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【読書コラム】アメリカ版浦島太郎ことリップ・ヴァン・ウィンクルって、結局のところ、どんな人なんだ? - 『リップ・ヴァン・ウィンクル』ワシントン・アーヴィング (著), アーサー・ラッカム (絵), 高橋康也 (訳)

 君はリップ・ヴァン・ウィンクルを知っているか?

 アメリカ版浦島太郎として、かつて、映画『野獣死すべし』の中で、松田優作が瞬きひとつしない長台詞で、その物語を語ったことがなによりも有名。夜汽車で刑事に向かって、弾丸が一発だけ入った拳銃を撃ちながら、淡々と説明していく。

「寝ますか? 寝る前にお話ひとつしてあげますよ。リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます? いい名前でしょ。リップ・ヴァン・ウィンクル。彼がね、山へ狩りに行ったんですよ。山へ狩りに。そこでね、小人に会ったんです。なんていう名前の小人だったかは忘れましたけどね。ずいぶんむかしの話だから。とにかく、その小人に会って、ウィンクルはお酒をご馳走になったんですよ。そのお酒があまりにも美味しくて、どんどん酔ってしまったんです。そして、夢を見たんです。眠りに落ちて。夢を見たんです。寒いんですか? 寒いんでしょ。その夢はね、どんな狩りでも許されるという素晴らしい夢だったんです。ところが、その夢がクライマックスに達した頃、夢が醒めてしまったんですよ。あたりを見渡すと小人はもういなかった。森の様子も少し変わってた。ウィンクルは慌てて、妻に会うために、村は戻ったんです。ところが妻はとっくのむかしに死んでたんですよ。村の様子も全然変わってましてね。わかります? つまり、ウィンクルがひと眠りしている間に何十年もの歳月が経っていたんです。面白いでしょ?」
「あんたには初めっから妻なんていなかったじゃないか?」
「僕の話をしているわけじゃないでしょ。リップ・ヴァン・ウィンクルの話をしてるんですよ」
「リップ・ヴァン・ウィンクル。森でなんていう名前の酒をもらったんだ? できれば、俺も飲んでみたいな」「覚えてます。ラム、コアントロー、それにレモンジュースを少々、シェイクするんです。わかりますか?」
「X……Y……Z……」
「そう。これで終わりって酒だ」

『野獣死すべし』より

 これが恐ろしいのなんの。松田優作という役者が未だに伝説であり続ける理由がよくわかる。途中、戦場らしき残酷な写真が差し込まれる演出も相まって、緊張感が半端なく、リップ・ヴァン・ウィンクルは怪談話なんじゃないかと思わされてしまうほど。

 中学生の頃、SmaSTATION!!の松田優作特集を見て、そのカッコ良さに痺れてしまって、TSUTAYAで DVDを借り漁ったわたしにとって、リップ・ヴァン・ウィンクルはそういう話として記憶されていた。なので、後に岩井俊二監督の映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』が公開されたとき、勝手にハードボイルドな内容なのだろうと勘違い、劇場で「あれ?」となった。

 出会い系で知り合った男とすぐに結婚するも、式の見栄えをよくするため、代理出席のバイトを頼る友だちの少ない女の子のお話。なんとか無事に式を乗り切るも、結婚相手は速攻浮気。なのに、相手の家族から悪いのはお前と責められてしまって、路頭に迷った彼女が怪しい仕事を始める。なんと月給100万円の住み込みメイド! めちゃくちゃだけど、岩井俊二監督特有のオシャレな空気感が心地よく、3時間があっという間に感じられる傑作だった。

 ただ、ぶっちゃけ、なにがどうリップ・ヴァン・ウィンクルなのかはよくわからなかった。そのタイトルに惹かれて、松田優作のリップ・ヴァン・ウィンクルを補完するものを求めていた自分にとっては消化不良。いろいろと深読みをしたものである。そうして答えを探して辿り着いたブログで、監督の近所にリップヴァンウィンクルというブランドの洋服を扱っているお店があって、そこからインスピレーションを得たみたいな記述を見つけ、へなへなと力が抜けてしまった。

 あと、ゲーム実況を見ていて、リップ・ヴァン・ウィンクルの話が出てきて驚いたこともある。それはレトルトさんの『トワイライトシンドローム』実況part10で、以下のリンク先の32:12〜が該当箇所になる。

山に入ったリップヴァンウィンクルが小人に出会う事によって20年の年月を超えてしまうというアメリカの物語はその原型をドイツの民話にもとめられる

日本では浦島太郎がこれに通ずる物語といえよう

このような異界往還物語は世界各地に類型が認められる

『トワイライトシンドローム』より

 これは都市伝説を題材にしたゲームで、主人公を含む女子高生トリオの一人が図書室の机に文字を彫る形の文通をしていたところ、実はその相手が異世界の住人で、最終的に連れ去られてしまうというエピソードの一場面。泣かされた二人がなにが起きているのか調べるため、図書館でいろいろ調べる際にリップ・ヴァン・ウィンクルがちょっとだけ出てくる。

 いずれもちょっとしたアクセントとして使われているだけで、リップ・ヴァン・ウィンクルにフォーカスが当てられているわけではない。それでも自分が好きなものにたびたび引用されているリップ・ヴァン・ウィンクルがどういう人物なのか、さすがに興味が湧いてきた。

 とりあえず、大元になっている本を読まないことには始まらない。ありがたいことに翻訳が出ていたので、素敵な挿絵とセットになっている一冊をゲットしてみた。

 それで読んでみるとビックリ。想像以上にコミカルなお話だった。少なくとも松田優作が鬼気迫る表情で語るような内容ではない(ということを踏まえ、あえて、ギャップを示す演出をしていたのだろう)。

 まず、リップ・ヴァン・ウィンクルは恐妻家でひたすら鬼嫁の尻に敷かれている。そして、仕事ができず、いい年をして子どもたちと遊んでいるようなダメな大人。貧乏だから息子も娘も見窄らしい格好をしていて、めちゃくちゃ暴力的な性格をしている。なんというか、どうしようもない人物なのだ。

 そんな彼が山に狩りへ行くようなことはなく、いつものような暇つぶしでリスを銃で撃ちながらプラプラしていたら、うっかり奥まで行ってしまった。そして、景色を楽しんでいたら、気づけば日が暮れてしまった。このまま帰宅したら鬼嫁に叱られてしまう。それが怖くて、困り果てていたら、

「リップ・ヴァン・ウィンクル! リップ・ヴァン・ウィンクル!」

 と、誰かに名前を呼ばれる。見るとそこには背が低く体格のいいお年寄りがいて、大量に抱えている酒を運ぶのを手伝ってくれと他飲まれる。

 どうしたものかと悩みつつも、断るのも悪いので応じてしまう。それからさらに山奥へと進んでいくのだが、二人はほとんど会話を交わさない。気まずい空気が立ち込めていく。

 やがて、辿り着いた先には小人たちがたくさんいて、ボーリングみたいな遊びで盛り上がっているはずなのに、なぜか、みんないかめしい顔をしている。リップ・ヴァン・ウィンクルのことを歓迎する様子もなく、怖い顔で酒を注いで回れと指示を出してくるのだから恐ろしい。心臓はどきどき、膝はガクガク。怯えながら小人たちにゴマをする。

 そのうち、だんだんと慣れてきて、調子に乗ったリップ・ヴァン・ウィンクルはこっそり小人たちの酒を盗み飲んでしまう。それはオランダ産の上等な酒で、あと一口、あと一口と飲んでいくうちにべろんべろんにできあがってしまう。そして、深い眠りに落ちてしまうのである。

 なんか松田優作が言ってた話とだいぶ雰囲気が違うよね笑

 その後、村に戻ると何十年も時間が経っていることに気がつく。ここまでは浦島太郎みたいなんだけど、リアクションがだいぶ違って面白い。だって、鬼嫁は死んでしまったと聞かされて、リップ・ヴァン・ウィンクルは喜んでいるんだもの。さらに〆の一文は以下の通り。

おかみさんの尻に敷かれたこのあたりの亭主たちは、人生の重荷が耐えがたく感じられるときなど、みんなこう心に思うのでした ーー ああ、リップ・ヴァン・ウィンクルのあの酒びんから一口、安らぎの酒をキューッとやれたらなあ。

ワシントン・アーヴィング『リップ・ヴァン・ウィンクル』高橋康也 (訳), 70頁

 これはもう悲劇じゃないよね。喜劇だよね。浦島太郎が玉手箱を開けて、白髪になってしまう衝撃的なラストと比べたら、なんて平和なんだろう!

 また、浦島太郎との相違点はいくつもある。まずリップ・ヴァン・ウィンクルは真面目でも、正義漢でも、なんでもない。むしろ怠け者と言っていい種類の人間で、日本の民話だったら痛い目を見るタイプ。次に酒は飲んでいるけど、リップ・ヴァン・ウィンクルは全然いい思いをしていない。寝ている間に夢らしい夢を見たわけでもなく、気づいたら何十年も経ってしまっている。竜宮城でどんちゃん騒ぎで楽しみまくった浦島に対して、あまりに不憫ではないか。なんなら、夢を見る前に小人たちと出会うことの方がよっぽど夢らしい。ただ、それにしたって肩身の狭い思いをしている。

 それなのにアメリカ版浦島太郎と言われている理由はなぜなのだろう?

 実はあの森鴎外が関係しているらしい。なんでも、日本初の少年向け雑誌『少年園』の中で、1889年に森鴎外が『リップ・ヴァン・ウィンクル』を『新世界の浦島』として紹介したというのだ。

※森林太郎は森鴎外の本名。新浦島というタイトルは単行本に収録する際に改題したらしい。

 森鴎外という圧倒的なビッグネームによって、キャッチーな意訳がなされたことでリップ・ヴァン・ウィンクル=浦島太郎という等式ができあがってしまった。そのため、逆に浦島太郎が英訳された際にはUrashima: A Japanese Rip Van Winkleというタイトルが採用されている。

 だから、なんとなく、日米を問わず同じような話があるみたいという印象が広まったのだろう。子ども向けの話っぽいし、大人になってから実際にどんな内容なのか調べる人は稀だと思う。現にわたしも最近まで確認しようとなんてしなかった。でも、こうしてチェックする機会を得てみると両者の違いがくっきりとわかり、期せずして面白かった。

 最後に、『リップ・ヴァン・ウィンクル』を他の異界往還物語と区別することができる最大の特徴が訳者・髙橋康也先生の解説に載っていたのでご紹介しておく。

 リップの物語のもう一つの特徴は、リップが眠っているあいだに世の中ではアメリカ独立戦争という重大事件が起るということです。浦島太郎やアリスや盧生[能『邯鄲』の主人公]の物語では、そういう歴史的な事件は関係ありません。この点で連想されるのは「七人の眠りびと」の伝説です。紀元三世紀、まだキリスト教がローマ教皇によって禁止されていたころ、エペソスの七人の青年がそのキリスト教信仰のために迫害され、山の洞穴に隠れました。追手の者たち洞穴の入口を岩でふさいで帰ったあと、七人は眠りに落ちます。目がさめて、洞穴から抜け出し、山からおりると、驚いたことに、家々の軒には十字架がかかっているではありませんか。彼らが思っていたように一晩だけではなく、実は二百年近く眠っていたので、そのあいだにキリスト教が公認されていたのです。
 リップの話と似ていますが、ちがうところもありますね。ローマ時代の七人組にとっては、目がさめたあとの現実世界は良いほうに変わっていました。いいかえれば、眠っているあいだに世の中のほうが彼らに追いついたのです。ところが、リップにとっては、独立戦争という事件が故郷をわけのわからない場所に変えてしまった、つまりリップは現実の変化にとりのこされてしまったわけです。

ワシントン・アーヴィング『リップ・ヴァン・ウィンクル』高橋康也 (訳), 76頁

 そう。リップ・ヴァン・ウィンクルが眠っている間にアメリカ独立戦争が始まり、知らないうちに終わっていて、生まれ育った村の雰囲気は根本から変わっていた。ただ、彼にとって重要だったのはそんなことよりも鬼嫁がもういないという個人的な事件の方で、そこに庶民の逞しさが表れている。

 たしかに、時代が大きく変わるとき、我々はいっそ深い眠りについてしまって、すべてに決着がついてしまった未来にワープしたいと潜在的に願っているのかも。なにがハラスメントになるのか、AIでどんな仕事が失われたのか、社会保障の問題はどうやって解決するのか。なにもかも、自分のいないところで優秀な他者たちがうまいことやってくれるのであれば、こんなに楽なことはない。その上、自分にガミガミ厳しい人たちがいなくなってくれたとしたら、文句なしで最高だよね!

 ……でも、それって、めちゃくちゃ卑怯でめちゃくちゃ残酷。ただ、庶民の一人として、わたしの中にもリップ・ヴァン・ウィンクルがいることは認識せざるを得ない。

 ニュースを見ず、選挙に興味を持たず、社会の仕組みがどうなっているのかわからないまま生きていくというのは長い眠りに就いているのとあまり変わらないのかも。そう考えると、『リップ・ヴァン・ウィンクル』は物凄く怖い話である。




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