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【読書コラム】お金のために無理して働いて体壊してその治療代にお金を払うなんて何か違いますよ - 『しあわせは食べて寝て待て』水凪トリ(著)
好きな漫画の新刊が出た。『しあわせは食べて寝て待て』の第五巻。帯にドラマ化決定と書いてあり、「やっぱりね」としたり顔になってしまった。
わかっていたよ、そうなることは。なんなら遅いぐらいだね。みたいなことを考えてしまう。お前はどの立場から言っているんだって感じだけど、それぐらい第一巻を読んだときから様々な媒体に展開していくのがありありと見える面白さで、たちまちファンになってしまった。
まず、持病が理由で正社員を続けられなくなったアラフォー女性が週四勤務のパートに転職、医者からは婚活を勧められるも家賃の安い団地へ引っ越し、生き延びるための選択をしていく。そうして新たな出会いの中で薬膳の魅力に気がつき、日々の食事で心と身体の健康を取り戻していく。
薬膳って、わたし、この漫画を読むまでぶっちゃけ怪しいものだと思っていた。薬じゃないのに効果あるわけないじゃんって。
でも、ちゃんと説明を読むにつれて、別にそんな特別なものではないんだとわかってきた。例えば、旬の食材として、むかしから重宝されてきた野菜はその時期に合った効果を待っているみたいなことが基本になっている。生姜は身体が温まるので冬に食べようとか、きゅうりは水分が多いので身体を冷やすから夏に食べようとか。なんとなく知っている情報だった。
それらを意識的に整理し、組み合わせ、自分の体調と相談しながら活用できるようにするのが薬膳であり、医療というより、日常生活を充実させるための工夫と言うべきものだった。いわゆるおばあちゃんの知恵袋みたいなもので、思っていたよりも簡単に取り入れることができそうだ。
実際、わたしも『しあわせは食べて寝て待て』に影響を受け、スーパーで食材を選ぶときに値段と好み以外の基準を持てるようになった。特に内臓が疲れているときはゴボウや人参、大根、蓮根、さつまいもなど、根菜を買い漁り、醤油か味噌で汁物にしたり、手羽元と米を入れて参鶏湯にしたり、身体を労わっている。
薬膳酒にも興味が湧き、水道橋にある専門店に行ってみた。
ここで山芋やにんにくといった馴染みのある食材も、焼酎に漬け込むと風味が変わると知り、驚いた。中華やカレーで使うようなスパイスもお酒にすると面白かった。
うちのキッチンは狭いので、未だ、手を出せてはいないけれど、自分でも薬膳酒を作ってみたくなった。たぶん、スーパーの野菜売り場の見え方がガラッと変わるはず。
たぶん、薬膳にハマる理由はそこにあるのだろう。当たり前と思っていた毎日に新しい視点が導入される。息苦しかった日々の風通しがきっとよくなる。少なくとも自分の中では大きく変わる。
もし、薬膳で幸せになれるという内容だったら、『しあわせは食べて寝て待て』を好きになっていない。あくまで「食べて寝て待て」なところが堪らなくいいのだ。結局、幸せなんて待つしかないという仏教的な世界観がいい。ただ、なにもせず待っているのは心許ないので、「食べて」の部分を楽しむというのが薬膳の本質なのではなかろうか。そういうことが見事に描かれている。
最新の五巻では新しいキャラクターが登場した。主人公と同じ団地に暮らす一人暮らしの六十代女性。彼女はスーパーの見切り品などを勝ってきては巧みにイタリアンを作り出してしまう。誰に食べさせるわけではないけれど、いや、誰に食べさせるわけじゃないから食べたいものに全力で付き合える。
かつて、夫を支え、子育てに奔走していた頃はアジをフライにするんでも、身の部分は家族にあげて、尻尾の部分を食べる生活をしていたという。ほうれん草にしても根っこの部分を担当していた。
(実は根っこの部分が美味しいんだけどね。でも、根っこだけというのはやはり寂しい)
だから、売れ残って割引になっている品であっても、丸々食べられる贅沢を彼女は目一杯楽しんでいる。洗剤を使わず洗い物をするとか、電気の消費を減らすためにソーラーランタンをぶら下げてみるとか、エコという観点から語られるようなあれこれをやってみたいからやっている。
その一環でSNSにも挑戦し、丁寧な暮らしっぷりが評判になっていた。ところがアンチコメントに精神をやられ、いまはアカウントに鍵をかけている。
ただ、彼女の投稿は相変わらず人気があり、主人公と親しい編集者は取材を申し込もうとしている。六十代女性が一人で生きていく不安を払拭するような可能性を提示したいのだという。
で、同じ団地に住んでいる主人公がその橋渡し役となる。
年齢的にまだ働けたけれど早期退職を選び、息子夫婦から同居しないかと誘われたけれど断り、そういうやりたいことをやる時間を確保すると決め、家賃の安い団地に引っ越してきたという。このあたり、病気が理由でこの場所にやってきた主人公と境遇が重なり、二人はすっかり意気投合。仲良しになる。
そして、気さくに会話を交わす中で、一見すると穏やかな六十代女性がパンクロックを好きなど、意外な一面がわかってきて、人間ってそれぐらい複雑な存在なんだよねって重層性が示される。こういう描写が本当に愛おしい。
このとき、主人公が共感度マックスなセリフを言う。
お金のために無理して働いて体壊してその治療代にお金を払うなんて何か違いますよ
そうだよね、そうだよね。お金を得るために働いて、身体を壊し、治療のためにお金をたくさん使わなくちゃいけなくなるなんて、バカバカしいにもほどがある。だったら、働かない方がよかったじゃんってなるもんね。
でも、世の中、そういう仕事があふれている。病気にならなかったとしても、身体がバキバキになって、休日は昼過ぎまで寝なくちゃいけなかったり、スーパー銭湯で過ごしたり、マッサージを受けたり、自分の時間もお金も仕事のために費やさなきゃいけないって、どういうこと? 自分の人生を切り売りした先になにがあるわけ?
まあ、そうは言ってもお金がなくちゃ生きていけないわけで、日々、やりたくない仕事をやらなきゃいけないのも現実。だとしても、無理はいけない。無理は。
この無理ってやつがやっかいで、自分でもいま無理をしているのか、わからなくなったしまうんだよね。
時給で働いているといつしか一時間を千いくらで認識し始めてしまうもの。そうなると一時間の休憩は千いくらを損しているという感覚になってくる。
もし働けなくなったらどうする?
老後の資産が足りない!
お金なんてあるだけあった方がいいというのは常識になっている。そんな現代社会でなにもしないことを選ぶのは相当に勇気が必要で、知るないうちに無理をしているというのがほとんどのケースだろう。
これ、恐ろしいのは収入が増えれば増えるほど、そういう思考に陥ってしまうということ。『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』という本はそのことを指摘し、人々が生きる目標を失った資本主義社会においてワーカホリックが量産される仕組みを明らかにした。
この唯一の解決策は生きる目標を持つということ。そして、その目標を最優先に労働量を考えていく。とりあえず稼げるだけ稼いだ方がいいという魅力的な声を無視しなくてはいけない。
それこそ、薬膳を学び、自炊を楽しめるようになれば迷いはなくなるかもしれない。季節ごとに美味しいものを食べ、しっかりと眠る。それができなくなるような仕事はしない。もちろん、お金は貯まらないよ。貯まらないけど、無理して働き、心や身体を壊してしまうのはなによりも堪らない。だったら、貧しくても、しあわせを食べて寝て待つ方がよっぽどいい。
この作品がドラマ化し、より多くの人の琴線を打ったとしたら、この国はもう少しだけ生きやすくなるかもしれない。そんなことを期待したくなるような作品だ。
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