品も多くあるので、どっちがいいとは単純には言い切れない。ただ、日本版だけ異なっているのに、なぜか定着しているものについては独特な輝きを放っている。

 フランス人にしてみれば、『星の王子さま』ってなんだよ!って感じらしい。意味わからんって。でも、日本人にとっては星の王子さまはやっぱり星の王子さまなんだよね。こればかりはどうしようもない。




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