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【読書コラム】いわゆる「真の弱者は助けたくなるような姿をしていない」なんだけど、そこを助けていかなきゃいけないんだよね、きっと - 『みいちゃんと山田さん 1』亜月ねね(著)

 元々はTwitter投稿されていた漫画で、kindle版が好評だったけど、マガポケ連載に移行した『みいちゃんと山田さん』の第1巻が発売された。

 2012年の歌舞伎町のキャバクラを舞台に福祉制度の外で生きている境界知能の人々を描いていることで定評があり、わたしはマガポケ版から読んでいるのだけど、毎話、重たいものが心に残る。

 ストーリーは山田さんという女の子がみいちゃんのお墓参りをするところから始まる。二人は何年も前に知り合っていた。山田さんがキャストとして働いていたキャバクラにみいちゃんが体験入店してきたことが出会いのきっかけだった。

 みいちゃんは最初から危うい存在で、源氏名に本名を使ってしまったり、注意力散漫で飲み物をこぼしたり、グラスを割ってしまったり、一人称が「みいちゃん」だったり、客との会話は噛み合わなかったり、ひたすら、あちゃーって感じ。なのに店長は採用を決めてしまうので、みんなびっくり。意地悪なキャストはすかさず、

「みいちゃんはお刺身の上にタンポポ乗せる仕事が向いてそう!」

と、嫌味をぶつける。でも、キャバクラで働きたいのと食い下がるみいちゃんにぼそり一言。

「だからさぁ無能はタンポポでも摘んでなよ」

 これを聞いて、山田さんは母親から教育虐待を受けていた過去がフラッシュバック。思わず、みいちゃんをかばってしまう。

 そうして二人は縁ができ、仲良くなるというか、困っているときは助け船を出さずにいられないというか、一年後、みいちゃんの遺体が発見されるまでの付き合いが続いていく。

 みいちゃんになにがあったのか? どうして死ななくてはいけなかったのか?

 山田さんがみいちゃんと過ごした日々を回想するスタイルで、明らかに福祉の援助が必要な女の子をどうして現代の日本社会は救うことができないとか、淡々と示していく恐ろしい漫画。だけど、絵が綺麗なのであっさり読めてしまうところがヤバい。現実で起きていること、そのものなのだ。

 1巻の中だけでもため息が漏れてしまうようなエピソードが満ち満ちている。

 大学に通っている子がみいちゃんに中卒のみいちゃんに勉強を教えてあげると申し出るも、学習習慣のないみいちゃんはやる気もなければキレ散らかすし、どうでもいい質問を繰り返すので教える側がイヤになってしまう。

 お店の公式アカウントで悪気なく他のキャストの顔出し写真を投稿してしまったり、ナチュラルに枕営業してしまったり、黒服に抱かれまくることで味方を増やしたり、お金が足りなくなったら大久保公園前で立ちんぼをしたり、トラブルはペロペロで解決したり。

「警察に突き出されなくてよかったね……」
「店長さんのちんちん舐めたからね〜!」
「えっ?」
「大体それで解決するんだ〜! よかったよかった〜!」
「いやいやよくないだろ! 万引きって犯罪だからね!? 窃盗罪ってわかる? 刑法235条! 人の物 勝手に盗んでるってことだよ!?」
「でもペロペロで許してもらえるから!」
「は?」
「みいちゃんは怒られるのが大キライなんだけどね…みいちゃんをいじめてきた同級生も学校の先生も先輩も前のバイト先の店長もペロペロでみんな怒るのやめて優しくなるんだ〜」

亜月ねね『みいちゃんと山田さん』131-133頁

 常識的にはあり得ないことだけど、理屈としては間違っていない。なにせ、みいちゃんに対して力を持っている男たちはペロペロで言うことを聞いてしまうわけだから。みいちゃんの視点に立ってみれば、努力や気力が頑張るよりもペロペロで終わらせた方が効率がいい。

 逆に、なぜ、そんなことをしちゃいけないのか説明しろと言われたら、わたしたちは困惑してしまう。

 心も身体も傷ついてしまうからやめた方がいいのだろうか? でも、みいちゃんにしてみれば、普通に働く方が心も身体も傷つくわけで、セックスをする方がずっと健康的なのかもしれない。だいたい、中卒で文字も読めず、計算もできず、接客も会話も苦手な女の子を誰が雇ってくれるのか?

 こうやって「本人の意志で性産業で働いている」という歪んだ事実が形成されていく。やっかいなのは歪んでいるけど、間違っていないということ。みいちゃんを消費したい人たちにとっては強力な免罪符となる。

 福祉の力が必要だ。こんな風に誰かの人生がレトリックで消費されていくのはおかしい。まともに社会生活が送れない以上、なんらかの支援をしてあげなければ。そのためにわたしたちは税金を払っているんだもの。

 福祉サイドはみいちゃんを救おうとしている。実際、みいちゃんには幼馴染の友だち・ムウちゃんがいて、その子は福祉に救われている。

 ムウちゃんもみいちゃん同様、万引きの常習犯で執行猶予中にもやってしまって、懲役刑が確定してしまうのだが、入所時の面談でラッキーなことに知的障害の傾向を指摘される。そのため、出所後は地域生活定着促進事業によって福祉事務所を紹介され、愛の手帳(療養手帳)を取得。B型事業所で働くようになり、いまはもう水商売をやらずに暮らすことができている。

 ムウちゃんは久々に再会したみいちゃんに「みいちゃんもなんか障害ありそう 一緒に福祉事務所に行こーよ!」と声をかける。普通になろうと誘うのだ。でも、みいちゃんは普通になることを望んでいない。

「みいちゃんは違うから! みいちゃんは障害ではないから! 個性的っていうの! そんなトコより立ちんぼに行こーよ! また前みたいに一緒にやろうよ! ムウちゃんがいたらみいちゃんも心強いんだけど……!」
「もうそういうのやりたくない! ホチキスの箱詰め一緒にやろうよ!」
「みいちゃんはもっとカッコイイのがいいの! みいちゃんは感性がすごいってよく言われるから小説家か詩人か画家か映画監督になるの!」

亜月ねね『みいちゃんと山田さん』144-145頁

 こうなってしまったとき、わたしたちになにができるのだろうか? 嫌がるみいちゃんを無理やり福祉事務所に連れて行けばいいのか? 無論、そんな権利はないし、B型事業所を紹介したところでみいちゃんは100%働かない。もっと楽に稼げて、褒めても貰える立ちんぼに戻ってしまう。

 とどのつまり、自由主義と資本主義の世の中でみいちゃんをしばることは誰にもできない。みいちゃんにお金を払ってセックスしたいと考える人がいる限り、みいちゃんにとってのベターな生き方が変わることはない。

 じゃあ、お金を払ってセックスをする人たちが悪いのかと言えば、そうではないから難しい。1巻には収録されていないけど、マガポケに掲載されている最新話ではみいちゃんを買っている側の男性についても描かれている。いわゆる弱者男性というやつで、彼らは彼らで生きづらさを抱えている。

 本来、人間の生き方に上も下もないはずなんだけど、容姿や学歴、年収、職業、病気の有無によって人生の華やかさはあまりにも大きく変わってしまう。しかも、その差は自己責任ということになっている。封建的な時代だったら身分の違いで諦めざるを得なかったことも、現代の社会では誰もが挑戦できるということになっているので、すべての人が成功を夢見なくてはいけなくなってしまった。

 頭が悪いのは勉強をしていないからだし、モテないのはモテるための努力をしていないからだし、お金がないのはをやっていないからの一言で片付けられる。

 そうは言っても自分には無理と弱音を吐き、助けてくださいとお願いできる人だけが福祉のサポートを受けられる。でも、それって現代の価値観を前提にすると「負け」を意味してしまうわけで、「勝ち」を目指して続けている人たちにとっては耐え難い選択だ。
 
 働いたら負け。

 俺はまだ本気出してないだけ。

 そんな風に強がることでしか正気を保てなくなり、みいちゃん同様、「もっとカッコイイのがいいの! みいちゃんは感性がすごいってよく言われるから小説家か詩人か画家か映画監督になるの!」とあり得ない成功を妄想し、福祉からどんどん遠ざかる。

 だが、そういう人たちもやがて歳をとる。いつかはにっちもさっちも行かなくなる。かと言って、いまさら「負け」を認めるわけにもいかない。自分がこんなにも恵まれないのはなにかがおかしいと考え始める。うまくいっている人たちはズルをしているんだと逆恨み。その怒りが飽和したとき、無敵の人が生まれる。社会に向かって暴力という牙を剥く。

 みいちゃんは可愛かったから、そこまで行く前にペロペロやセックスでお金を稼げたけれど、手段を持たざる人たちはどんどん社会と敵対していく。まず見た目からして助けたいと思えないだろうし、手を差し伸べても払いのけるどころか、暴言を吐いてくる可能性が高い。でも、いまの世の中で本当に支援を必要としているのはそういう人たちなのだ。

 SNSなどでよく目にする「真の弱者は助けたくなるような姿をしていない」という残酷な現実がまざまざと浮かび上がってくる。

 一般的に、頑張っている人たちは助けたいけど、頑張っていない人たちは見て見ぬフリをしたくなる。感情的には当たり前。でも、論理的には逆なんだよね。頑張れる人は自分ひとりの力でなんとかできるわけで、助けなきゃいけないのは頑張れない人なのは明白。

 支援に見返りを求めちゃいけないというのはきっとそういうことなのだろう。「ありがとう」すら言えない人たちこそ、わたしたちの助けを必要としている。金銭的な見返りはもちろん、精神的な見返りすら真の弱者を見えないところに追いやってしまう。

 そんなことを考えていると、なぜ真の弱者を助けなきゃいけないんだ? と根本的な疑問が頭をよぎる。ぶっちゃけ、放っておいてなにが悪いの? と。

 たぶん、自分ひとりの問題として考えれば放っておいた方がいいのだろう。そんな人たちと関わらなければいないのと一緒。なにも心配する必要はない。

 ただ、社会という大きな視座に立ってみれば、先に挙げた通り、弱者は生まれながらに弱者だったわけではない。社会構造によって弱者になるのだ。そして、弱者が無能の人と化したとき、テロ行為によって多くの人が理不尽な暴力に巻き込まれる。それを仕方ないでは終わらせられない。少なくともわたしは許せない。

 だから、まず、これまで透明にされてきた人たちを可視化していくことが重要。バカとかアホとか自分勝手とか。まともな側から貼ってきたレッテルをひとつずつ丁寧に剥がしていこう。

 わたしたちはもっとみいちゃんのことを知らなくては。そうじゃないとホストにハマる女の子たちのことも、頂き女子に金を騙し取られたおぢたちのことも、性産業で稼いだ金を使ってSNSに派手な写真を投稿する人たちことも、被害者として見ることができないままだから。さもなくば、華やかな世界を目指さなきゃいけないという洗脳がこの世に蔓延り続けてしまう。

 地味でいい。いや、地味がいい。幸せってやつは蛍光色をしていない。誰もが羨む自分じゃなくて、自分のためだけの自分でいいんだという価値観が広がっていけば、社会はかなり落ち着くはずだ。

 そんなこと言いつつ、こんな面白い漫画を書けるなんていいなぁと思っちゃったりするんだけどね笑




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