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初期仏教から見た震災と慰霊 日本仏教「再仏教化」への提言

去る二〇一二年七月一日、鶴見大学で開かれた日本印度学仏教学会の第六十三回学術大会パネル『震災と仏教』に出席しました。パネルの概要については、コーディネーターをされた師茂樹先生の「震災と仏教(仏教学は何をめざすのか、第63回学術大会パネル発表報告[*1])」をお読みいただければと存じます。昨年三月十一日から続く東日本大震災にまつわる、末木文美士先生と(主に)私とのネット上の論争[*2]を契機として実現したパネルです。そういう意味では、印仏学会史上でも異色の催しだったのではないかと思います。当日は師茂樹先生、末木文美士先生、北條勝貴先生、石井公成先生(順不同)という錚々たるメンバーに混じって話をさせてもらいました。今回は当日の発表原稿に最低限加筆したテキストを、特別編として掲載したいと思います。パネルの全体から自分の発表だけ抜き出して全体を判断されるとよくないと思いますが、現代日本における仏教の語られ方の問題点について常日頃考えていることをまとめたものなので、ご寛恕いただければと存じます。

*1 CiNii(NII論文情報ナビゲータ[サイニィ])からPDFファイルをダウンロードできる。アドレスはhttp://ci.nii.ac.jp/naid/110009596567
*2 ブログ「ひじる日々」( 二〇一一年九月二十四日) 末木文美士氏との論争まとめリンク http://d.hatena.ne.jp/ajita/20110924 参照のこと。末木文美士『現代仏教論』(新潮新書、二〇一二年)第一章「震災から仏教を考える」には論争の契機となった論考やパネル「震災と仏教」における末木氏の発表要旨「震災から日本の仏教を考える」が収録されている。

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皆様、よろしくお願い致します。限られた時間ではありますが、テーマに関連してなるべく多くの問いかけをしたいと思って原稿を作りました。所詮はディレッタントの漫談なので、いささか乱暴な論になっていると思いますが、皆さんがこの問題について考える上での何かのネタになれば幸いです

地震は自然現象だが……

末木文美士先生は、奈良県刊行のフリーペーパー『NARASIA Q』創刊準備号の記事「震災からアジアの仏教を考える」で、日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老と私が震災について発言した記事[*3]を紹介してくださっています。「原始仏教以来の重要な教理の一つに『業』の説がある。……これは仏教理論の一つの躓きの石となっている。なぜならば、業の説はかつて社会差別の理由付けに使われてきたからである。災害においても、災害で苦難を受けた人は前世の行為が悪かったからだという説明は、受け入れられるものではない。それに対して、スマナサーラは明確に否定している。これは非常に合理的な立場と言うことができる」

スマナサーラ長老も私も、東日本大震災(いわゆる三・一一)に関する言説で「地震は自然現象」と主張しました。しかし、この言説を、業報思想を否定する「非常に合理的な立場」と結び付けられると、誤解が生じると思います。

テーラワーダ仏教においては業(kamma)の教説が大きなウエイトを占めており、人間の幸不幸を論じる場合は必ず業が語られます。といって、それが差別につながるとか、躓きの石とか言われることはないのです。この現代日本仏教とテーラワーダ仏教の違いを考えるところから、話を始めたいと思います。

*3 アルボムッレ・スマナサーラ「東日本大震災で被災された皆様へ」、佐藤哲朗「東日本大震災は「天罰」なのか?『大般涅槃経』から読み解く初期仏教の「地震」論」『サンガジャパンVol.6』(サンガ、二〇一一年)

日本仏教における業のタブーについて

日本人はサブカルチャー的に業(カルマ)の話をするのが大好きです。しかし仏教者が業を説くことは一種のタブーになっているように見受けられます。末木先生のテキストにもあったように、業についての議論を避ける際には、業が差別につながるという懸念が持ち出されます。この認識は仏教者、
仏教研究者を問わず共有されているようです。

しかし、テーラワーダ仏教の言説では、業は倫理の問題と不可分です。パーリ経典の中で、釈尊は「意志(cetanā)が業である」とも述べます(増支部6集 Nibbedhikasutta)。意志を持ってなされる身業を説く仏教は「解脱の教え」です。ベストセラー本の口上を借りれば、仏教の業論は「因果の連鎖を断ち切るために、因果の連鎖について研究する」(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』意の行為が次の自分を決めるのですから、人間の倫理的生き方を語るときは必ず、業にスポットが当てられます。それが「差別につながるからタブー」と忌避してはお話になりません。

業を説く仏教は「解脱の教え」です。ベストセラー本の口上を借りれば、仏教の業論は「因果の連鎖を断ち切るために、因果の連鎖について研究する」(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』上巻、三〇頁)解脱学の一環なのです。解脱学たる仏教が、貪瞋痴に汚れた世俗の差別(宗教的な権威付けをされた差別を含む)に価値を入れることはあり得ません。もしどうしても業の教えが気に入らないのであれば、「仏教では業を説くが、私は受け入れられない」とすればいいだけの話です。なぜ現代人の価値観に仏教が従属しなければいけないのでしょうか? 仏教が「解脱学(げだつがく)」であることが等閑視されたまま、業のタブー視が続いているとしたら、それは仏教の瑕疵ではなく、タブー視する日本社会の瑕疵だと思います。

テーラワーダ仏教の言説では、他を差別するために業論を使うこと自体が「悪行為」であり許されない、と戒められます。また、業と過去は「考えても終わりがない」問題と釘を刺されています(増支部4集 Acinteyyasutta)。さらに、パーリ仏典のアビダルマでは、業は現象を引き起こす五つの決定要因(環境・種子・心・業・法)の一つとされており、世の中の有り様を「説明」するというレベルで何でも業に還元することは避けられます(Sārasaṅgaha)。

自然現象たる地震と津波によって、個々人が受ける「苦」は千差万別です。苦は心で感じるものですから、実存と切り離せません。地震や津波の直接の被災者よりも、伝聞情報でパニックに陥る人の受けるダメージが大きい可能性もあるのです。現象は複合的な因縁で起こりますが、そこから受ける苦のありようについては、自業自得としか言いようがないのです。

地震や津波によって引き起こされる「苦」を自業自得と受け止めるのは、仏教徒にあり得べき態度でしょう。しかし、他者である被災者を指さして「汝の苦しみは自業自得だ」と指弾することは成り立たないのです。他者の業は普通知り得ません。五つの決定要因によって起こる現象を「業」に還元し、無責任に知りもしない他人の業をあげつらうのは他を中傷する悪行為です。業を差別に用いたならば、自ら悪業を積むことになります*4。

実際に、被差別部落問題に関わる「差別戒名」など、業の差別への悪用によって、日本の仏教者はどれだけ社会的な信用をなくし、「業の差別への悪用」という悪業の結果を受けたことでしょうか。否定すべきは「業の差別への悪用」であり、ブッダが説かれた業の教えそのものではありません。

*4 テーラワーダ仏教の業のとらえ方については、アルボムッレ・スマナサーラ「お釈迦さまが説いた「業(カルマ)」の真実」(『サンガジャパンVol.10』サンガ、二〇一二年)で網羅的に説明されている。

初期仏教と死者

次に、「慰霊」という問題について考えてみたいと思います。仏教は基本的に生死=輪廻と説きます。死んだら終わり、すべてチャラになるほど甘くありません。大乗仏教だけではなく、初期仏教経典でも、先祖に功徳を廻向することを勧めています[*5]。ただし、功徳廻向を受けられるのは一部の祖霊
(餓鬼)のみとされます。死んでから人間界や天界に生まれ変わっていたら廻向は届きませんが、その場合は、廻向を受けたがっている他の祖霊が受けると説明します。無始なる過去から輪廻を繰り返してきた我々には無数の先祖がいるわけですから、廻向の先には困りません。まさに「曠劫多生の間
には父母にあらさる者もなし」(一遍上人語録)です。

それから、普通に道徳的な生活をすれば、天界に生まれるのはいとも簡単と説かれます。「正しく得た財で家族を養う、道徳を守る、徳を積む在家がいます。(帝釈天は)この在家信者を拝む」(相応部有偈編11帝釈相応18 Gahaṭṭhavandanāsutta)のです。遺族にその死を惜しまれる高徳の死者は、直行で「天国に行っている」と考えてよいでしょう。あまり徳の高い死者に身内が廻向しても、受け取りようがありません。幸運にも人間に生まれ変わっていても、功徳廻向できない。しかし通仏教的に「他から受けた恩を忘れないこと(知恩)」は優れた道徳的行為とされます。ですから故人の逝った先を妄想せず、その徳を偲んで法事をすることは、優れた善行為です。
歴史の中で「非業の死」「理不尽な死」を遂げた人々であっても、生き方がまっとうであったならば、悲しむ必要はないのです。彼らは、もしかしたら輪廻して我々の中にいるかもしれません。輪廻の見方では、私たちが見送ってきた死者のいくばくかは、生者として私たちの中にいるのです。

付言しますと、人間に生まれるのは善業の果報であり、人間に生まれること自体、得難い徳であるとされます。ですから、東日本大震災で亡くなった方々への最高の供養・慰霊は、この世界に人間の枠を増やすことです。亡くなった方々がまた人間になれるように、日本社会の皆さんがたくさん子供
をつくることです。または子供たちが生まれやすい、育ちやすい環境づくりに協力することです。少子化や「子供嫌い社会」の解消こそが、被災者への最高の供養と言えます。人間に生まれることは徳が高いというのは、そこにブッダの説かれた「出離の道」が開かれているからです。ですから、仏教
が盛んで、元気な子供たちの歓声があちこちで響いているような国にすることが、他の何にも増して東日本大震災で亡くなられた方々への「慰霊」になると思います[*6]。

*5 藤本晃『仏教の正しい先祖供養』(サンガ新書、二〇〇八年)
*6 パネル発表の後、会場の方から、少子化や「子供嫌い社会」の解消云々について「このくだりは佐藤さんの俗情ではないか?」とのツッコミをいただいた。

輪廻は死生観の包括

現代の日本にはさまざまな死生観が混在しています。「死後、天国」という昇天の教えと、祖霊信仰、そして輪廻転生は、現在も日本の中ではそれらは共存しています。私たちが生をともにして、先に亡くなった方々は、あるいは天界に昇る、あるいは祖霊(餓鬼)として人間のそばに佇んでいる、あるいは人間や他の生命に生まれ変わっていると考えられている。輪廻なんか信じられない、という人も、「天国のおじいちゃん」とか「草葉の陰で先祖が見守っている」みたいな話には心情的に乗っかっています。要するに、自分の想像力の範囲で気に入った死生観を推しているのです。

それらをまとめて包括的に説明するのが、仏教の「輪廻」だと思います。釈尊は、さまざまな死生観が生まれるのは認識能力の限界によるとしました(長部1 Brahmajālasutta 梵網経)。いずれも一概に間違いとも言えないし、究竟とすることもできません。業論(行為論)との組み合わせで、その境地に至る方法も説かれる場合があります。しかし、釈尊は世間にあるさまざまな宗教で究竟とされる境地もまた、「世間」のサイクルを経巡る閉鎖系の道(輪廻)にすぎないとしました。釈尊は、俗世間の死生観(その中には、当然、死んだらそれで終わりという断滅論も含まれます)を包括して「輪廻」と呼び、価値を相対化した上で、「出世間の教え」である仏道へと導いたのです。

輪廻はワンオブゼムの死生観ではなく、仏教者であるならば、俗世間の死生観を丸ごと「輪廻」として包括した上で、輪廻からの「出離の道」として、解脱学として、仏教を説かなければならない。輪廻を説かないということは、仏教が「出世間性」を放棄することに他ならないのです。

日本仏教はなぜ思想の体系性を失ったのか?

現代の日本仏教が総合的理論、つまり「思想の体系性」を失ったという末木文美士先生の指摘[*7]は、その通りだと思います。出世間性の放棄によって、「解脱学」として組み立てられた仏教の体系が崩壊します。仏教が、その場その場の気分・雰囲気・情緒に貼り付けられる「断片的なラベルの集成」に堕落するのです。仏教的とされるキーワードは、時々の日本人の情緒を盛り上げるためのラベル、感情の起伏を高尚に見せるための代物として消費されてしまうのです。

なぜそうなっているかといえば、とても簡単な話で、仏教の思想の体系性を破壊する方向に、ひたすら俗世間の思想に迎合させる方向に、近代の仏教研究とそれに基づいた仏教解釈の志向性が働いたからだと思います。

前節とも関わりますが、日本人の死生観にまつわる言説は「文化ナショナリズム演歌」の如く、市井からアカデミズムの現場まで情感たっぷりに語られます。それにもかかわらず、日本の仏教では、なぜか輪廻や業の話が忌避されるのです。差別云々という理由付けもされますが、どうも眉唾に思えます。

前述『梵網経』によると、さまざまな死生観の中でも、いわゆる断滅論は超越的な知見に基づかず、ただ目の前に見える情報から推測しただけの主張として、ほとんど相手にもされていない(このくだりは不正確でした。《追記》で補足します)。しかし、現代の仏教学の常識では、この断滅説は不動の前提とみなされています。釈尊が相手にもしなかった偏見を前提にして仏教を解釈するというのは、どう贔屓目に見ても顚倒したアプローチだと思います。

お釈迦様(釈尊、ブッダ)は「そもそも」輪廻を説かなかった、あるいは輪廻説はインドの俗説が仏教に取り入れられたもの云々という言説は、最近はさすがに批判されるようになりましたが[*8]、仏教入門書などアカデミアの外では、いまだにコピー&ペーストのように無批判に増殖し続けています。
しかし、その論拠はあまりにも素朴な、経典の「誤読」に起因したものです。

例えば、原始経典の中でも最古層の経典になるほど「輪廻に対して否定的表現」をとるというのは、輪廻による再生が「望まれないこと」であると指摘しているだけです。また、仏典の最古層資料とされる『スッタニパータ』四、 五章で釈尊が対話しているのはプロの修行者ですから、「輪廻への執着」を否定するのは当たり前です。それを輪廻否定、現実重視云々と読み取るのは文脈無視も甚だしいと思います。

また、釈尊が「死後の生存」について「判断停止」したという俗説もありますが、これはおかしい。そもそも「アートマン説を前提にした輪廻転生」を釈尊が肯定したか否かという問題設定はピント外れです。釈尊の時代のインドで、いわゆる輪廻転生の教えが常識であったかどうかは甚だ疑問であるし、仮に輪廻転生が釈尊当時からインド社会で常識だったと仮定しても、「輪廻する恒常の主体が成り立たない」ことは、無我説を前提とした仏教の輪廻説の基本です。むしろ「無我でなければ輪廻は成り立たない」という主張が仏教の肝であり、一部の部派以外は、輪廻と無我の矛盾に悩んで「輪廻
の主体」を探し回ることはなかったのです。十二縁起の説法においても、釈尊は「誰が生まれるのか」という問いそのものを退けています(相応部因縁篇12 Phaggunasutta)。

十難無記は釈尊が輪廻(死後の生存)に関して「判断停止」した証拠として持ち出されますが、実際には輪廻の有無について沈黙した(無記)のではなく、「(如来の死後などの)質問は「成り立たないゆえに」答えなかった(無記)と解釈するのが妥当でしょう。仏教では、「私が」「誰かが」輪廻することは成り立たないのです。ただ形而上学的な問題については判断停止するだけなら、わざわざ仏教を持ち出す必要はありません。ましてや、輪廻からの解脱という命題を、「輪廻転生というインドの思想から抜け出すこと」と解釈するならば、お釈迦様の教えは古代インドの特殊な普遍性のない教え、ということになります。

端的に言って、輪廻を否定するのは、解脱を否定することです。解脱否定することは仏道否定であり、ブッダの出現を否定することです。まったくあり得ない話です。そろそろ正気に戻って、このような悲惨な妄説がなぜ日本で広く受容されてきたのかという、第三者による「事故調査」が必要だと思います。

*7 末木文美士『現代仏教論』(新潮新書、二〇一二年)七二頁以下を参照のこと。
*8 森章司「死後・輪廻はあるか? 「無記」「十二縁起」「無我」の再考?」(東洋学論叢三〇 東洋大学文学部 二〇〇五年三月)、松尾宣昭「仏教と「輪廻」の概念:並川孝儀氏の所論をめぐって」(龍谷哲学論集二十二、 五一−七七、二〇〇八年一月)など

近代仏教学の欲望(伝統思想の浸透)

今回のパネラーの一人、石井公成先生は、現代の聖徳太子研究について、このように述べています。

「先入観をまったく排除することは不可能ですが、聖徳太子について研究するに当たっては、聖徳太子の実像はどのようなものであってほしいと心の奥で願いながら調査しているかということを、できるだけ自覚するように努めるべきでしょう」(問題提起 聖徳太子研究の諸問題 『藝林』第六十一巻第一号二〇一二年四月十日)

これは釈尊研究・原始仏教研究にも当てはめられるべき戒めと思います。日本の仏教学は、自らの学問体系に日本ローカルな価値観や宗教的な「戦略」が滑り込んでいることへの自覚が薄いのではないでしょうか? 研究の前提そのもののプロファイリングが必要ではないでしょうか? 自分が科学的な手順・方法に従っているから自己検証の必要はない、中立性が保たれている、という態度は、福島原発事故に際して原子力研究者・学界に向けられた批判(御用学者批判)に対して、当事者意識を欠いた鈍感な対応が目立ったことにも通じると思います。

アジア諸国仏教の近代化には、それぞれ異なる文脈があります。例えば、近代のスリランカでは、仏教の復興はシンハラ人たちの民族的アイデンティティ確立の問題と密接に関わってきました。日本の近代仏教学もその出自からして、パーリ仏典・テーラワーダ仏教を正統視してきた西欧の仏教研究を受容しつつ、漢訳仏典や大乗仏教(とりわけ日本的な変容を遂げた大乗仏教)の正統性・優位性を主張する、という文化ナショナリズムと宗教的使命感に突き動かされてきたと思います。ただし、それはナショナリズム運動の一環でありつつ、神道を押し出した近代化の過程で排除されがちだった仏教「業界」の人々が、何とか安定した生存圏を確立しようという運動でもあったと思います。

業と輪廻をタブー視する仏教学のトレンドによって毀損されたのは、仏教の体系性です。端的には、ブッダの修行の位置付けがあやふやになったのです。「輪廻からの解脱」という目的がないのであれば、釈尊の修行や覚りは、いったい何だったのか? それを一から説明しなくてはならなくなった。
もちろん、輪廻からの解脱を説く経典は使えませんから、自分たちの思考、つまり研究者自身の「俗情」に沿って解説するしかなくなります。そこで、釈尊は修行によって一切の煩悩を滅して輪廻から解脱したというのは大げさで、実は死ぬまで道を求め続けたまじめな求道者であったという、ユニークな釈尊観が流通するようになったのです。また、近代仏教学によって再構成された釈尊の教えが、世界を「キラキラ化」する現実肯定のツールとして消費されていくようになったのです。

私は、これは近代化の影響とばかりは言えないと思っています。第一に、日本仏教の底流には「人間はそもそも覚っている」「自分は本来ホトケだと気づけば成仏だ」という本覚思想(あるいは俗流本覚思想)が流れています。第二に、近代仏教学を中心的に担った研究者はおおむね、如来の恩寵としての信を強調し、自力の修行をタブー視する浄土真宗の関係者だったことです。彼らは濃淡の差はあれ、「絶対他力」(これは近代になって発明された用語のようです)信仰と釈尊の教えを接続しようという志向性(嗜好性)のもとに研究をしてきました。少なくとも、知的誠実と、地金としての真宗信仰のあいだで常に揺れ動いてきたことは事実でしょう。

そうした伝統思想の影響が、技術・約束事としての文献学の背後に滑り込むと、輪廻も修行も覚りも否定する(否定の度合いにはグラデーションはありますが……)という極めて日本的な仏教観の配給体制がいっちょう上がり、というわけです。

もっとも「本覚思想」寄りに振れた解釈になると、「釈尊は輪廻(という観念)を否定した。そもそも輪廻(という観念)を信じていない現代人は、釈尊とほぼ同じところに立っている。だから別に特別な修行も必要ない」という話になります。要するに、釈尊は二千六百年前に生まれた現代人であると。オレと同じだと。実際、二〇〇五年には『般若心経』をナナメ読みした程度の仏教知識しかないサーファーの日本人が古代インドにタイムスリップして、「オカマ」の釈尊に仏教を教える、という娯楽SF小説『タイムスリップ釈迦如来』(鯨統一郎)も書かれました。そのようなストーリーを成立させ得る近代仏教学経由の釈尊観・原始仏教観が、日本人の一般的な意識に定着したのだと思います[*9]。

*9 パネル発表の際、石井公成氏から、釈尊を俗人的に描くことを日本では平安時代からの伝統であるとの指摘をいただいた。今昔物語の事例は、石井公成「仏教史のなかの今昔物語集」(『今昔物語集を読む』二〇〇八年収録)を参照のこと。

論者の願望投影・欲望表出としてのブッダ観・仏教観

日本仏教の自画像形成に、日本の仏教学は大きな影響を与えてきました。決して、日本仏教を「対象」として論じる立場にとどまらないのです。蛮勇を承知で、個々の研究者の実名を挙げて評してみたいと思います。

故・中村元氏の原始仏教研究には、彼の「汎アジア主義」の理想が投影されていました。ブッダの教えをインド思想一般に解消しようという指向性はそれに基づいていました。また、アカデミシャンの生き方に仏教を引き寄せて、「永遠の求道者」というブッダ像をつくりあげました。中村氏は釈尊自身の末期の心境として「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ[*10]」という、本覚思想に通じるような現実肯定的な言葉を紹介し、称揚することにこだわり続けました。そしてこのフレーズ(パーリの大般涅槃経など成立の古い文献にはない)は「人間味のある釈尊」を象徴する言葉として、日本の仏教文芸や通俗書などに無数に引用されました。

中村氏の方法論を引き継いだ並川孝儀氏は、釈尊について「同時代の他の宗教家・思想家と比較して、当初から突出し強調される内容はどこにも説かれていない[*11]」と喝破します。これは大胆なように見えて、実は日本人好みの「釈尊像」でもあります。同氏の『ゴータマ・ブッダ考』(二〇〇五年)は、いわゆる最古層資料の文献批判によって「原始仏教」を極限まで痩せ細らせる前半部と、(具体的には触れませんが)「下衆の勘繰り」的な仏伝パッチワークの後半部で構成され、現代日本の仏教研究者の本音・欲望を分かりやすく表出した作品になっています。

初期仏教研究で新機軸を打ち出している佐々木閑氏が『日々是修行 現代人のための仏教100話』(ちくま新書、二〇〇九年)で披露した小乗仏教礼賛[*12](個人主義的仏教という「創作」)もまた、初期仏教サンガを大学のあり方にも引き寄せることで、上手に「アカデミシャンの生存戦略」のために活用されているように思います。日本の伝統仏教の僧侶よりは、大学の先生のほうが、むしろ釈尊サンガの「ノリ」が分かる、というのはまんざら的外れではないと思いますが。佐々木氏も輪廻思想は「捨てて」初期仏教を受容されています。

このように、日本のアカデミシャンが釈尊を研究すると、「(奥さんの浮気がちょっと心配な)まじめな大学教授」のような釈尊像ができあがるのです。かつて評論家の呉智英氏は司馬遼太郎の『空海の風景』を評して、「空海が背広を着ている」と言ったそうです。それに似ていると思います。

もっと古い例ですが、一九六〇年代末に提唱された大乗仏教在家起源論(平川彰説)が日本で広範に受け入れられた背景には、日本仏教界から清僧の伝統が消え、世襲が定着して出家教団の崩壊から引き返すことが完全に不可能になったという事情があるのではないでしょうか。タテマエとして出家教団を維持してきた宗派も、大乗仏教は「そもそも」在家から始まったというお墨付きを欲するようになり、それで平川説に飛びついたのでしょう。ある学説が社会に受容されることにも、学説の妥当性のみに還元できない事情があると思います。

近代化以降は曲がりなりにも歴史的釈尊が仏教の教祖と位置付けられたわけですが、その教祖像、あるいは原初の教団像は仏教学という近代印のフィルターを通して、日本人好みの、あるいは日本の仏教業界人好みのモノに変容させられてきたのです。その過程で、自分に仏教のどこが合っているか、どこが分かりやすいか、ではなく「自分に分かるもの=仏教」という不遜さが醸成されてきたのではないでしょうか。また、そういう不遜さを可能にしてきた知的伝統は、紛れもなく近代化以前の日本仏教の思想に胚胎しており、それが仏教学による近代印(じるし)の「啓蒙」に背後から滑り込み、習合したのだと思います。いわゆる本覚思想批判をされてきた論者も含め、日本の知識人・知識的大衆の心の深いところまで、本覚思想や浄土教の影響が(近代的な自意識と習合した形で)染み渡っている。それは常に仏教の思想の体系性(それはすなわち出世間性)を棄損するベクトルに働いたのではないでしょうか。

*10 中村元『釈尊の生涯』(一九五七年、七−四)「一生の回顧」
*11 並川孝儀『『スッタニパータ』 仏教最古の世界』(岩波書店、二〇〇八年)エピローグ
*12 第五章一二六頁参照

仏教研究とその影響の相対化

日本仏教は合理主義との習合ともいうべき成り行きで、輪廻と業を切り捨てて「近代化」を遂げたと思います。和辻哲郎などの原始仏教研究によって輪廻非仏説の主張が流通したのは戦前に遡りますが、それが仏教学者と仏教者の「啓蒙」によって一般レベルまで定着したのは最近のことでしょう。

輪廻と業を切り捨てた日本仏教のあり方は、近代化に対応した仏教の一つの生き方です。しかし「アジア諸国の中で日本だけが近代化を成し遂げた」というたぐいの傲岸な歴史観を仏教史に援用することは慎むべきです。実際は、近代化の波を受けてそれに対応したという意味では、世界の仏教はすべて「近代化」しているのです。

例えば、近代仏教に通底する思想運動として、原典主義・原点主義があるとされます(例:スリランカのプロテスタント仏教)。しかし近代化に特有とされる思想運動を経ても、アジア諸国の仏教は業と輪廻の教えを仏説として堅持し続けています。日本仏教が輪廻と業を切り捨てたのは、日本仏教に特有のローカルな行き方であって、それ自体になんら普遍性はありません。むしろ日本の外では一笑に付されるような「妄説」でしょう。しかし相変わらず、多くの日本の仏教者は、「日本の仏教は近代化され洗練されたから、業と輪廻を言わなくなった」と勘違いしているのではないでしょうか。

実際は、日本仏教が近代に過剰適応し、あるいはそのバックグラウンドにあるキリスト教的価値観に迎合することで[*13]、近代化を仏教の主体性の放棄と勘違いして内面化し、仏教者自身が百年以上かけて徐々に「内面的な廃仏毀釈
」を行ってきた悲しい末路かもしれないのに。無我を教える仏教には相応
しくないかもしれませんが、あえて最近のはやりの言葉を使えば、日本仏教は「魂の植民地化」(安冨歩)によって思想の体系性を失い、儀式儀礼にのみ生きる沈黙の宗教となってしまった。そしてその「魂の植民地化」に最も貢献したのは、近代仏教学研究であったと総括することも可能だと思います。

近代仏教研究は最近めざましい成果を上げていますが、日本の近代仏教学のイデオロギー暴露はまだ棚上げされている、まさにタブー視されていると思うのです。下田正弘氏によれば、アカデミアの提供する〈仏教〉観は最も安定した形で、社会的影響を与え続けてきたといいます[*14]。現代日本人の仏
教観を分析する上で中心的に「研究対象」となるのは、印度哲学仏教学及び宗教学の研究史そのものであり、アカデミアの来歴を実社会との関係を踏まえて再検証することではないでしょうか。

*13 十九世紀のヨーロッパでは、「仏教の教義のなかで、転生や輪廻といった概念は嫌悪されたという。」(栗屋利江「近代から現代へ」『新アジア仏教史2』(佼成出版社、二〇一〇年、三三八頁)
*14 下田「近代仏教学の形成と展開」(『新アジア仏教史2』一三−五五頁)下田氏は同論考で「西洋近代によって認識された仏教を特定して強調する場合」に〈仏教〉と表記している。本稿と論点は異なるが、下田氏の論考は研究者の方法論に関する自己(事故)言及となっている。

戦時教学と業報輪廻否定

いわゆる戦時教学の問題も、この業報と輪廻の否定と無縁ではありません。日本の仏教者が輪廻と業報を否定するのは、やはり戦時教学のトラウマという側面もあると思うのです。例えば、「阿弥陀如来=天皇のために喜んで死になさい。敵を殺しなさい」(大意)と散々信者を鼓舞した人が、戦争が終わった途端、掌を返して「仏教は不殺生の教えです。平和主義の教えです」(大意)などと語りだしたならば、その人はまじめに話を聞くべきではないたぐいの人間と言わざるを得ません。外野からの意地悪な疑問かもしれませんが、戦時教学という極限の邪見を吹聴してまじめな信徒をミスリードした僧侶たちは、救済されるのか。あるいは戦時教学を信じて殺人を犯したまじめな信徒は、救われているのか。各宗派ではそういう問題をまじめに議論しているのか。このような厳しい議論を誤魔化したいから、業報は無い、輪廻は無い、などと理屈の通らないことを言い募っているのではないか。

はっきり言います。三世が無い、業の報いが無い、という自己欺瞞的な教えによっていちばん救われるのは、その場その場で時代状況に流され、政府や権力や流行におもねり、いい加減な仏教の切り売りを続けてきた仏教「業界人」なのです。結局、徹頭徹尾、内輪のつじつま合わせのための教学によって、自らの言説(口業)に真剣に向き合うことを回避してきたのではないでしょうか。大半が仏教「業界人」で構成された仏教学「業界」も、もちろん共犯者であると思います。

日本仏教の思想の体系性を取り戻すために

このような現状を是としないのであれば、「解脱学」という大前提を押さえた上で、業や輪廻のようなテーマをタブーとせず教学を再構築することが必要と考えます。日本仏教は特殊な近代化の歪み、内なる廃仏毀釈とも言うべき精神的隷属を脱して、「再仏教化」を志向しなければならないでしょう。
その作業の一環として、近代仏教学の「研究史の批判的研究」を近代仏教研究のフィールドに加えることが求められます。

日本仏教の思想的体系性を回復するには、仏教者も仏教研究者も自らの俗情や文化的志向性(嗜好性)への愛着を措いて、仏教の教祖である釈尊の教え、初期仏教の教えの「体系性」と真摯しに向き合うことが必要だと思います。近代仏教学の名のもと、俗情に切り刻まれ消費され収奪された釈尊の教
えの体系性を回復する過程で、研究者もまた自身の執着(upādāna)を徹底的に相対化する「解脱学」の過程へと、入門する必要があるのではないでしょうか。

附論:伝統文化・伝統思想との付き合い方

二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災をめぐって、日本の伝統文化や伝統思想との向き合い方が議論になりました。伝統文化から学ぶ、というのはもっともらしい話ですが、私たちは「日本人の伝統」だからといって、何でも大事にするべきなのでしょうか? 絶え間ない歴史の変化の過程で現れた習俗・文化を絶対視するのは、滑稽です。伝統文化のすべてにこだわっていたら、私たちは日常生活も送れなくなります。よりよく社会を変えることもできなくなります。かといって、成り行きで主流になっている現代の価値観を絶対視するのも、もちろんおかしな話です。

私たちが、自分自身の幸福のために、伝統を取捨選択していく基準となる普遍的な思想・方法論が必要でしょう。仏教とりわけ釈尊の教えが、それに相応しいと、私は思います。具体的には、カーラーマ経(パーリ増支部3集
66Kesamuttisutta)の教えが参考になるでしょう。この経典は、出家比丘
でも、在家信者でも、外道の修行者でも、バラモンでもない、当時のインドにもいた「宗教嫌い」「懐疑論者」の一般市民を相手にした説法だからです。

これはパーリ相応部因縁篇23 Upanisasuttaで説かれていることですが、ひとは具体的な悩み苦しみ迷いなど(苦)に直面していなければ、他人の話に耳を傾けて信じることはしないのです。ひとは悩み苦しみなどに陥っているからこそ、誰かの話を聞いて信じたり、実践してみたりする。しかし、そこが詐欺師の付け入る隙にもなるのです。

*15 ただ、近代仏教学は俗情と癒着した釈尊象を広めた一方で、スマナサーラ長老などによるテーラワーダ仏教の日本東漸の足がかりも提供してきた。今回のお話は、一面的であることは承知している。
*16 この附論部分は当日の発表では時間の関係で割愛した。

私たちは、どんな人の話に耳を傾けるべきなのでしょうか? 仏教徒の立場からは、智慧ある人、善友と呼べる人、煎じ詰めればお釈迦様その人、という話になります。しかし、世の宗教者は誰もが自らを「賢者である」と自称します。どんな悪人も、無知な凡人も、聖者を名乗るための資格試験は課されないのです。真理に基づくと「称する」教えを説く人が本物か否かを調べるためには、大変な手間と時間がかかります(実際に、何か月もかけて釈尊が師に値する人物か否かを調べたバラモンがいました)。

この経典の対告衆であるカーラーマ族の人々は、もとより仏教徒ではありません。彼らのもとを訪れるさまざまな宗教家たちから、矛盾するバラバラな教えを吹き込まれて、根深い懐疑精神を持つようになっていた人々です。彼らに対して、釈尊はその懐疑を「もっともなこと」と褒めます。その上で、宗教家の教えを判断する際に、信の基準とすべきではない、十のポイントを説かれるのです。

1 (神々が仙人に伝えたという)口伝だからと信じるなかれ、
2 (師から弟子への)伝承だからと信じるなかれ、
3 伝聞だからと信じるなかれ、
4 聖典だからと信じるなかれ、
5 論理的だからと信じるなかれ、
6 推測に合っているからと信じるなかれ、
7 言葉が巧みだからと信じるなかれ、
8 結論が自説と同じだからと信じるなかれ、
9 あり得る話だからと信じるなかれ、
10 聖者(の言葉)だからと信じるなかれ。

この十のポイントは、人が幸福に達するための「躓き」となる阻害要因です。それを踏まえた上で、私たちはさまざまな宗教家の教えが、自分たちの生き方の指針とするに足るか否かを「自分自身で」判断しなければならないのです。

「このことがらは不善であり、間違いであり、これらは理性ある人に批判されている、これらを実行すれば不幸になる、苦しみの原因になると、もし、自分自身で知るならば、カーラーマよ、それらを捨てなさい」(受容する場合はその逆です。)

ひとの苦しみに乗じてマインドコントロールに陥らせる十の陥穽を回避しながら、私たちはどのように善悪を判断し、不幸を避けて幸福に達する道を選択して歩むべきなのでしょうか? 釈尊はここで、貪・瞋・痴の生起、不貪・不瞋・不痴の生起、という基準を述べます。

「カーラーマよ、どのように思いますか? 人の心に欲(貪)が起こるとき、それはその人のため(幸福)になりますか、又は、その人のためにならない(不幸)でしょうか?」

「その人のためにはなりません」

「欲に汚染されて、欲に支配されて、欲に悩まされてこそ、人は殺生、窃盗、邪淫、嘘という行為をする、また、他人もそれらの行為をさせる、それによって、長きにわたり、不幸に、苦しみに陥るのでは?」

「はい、その通りです」

貪欲に続いて、瞋恚と無知についても、同じ問答が続きます。

「私が……(十のポイント)……と、ご自分の判断で理解しなさいと言ったのはこのことです」

問答は不幸に陥る生き方から、幸福に至る生き方へとテーマを進めます。

「カーラーマよ、どのように思いますか? 心の不貪は人の幸福のためになりますか?」

「幸福のためにはなります」

「不貪の人は殺生しません。他人にも殺生させません。それで長きにわたり幸福になるでしょうか?」

「その通りです」

「これらは、善行為でしょうか? 不善行為でしょうか?」

「善行為です[*17]」

不貪に続いて、不瞋と不痴についても、同じ問答が続きます。釈尊は、私の話を信じなさいという命令もなく、他の教えは間違っているという他者批判もなく、カーラーマ族の人々を「自ら確かめる」形で、ブッダの説かれる真理の教え(諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意)へと導いたのです。

私たちが伝統文化を取捨選択するための基準を、この問答から敷衍できるのではないでしょうか。心の汚れの有無と幸福・不幸の関係について自ら納得した上で、私たちの生活を取り巻くさまざまな伝統や習慣を問い直すのです。「それを信じて・守って/それを実践して、心が清らかになるのかい?」と。もっと簡単に、「それを信じて・守って/それを実践して、心が晴れ晴れと明るくなるのかい?」と言い換えてもいいでしょう。

釈尊が二千六百年前に「宗教嫌い」のカーラーマたちに説いた教えは、同じく「無宗教」という意識を持ちながらも、体系性を欠いた雑多な宗教情報や習俗、迷信などに溺れかけている私たち現代日本人が、新旧さまざまな言説に心を開きながら、それにとらわれることなく、幸福への道を探るガイドになると思います。

この基準であれば、輪廻や三世にわたる業報の有無について、受け入れられないことに悩む必要もありません。「仏教徒」や仏教研究者であれば、業報と輪廻を踏まえるべきですが、その自覚がないのであれば、死生観は措いて、カーラーマへの教えを実践するところから、仏法の面白さを味わって
いけばいいのです。人を不幸にする伝統、心を汚す文化ならば、躊躇なく捨てればいいのです。人を幸福にする、心を清らかにする伝統ならば、それが「つくられた伝統」でも構わないのです。どうせ、伝統とは、文化とは、日々更新されて変わるものです。日本仏教に関わる人々は、近代という特定の時代背景に基づいた文化ナショナリズムの「自意識過剰」を振り捨てて、正覚者たる釈尊の説かれたガイドラインに沿って、人を幸福にする、心を清らかにする「伝統の読み替え」「文化の創造」を積極的に行っていくべきではないでしょうか?

*17 訳文はアルボムッレ・スマナサーラ『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』(大法輪閣、二〇一〇年)二六九−二七九頁

《追記》梵網経の断滅論について

本論では梵網経の「死後断滅論」に言及して、「前述『梵網経』によると、さまざまな死生観の中でも、いわゆる断滅論は超越的な知見に基づかず、ただ目の前に見える情報から推測しただけの主張として、ほとんど相手にもされていない。しかし、現代の仏教学の常識では、この断滅説は不動の前提とみなされています」と書きました。このくだりは不正確だったので補足します。

同経の六十二見の説明では、死後に我が断滅すると説く「断滅論」について、七つの根拠に基づくとしています。断滅論の筆頭は、私が「超越的な知見に基づかず、ただ目の前に見える情報から推測しただけ」と述べた単純な現世主義です。経典の言葉を引けば、「たしかにこの我は、有色にして、四大要素から成り、母と父から生まれるが、身体が滅ぶと、断滅し、滅亡し、死後には生じない」とする考え方です。しかしその他に、禅定体験などで天界その他の境地を体験した修行者が説く断滅論も六種類あるのです。彼らはそれぞれが体験した境地(欲界天、色界梵天、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を「我」と主張するものの、しかしその「我」は身体が滅びると同時に断滅すると主張するのです。

ですから、「超越的な知見に基づかず、ただ目の前に見える情報から推測しただけ」と私が貶した断滅論は諸々の断滅論のうち一つだけで、まじめに瞑想して、その結果として得た超越的な知見に基づいて、断滅論を主張するケースもあった(あり得る)ということです。無論、それらも釈尊から偏見として退けられるものですが……。

初出:サンガジャパン Vol.11(2012Autumn),加筆修正のうえ単行本『日本再仏教化宣言!』に収録

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佐藤哲朗(nāgita)
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