ボールペンとあなたと価値
あなたはボールペンより価値はありますか?
こんな質問をされたら
あなたはどう思うだろうか?
怒りを通り越して呆れているかもしれない。
なんせ相手は100円で買える。
ましては人ですらない。
では、質問を少し変えたい。
あなたはボールペンより価値を生み出せますか?
こうなると答えが変わる人
変わらない人、迷う人が出てくると思う。
私は正直生み出せないと思っている。
どこでも売っているボールペンに
私は降伏しようとしている。
それほどボールペンには
無限の可能性があると思っている。
条件を整理しよう。
まず、あなたはあなたでしかない。
何をするにしても、あなたの頭で考え、
体を動かし、価値を生み出す。
意思決定はあなたが行い、
それ以上でもそれ以下でもない。
対してボールペンはどうだろうか。
ボールペンは使い手によって
見せる働きが違う。
つまり、使う人が使えば
その生み出す価値は莫大なものになる。
例えば、有名人が使ったとしよう。
それが誰であろうと構わないが、
あなたの好きな有名人でもいい。
もしその人がサインを書いたならどうなるか。
ファンの人にとっては
とんでもない価値になるだろう。
それこそ我々が生み出すものでは
勝てないほどの価値が。
或いは、とても有能な人が使ったら。
シリコンバレーで働いている様な人が。
彼らはその頭で様々なことを思いつくだろう。
もしそんな彼らがボールペンを使って
自らのアイデアを書き出したら。
そこから生まれる価値は
かなりのものになるであろう。
何かを思いついたり考えても、
表現しなければ意味がない。
なぜなら周りからしたら、
相手の考えていることはわからないからだ。
そのために我々は、
話し、書き、行動する。
これらの表現によって
やっと相手に自分の考えがわかるのだ。
つまり、ボールペンは
人々の考えを相手に伝えることのできる
道具の一つになる。
この働きは特別なものであり、
自発的にしか起こり得ない。
または、表現されたものとしての価値。
ボールペンで何かを書くということは、
形として世界に表現している。
先の例のサインの様に、
物によっては価値を持つのだ。
つまり私はこの部分に負けたのだ。
今の自分、或いは成長したとしても
一生勝てないかもしれない相手。
そんな彼らの脳内に屈したのだ。
そんな彼ら自身の価値に恐れたのだ。
もちろん人間に価値がないとは言っていない。
私たちはそれぞれ価値がある。
それは揺るぎない事実だ。
だが、例えばこんな状況だったら。
ある有名人のファンの目の前に
あなたとその人のサイン。
果たしてファンの方は
どちらに食いつくか。
或いはビジネスシーンにおいて。
あなたと有能な人のメモ。
どちらの方が注目されるのか。
私はそう言った価値の事に
注目していた。
有能であったり有名でないと
人間に価値がない。
この様な誤解を産んだ場合は
申し訳ない。
たかがボールペン。
されどボールペン。
この一本で世界が変わることもありうるだろう。
表現するというのは
それほど影響力のあることなのだ。
最後に同じ質問をして終わりにする。
あなたはボールペンより価値がありますか?