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結局のところ、愛もカネも両方欲しい。



就職活動中に、
必ず一度は面接官の方に聞いていた質問がある。


それは、
「何の為に働いているのか」
ということだった。


みんな「暇潰し」やら「ワクワクしたい」やら綺麗ごとを言う中で、
ある1人の面接官が私の目を真っ直ぐ見るなり、こう言った。

「生活費を稼ぐ為ですね」


思ってもみなかったまさかの回答に、最初は思わず言葉を失い、愛想笑いをしたのち私はその人をひどく軽蔑した。 

「なんであの時軽蔑したのか」

自分の感情にいくら向き合ってもそれだけは全然分からなかった。
「生活費を稼ぐ為だけ」の為に仕事をしているという価値観に、私は全く共感できなかったからだ。

しかし、最近になってようやく、
あの時の自分は、
ただ大人に「社会で働く希望」を聞いて、安心したかっただけなのかもしれないということに、気付いてしまった。

この本は、そんな時に読んだ
あるルポルタージュ作品の話である。

本のタイトルは『オンナの値段』。

簡単に内容を説明すると、
キャバクラ、風俗、AV業界など、しばしば性の対象として扱われる夜のお仕事や、デリヘル・ホテヘルといわれる世界で働くオンナたち、また、パパ活、ギャラ飲み女子など、さまざまなカタチでお金を稼ぐ彼女たちへの密着取材を通して、オンナが稼ぐその先について言及した一冊である。


本の中で、
著者である鈴木涼美はこんなことを綴っている。

「私にとって、私が稼ぐお金はそれがそのまま自分の価値で自分の値段だった」
「はじめに」より


彼女のこの言葉は、
いつの日か、自分が感じたことのある「品定めされてきた女」の気持ちを代弁してくれているようで、すごく印象に残った。


若い頃にブルセラ店やAVを経験した
彼女だからこそのこの言葉には、ものすごい説得力と確かな重みがあった。

「お金で買えない幸せの価値がものすごく高いのは、
どうやって手に入れるかも、
本当に手に入るのかどうかも
わからないからである。

(中略)
お金で買える幸せも価値が高い。

お金がなくては絶対に手に入らないからだ。

10万円で靴を買う幸せは、

10万円なければ絶対手に入らないものだった」
「はじめに」より
「ここに集めた断片は、

私自身も含めた大変不器用なオンナたちが

彼女たちなりにお金と付き合ってきた記録である。

その実態は滑稽で、

時に見苦しく、間違っていて、愚かだ。」
「はじめに」より
酒やオトコ、趣味の悪いブランド品にお金を使うと世間的に白い目で見られるが、

では、オンナのお金の『まっとうな』使い道
とはなんなのかと聞き返しても、

これといってピンとくる答えが返ってくるわけでもない。

自分磨き、勉強、親孝行、寄付、一生使える質の良い家具や革製品、

どれも別に私たちが生きて働く意義になるほど一貫してもいない」
「はじめに」より
(中略)やっぱり女の身体や存在というのは
それだけでお金を生むものである。

女はそれだけでお金になる。

それはものすごく幸運で、

ものすごく不幸なことである。

そしてそれが

若さや美しさという付加価値を背負う時、

さらに大きなお金をうむということもまた、

幸福であり、残酷な事実だ。
「第3章パンツでも母乳でも」より


私はこの本を読んで初めて、
全てを曝け出した女の醜さと逞しさを間近で見たように思う。

本を読み進めるうちに、
夜の仕事でお金を得る彼女たちは、
よくいる普通の生活を送っている私よりもずっと強く、聡明だったことに気付いた。

後ろめたさも感じず、
常に自分に自信があってキラキラしていた。
何も恥じることなく、
全てを曝け出した女のその姿は、ものすごくかっこよく見えたと同時に少々醜くもあった。


妊娠中絶、摂食障害、整形中毒、
さまざまな問題に日々悩ませられながらも、
それでも何事もなかったかのように笑顔で仕事をこなす彼女たち。

整形のため?男のため?子供のため?
一体何のために彼女たちはお金を稼ぎ、
どんな幸せを夢見ているのか。

女として生まれてきた身として、
これから社会に出ていくにあたり、
私も一体何の為にお金を稼ぎ、
稼いだ先に一体何を見ているのか、
すごく考えさせられた。



「愛か金か」という問題は、
俗に言う男性が女性に聞かれて1番困る質問のひとつ「仕事と恋人どっちが大事か」と同じくらい女たちを悩ます。

どっちも大事で決められないからこそ、
永遠の議題として長きに渡って語られ、
女子会のトークには常に議題として挙げられ、
戦い続けきた。


「愛か金か」
「結婚する(付き合う)相手に何を求めるか」


現代女性が自分で稼ぐチカラを備えるようになって以降、
こういう問題たちは
近年余計過激化しているように思う。


綺麗ごとを言うのであれば、
私は正直、金派でも愛派でもどちらでもない。

しかし、
お金が無くては人は食べることもできないし、生きてもいけないのは事実で、
何をするにも現代社会はお金がかかるのは自明な世の中となった。

学生の頃にはなかなか気付くことができなかったが、

お金があって初めて、
自分の生活基盤がきちんと整っていて初めて、

人は「自分の夢ややりたいことを実現することができる」ということ。


やりたいことを叶える為にお金が必要なら、
まずはお金を稼ぐことが最も大事だと言わざるを得なかった(それがパートナーに頼るか自分で稼ぐかはまた別の話だが)。


そう思うと、
あの時私に「生活費を稼ぐ為(お金を稼ぐ為)」と答えてくれた面接官の方は、
当たり前すぎてスルーしてしまっていたけど、
とても大事な本質を私に気付かせてくれた。


今考えると、ある意味すごく真っ直ぐで、
建前で話す大人たちよりもずっと正直で誠実な回答だったように思う。


お金で買える幸せも、愛で満たされる幸せも、どちらを選んだとしても
きっとそれは長い人生を見た時に一瞬で、長くは続かない。


結局のところ男女問わず愛も金も両方欲しいし、
そう思うのか人間としての真っ当な欲望なのは確かである。

でも、
愛で醜さを晒したとしても、
お金で醜さを晒したとしても、
そんな欲まみれで汚く、醜い姿を曝け出して初めて、
人間はとことん面白くなることができるのではないだろうか?


鈴木涼美『オンナの値段』講談社、2017年。


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