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【読書コラム】むかしと比べれば、いまの日本は恵まれていて、食うに困らないから幸せと言うけれど - 『貧困とは何か ―「健康で文化的な最低限度の生活」という難問』志賀信夫(著)

 いま、日本で貧困が広がっている。そう言うと必ず、むかしや他の国と比べれば、食うに困らないし、ライフラインは整っているし、様々な社会福祉もあるのだから、貧困なんて大袈裟という批判が飛んでくる。

 たしかに、その指摘はもっともで、仕事はその気になればいくらでもあるんだし、貧しくてもスマホで動画を見たり、ゲームをしたり、悠々自適にやっているんだし、いわゆる戦後のバラック小屋でひもじい思いをしていた貧困のイメージとは全然違う。

 でも、社会が成熟し、大企業と中小企業の給与格差はどんどん開き、アベノミクス以降の株価上昇による金融格差が広がる中で、持つ者と持たざる者で生活のあり方は着実に分断され続けている。

 だから、現在の日本で貧困が問題視されるとき、相対的なものとして考える必要があるということはなんとなく理解はしていた。そして、話が噛み合わないとき、相手は貧困を絶対的なものとして捉え、食うに困るか否かで判断しているため、同じ景色を見ていても異なるものが見えているのだと。

 とはいえ、なんとなく、そんな単純な構図ではないような気もしていた。相対的貧困が問題であると思いながらも、なにがどう問題なのか、具体的な例を挙げることはできなかった。突き詰めれば気の持ちようになってしまって、マインドセットを変えればいいという自己啓発本みたいな解決策に至らざるを得ず、2003年、森永卓郎が『年収300万円時代を生き抜く経済学』を書いてベストセラーになったのはその先駆けだったのだろう。

 上野千鶴子が「平等に貧しくなろう」と言ったのも同じ文脈。バブル崩壊後の行き過ぎた経済的熱狂に対する反省という意味で、相対的な貧困をなくす方策として、少ない収入で生きていく術を身につければいいという考え方にかつては一定程度の信頼性があったんだと思う。

 ただ、それって要するに貧困の肯定であり、いま、リアルタイムに貧困がしんどいと感じている我々としてはとてもじゃないけど納得できる価値観ではない。してみれば、相対的貧困という考え方は問題を解決する上でなんの役にも立たないのである。

 じゃあ、どうやって貧困を認識すればいいのか?

 最近、発売された新書『貧困とは何か ―「健康で文化的な最低限度の生活」という難問』を読んだところ、その課題に真っ向から挑み、社会的排除理論という新たな定義について解説してくれていた。

 ざっくり言えば、貧困の定義は時代によって違うので、各時代ごとの貧困の定義を確認していき、これからの社会のあり方を検討している本である。

 貧困の研究が始まった19世紀末〜20世紀初頭に普及していたのが絶対的貧困理論で、この頃の貧困は肉体的能率の維持がてまきないほどの所得の欠如を意味していた。いわゆる食うものにも困るという状況で、未だ、これを貧困として考えている人は日本でも多い。

 時代が進み、20世紀半ばから相対的貧困理論が登場する。この頃の貧困は普通の生活を維持できないほどの所得の欠如を意味している。わたしはこれを貧困として考え、でも、現実に即さない違和感を覚え続けてきた。

 どうやら研究者たちも同様だったようで、1980年代以降、そのズレを解消するために社会的排除理論というものが台頭してきた。この定義によれば、貧困は幸福追求を阻害するような自由の欠如・権利の不全を意味するという。それまでの貧困と違って、収入の欠如を軸にしていない点が画期的だ。

 さて、この社会的排除理論という聞き慣れない言葉、どういう内容なのかと言えば、日本国憲法25条にある「健康で文化的な最低限度の生活」と親和性が高そうなので我々としてはとっかかりやすい。

「社会的排除」とは、端的にいうと、市民として保障されている諸権利へのアクセスが阻害されている生活の状態である。現代の貧困は、「市民的生存」ができないような生活状態を「あってはならない」と判断するようになりつつある。

志賀伸夫『貧困とは何か ―「健康で文化的な最低限度の生活」という難問』100ページ

 つまり、所得を含めて、すべての人が「市民的生存」を送る権利持っているという前提のもと、「あってはならない」生活状態を貧困と呼び、社会はそれを是正し、弱い立場にある人たちを包摂していくべきという考え方だ。

 こんな具体例が挙げられていた。

 所得額が同じA氏とB氏の二人を思い描いてほしい。ただし、A氏は車いすユーザーで、B氏はそうではない。
 A氏とB氏は所得が全く同じであるにもかかわらず、A氏の「移動の自由」は相対的に制限されてしまう。「所得の平等」が達成されたとしても、ここでは「自由の不平等」が生じている。

志賀伸夫『貧困とは何か ―「健康で文化的な最低限度の生活」という難問』109-110ページ

 収入が同じであっても、権利にアクセスできる環境がなければ想定されている「市民的生存」は達成できない。他にも、都市部と地方で社会環境に格差があるため、公共交通機関や医療機関、教育施設、文化施設などを利用できない不便も紹介されていた。このように収入以外にも我々の生活が苦しくなる要素は存在している。

 実際、わたしたちは「女だから」「高齢者だから」「そんな場所に住んでいるから」「外国人だから」「病気だから」「働いていないから」など、様々な属性を理由に自由を制限されがちである。現場レベルでは人手不足の問題もあり、仕方ないと納得しがちだけど、マクロな視点で見てみれば憲法で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」に反していると言えるわけで、社会を変えていく方向に議論を進める必要がある。

 なにせ、貧困は資本主義社会が作り出したもので、本質的に個人の責任は還元できない現象だから。

 産業革命以降、仕事はヘシオドスの時代と違って生きるための手段ではなくなった。資本家に自分の時間を切り売るする労働へと姿を変えた。みんな、喜びのためではなく、貨幣を手に入れるため働いている。なぜなら、あらゆるものがコモディティ化していく中で、生活とは消費を意味するようになったから。よりよい生活はお金がかかる。気づけば、幸せも商品になっていて、より幸せになるためにはよりお金を稼がなくてはいけなくなってしまった。

より多くの人びとがより一生懸命に働けば働くほど、貨幣の権力性は増し、人びとの「本源的無所有」状態の軛はますます強力になり、再び賃労働と貨幣への依存度を増していくという結果を招く。その結果がさらに原因となって再び同じ結果を招く。貨幣と賃労働への依存についてはより深刻になり、生活はますます不安定になっていく。

志賀伸夫『貧困とは何か ―「健康で文化的な最低限度の生活」という難問』171ページ

 この不安定さが実態化したものこそ、貧困であり、とどのつまり我々が幸せを願う限り、貨幣の権力性は力を増していき、最低限度の生活を送るために必要なコストも増していく。収入がどんなにあろうとも満たされない地獄のような世界になってしまうのだ。

 以前、取り上げた『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』でもこのことは指摘されていた。

金持ちの幸福は自分が最富裕層に属することへの満足を、貧しい人の不幸は自分が最貧困層に分類されることへの不満を表している。社会全体の所得水準がどうあれ、最も裕福な人は最富裕層に、最も貧しい人は最貧困層にとどまるため、平均的な幸福度あるいは生活満足度に変動はない。ちょうどエスカレーターに並んでいる人のようなもので、列の最後尾にいる人は、全体がエスカレーターで上って行ってもやはり最後尾にいる。

『じゅうぶん豊かで、貧しい社会 理念なき資本主義の末路』179頁

 とはいえ、いまさら資本主義をやめるなんてことは不可能なわけで、わたしたちは地獄の住み心地を少しでもよくするために不断の努力をしていかなくては。

 志賀信夫さんは社会的排除理論にひとつの希望を見出している。

社会的排除理論から導き出される政策パッケージを利用して、多様な社会運動を編み出すとともに、物象化された生産関係からの「脱出」「不服従」を実践し、物象化されていない生産関係に基づく新たな社会を構想することで初めて貧困根絶への道筋がみえてくる。

志賀伸夫『貧困とは何か ―「健康で文化的な最低限度の生活」という難問』194-195ページ

 かつて、職人たちは自分にしかできない技術を持っていたから、札束で頬を叩かれたとしても、「こんちくしょう!」とやりたくない仕事を拒否する自由を持っていた。そのプライドをわたしたち庶民は再び取り戻していかなくてはいけない。

 自分の権利を諦めないこと。自分の時間を安売りしないこと。勇気を出して、クソみたいな仕事に唾を吐き、重要な仕事に専念できるようになれたら素敵だよね。

 もしかしたら、いま、安い時給で誰が読むのかよくわからない資料作りに従事している「あなた」だって、ベーシックインカムをもらって自由になった時間で漫画を執筆したら、次の『鬼滅の刃』を生み出せるかもしれない。アプリ開発をしたら次のchat gptを作り出せるかもしれない。農業に専念したら、次のシャインマスカットを開発できるかもしれない。

 日本は資源のない国なんだったら、矛盾するようだけど、そういう発明で一攫千金を狙う方が堅実なのではなかろうか。少なくとも、高齢になった権力者たちの現状維持を続けていたら、日本という国自体、フジテレビや日産のようにどうしようもなくなってしまうのは目に見えているのだから。

貧困は雨や夜とは違う。貧困は自然現象ではない。貧困は人工的に創出された現象であり、人間の手で解決すべき問題である。貧困を生産する社会構造を変えるための連帯と抵抗が必要である。

志賀伸夫『貧困とは何か ―「健康で文化的な最低限度の生活」という難問』206ページ

 貧困は誰にとっても他人事ではない。




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